古川日出男の「女たち三百人の裏切りの書」という作品が新連載だ。このタイトルに惹かれて、中身を読み、つくづく今、人は何を求めて小説を手に取るのかと考えてしまった。
小説そのものはまだ第一回のことでもあり、今後の展開を楽しみにすることしか、読者にできることはない。このステータスにおける読者の状況をコマ割りで分析すると、まずこのタイトル「女たち三百人の裏切りの書」によって、どんなイメージ、期待が頭を駆けめぐったか、を見ていくことになろうか。
まず「女たち」とあるが、女性読者はどうだろう。「裏切り」には心惹かれるかもしれない。女性たちがよく読む恋愛小説には、女たち同士の裏切りもあるし、またそれがスパイスにもなっていよう。しかし「三百人」はどうか。この人数は、あまり女性受けはしない気がする。多人数で、しかもリアルな数字だ。
女性が好むのは、まず一人。唯一無二の存在でありたいから。それから二人。唯一無二の女性自身を確認してくれる存在がいてほしい。三人になると、基本的には嫌がる。最小の社会が発生する単位だからだ。ただ女性が一人に、言い寄る男が二人のパターンは OK だが、これは本質的には「私一人」だ。二人の男は「わたくし小説」の背景に過ぎない。あるいは 2.5 人という設定も好まれる。0.5 人はオマケのペットとか、都合よく可愛かったりする子供。あるいは「裏切り」によって二人をより密着させてくれる、敵役の女。
もちろん女性たちも、恋愛のこと、身の回り半径 10 メートルのことばかり考えているわけではなく、だがそうなると意識はいきなり世界へ飛ぶ。少なくとも数万、数十万の人々の中で――やはり、そのなかの唯一無二の私、ということになる。
「三百人」という人数は、「私」以外を団子にして無視するには一人ずつ顔が見えすぎるし、そこで天辺を目指すというのは、女性にとってはビンボー臭い。支配のモードになるなら世界制覇でないと。で、この人数がアピールするのは、何と言っても男性だろう。リアルにトップに立てる集団だし、そういう支配感、一人ずつに打ち勝ってゆくという実感は、男には欠かせない。
そしてこのタイトルは、どこかしら「三百人斬り」という言葉を思い起こさせる。顔の見える三百人を斬っていきたい、あるいは、ものにした女、三百人の顔を覚えているといったことは、これまた男の趣味だ。
本を手に取る人々をマーケティングすると、小説なんか読むのはたいてい女性と言われている現在、男女別の考察は欠かせまい。女性もちょっと心惹かれ、あるいは引っかかるタイトルで、しかも「紫式部の怨霊が真の源氏物語を語り直す」のが初回であるのだが、それでありながら「女」は「三百人」というマスで捉える以外、あまり眼中になさそうだ。「女」や「紫式部」といったものが他者として認識されないとすれば、男も、それも結構な年齢の男も、「私」の「メガストーリー」の中に生きているという意味で、「三百人」の「女たち」とあまり変わりない。
長岡しおり
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■