LIFE!~人生に捧げるコント~
NHK
木曜22:00~
なんとも品のいい笑いである。しかし NHK 的だからというわけではない。NHK 的なのはタイトルと番組紹介の文言だけだ。「『人生』をテーマとする」というのは、我々すべてが人間である以上、何を言ったことにもならないし、「毎日を懸命に生きようとするからこそ突き当たる人生の“可笑しさ”や“哀しさ”」というほど暑苦しいコントでもない。「観れば少しだけ、生きることが楽しくなる?」はコピーとしてはまさに「?」。
この品のよさは、無意味さからくるものだ。ウッチャンの「何だかんだ無敵の男」が時計台の廻る歯車の上で戦い、すべての技は空回りすることで決まってゆく。何だかんだで勝つわけだ。しかし縛られた女性の縄を解こうとするたびに歯車が回転し、縛めはいつまでも解けない。繰り返される「怖かったろ~」、「いいえ、ちっとも」。特に意味はない。
抵当に取られそうになった「想い出の家」に、長男の田中直樹が帰ってくる。銀行員の前で、コンテンポラリーダンスをする。特に観たいようなものではない。が、銀行員はもう少し待つと言って帰ってゆく。これも意味はない。
強いて「人生」に繋げれば、人生とはこのように無意味なものだ、ということだろうか。それならわかる。うん、わかるぞ。無意味さがシニカルでなく、ナンセンスとも少し違う笑いになる。爆笑ではないし、それを狙ってもいない。温かみのある笑い、というのとも違う。笑うしかない、という感じか。「人生」も。
意味はないんだけど、欲望は感じる。挙げた 2 つのコントの共通点は、ウッチャンも田中直樹も上半身裸で、ウッチャンはブルース・リー張り、田中直樹は江頭とか、暗黒舞踏っぽい。つまりヒーローでありながら、どっか人間以下の雰囲気が漂う。で、それになりたい、という欲望がほの見えるのだ。その欲望に対して、笑うしかないのである。爆笑ではなくて、笑いが漏れる、という感じ。
だいたいウッチャンという人は、人間以下のものになりたいようだ。牝牛とかになってると、すごく嬉しそうだった。自分の本性を、人間以下と感じているところがあるのだろう。人間の姿をとって、服なんか着ちゃってることが、どこか変、もういっぱいいっぱい、みたいな。ほんとは皆、そういうところがあるんじゃないか。いつまでも子供、なんてのはまだまだ通りのいい言い方に過ぎなくて、アメーバとか細胞とか、少なくとも牝牛のレベルに留まっている部分が。
確かに、すっかり人間のつもりで暮らしている人たちよりも、どっか人間以下のアメーバみたいなところを自覚し、さらにその人間以下性を推し進めたいとなぜか欲望している者の方が「なんだかんだ無敵」であるかもしれない。負けたって、どうせ人間以下だからね。
ウッチャンはそんなだけど、ナンチャンにはストレートなヒーロー願望があると、かつて誰か言っていた。ナンチャンのなりきりヒーローはまさしく一点の影も、曇りもなくて、まっさらなものだった。これはまたこれで人間らしくはなくて、完全に超人間的なものと人間以下のものというのは、表裏一体なのだろう。そこにないのは「人生」だけなのだが…。おかしければ、いいか。
山際恭子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■