『エンジェル・ウィズ・ア・ラリアット』 k.d.ラング&ザ・リクラインズ
k.d.ラングはカナダの歌手で、勲章ももらった模様。貫禄がついて、見た目も迫力があるようになってしまったが、このアルバムの頃は、とても可愛らしかった。なんぼ大御所ったって、太らないのも仕事のうちだと思うのだけれど…。
スキャンダルとしては、レズビアンとしてカミングアウトしたことが日本では一番知られているかもしれない。カミングアウトしたんだから、スキャンダルじゃないか。ご本人としてはどんな非難を浴びるかと覚悟したかもしれないが、別に何も文句は出なかった。そりゃそうだよね、勝手だもの。ただ、そういう人として貫くなら、やっぱし太ってはいけないと思う。美しいレズビアニズムというイメージを保つ義務だって生じるでしょ。
それより何よりぶっ叩かれたのは、菜食主義者として肉食を批判したこと。同性愛でもいいから人の嗜好にも口出すなよ、ということか。カナダだから畜産業者は黙ってられないかも。っていうか、野菜しか食べないのに、なんで太るんだろ。しつこいけど。
という人なのだが、最初はカントリーを歌ってデビューした。素晴らしい声に加えて、知的な雰囲気のカントリーというやや語義矛盾っぽい解釈が新しかった。ご本人はカントリーはお好きではないようで、好きでないから新しいものができる、ということはあると思う。カミングアウトとともにアダルトコンテンポラリー(っていうのか?)なアルバムが出て、ヒット曲もあるのだけれど、そういうスキャンダラスな背景を離れると、彼女でなければ、という印象は薄い気がする。
若くて可愛らしい時分に出した「エンジェル・ウィズ・ア・ラリアット」は、カントリーだし、思い通りにできなかったし、表題作にも自身のプライベートなメッセージが込められたわけではないので、あまり気に入っていないアルバムらしいけれど、聞いている分にはこれが一番楽しい。
まあ、こう言っては何だが、歌い手のプライベートや心情など知ったことではない。音楽というのはそういうもので、私たちに関係するのは、果たしてそれを理解できる知性があるかどうかだけなのだ。
“Angel, angel, from the sky” で始まる「エンジェル・ウィズ・ア・ラリアット」( = 投げ縄を持った天使)は、まさしく天上から、カントリーという俗世の、肉体的なジャンルにアプローチしようというメタ・カントリーであった。若くて可愛らしい、やや少年じみて性別を超越したような、ちょっと生意気な天使が降りてきて、我々に投げ縄を放ったのである。“ この謎が解ける?” と。
音楽の謎には答えなんかない。音楽そのものがいつも投げかけられる縄で、謎だからだ。「これが本心、これが実態」とカミングアウトしたところで、後から後からいくらでも謎は生まれる。文学はそのような「本心」をそう簡単に信じない。が、音楽のかぎりないとりとめのなさに、あるいは歌詞の言葉にこそカミングアウトの決めゼリフが潜んでいるのだ、と錯覚する。それこそがしかし、天使の投げたラリアットに捕えられているのである。
小原眞紀子
■ 『エンジェル・ウィズ・ア・ラリアット』 k.d.ラング&ザ・リクラインズ ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■