本屋の店頭で目に付く、美しい図鑑である。お値段もいいのに、売れているのである。これが。
出版不況と言われる中で、なにが売れるものやらとよく耳にするが、売るとか売れるとかを目的にするなら、まず買い手の心理なり都合なりを忖度するのが鉄則だ。それで『世界で一番美しい元素図鑑』を買おうと思う人の都合とはいかに。
まず元素に用があるのは、化学の技術関係者か受験生だろうか。ただ、この図鑑のウリは言うまでもなく「世界で一番美しい」というタイトルコピーなわけで、馴染みの元素が格別に美しく描写、説明されている必要が、毎日その記号とにらめっこしている技術者や受験生などにあるだろうか。彼らはそれを、使ってなんぼのものと捉えているだろう。
そうなると買う側の都合はいまひとつわからないが、買う側の心理となると、想像できる気がする。購読者の多くは、日常的には元素記号を使うことも、元素に触れることもないように思われるのだ。ただ頭の隅で、世界が元素によって成り立っていることを覚えていたい、と思っているような人々ではないか。
頭の隅に大切に仕舞ってあるようなものとして、元素図鑑を買い求めるなら、それは確かに美しい図鑑でなくてはならない。それも世界一美しくなくてはならないのは、まさに世界を構成しているものとして元素があるからであり、ならば世界ももしかすると美しいものであるかもしれないからだ。
この出版不況で、書物というものの本質的な役割が再確認されるとしたら、この『世界で一番美しい元素図鑑』はそれを示す最良の一冊であるに違いない。書物は、書物という形態を採っている理由を内在していなくてはならないのだ。でなければ、それは情報の集積としてのインターネット、あるいは少なくとも同書のiPad版でこと足りるはずである。
それで飽き足りない書物とは、それそのものが世界を象徴していなくてはならない。世界の最も基本的な最小単位である、と胸を張れる元素記号ならもとよりであるが、あらゆる書物には世界を捉える原理が内包されているのだと、その原理をつかんだからこそ、こうして書物になっているのだという矜恃を示さなくてはならない。
書物の美しさとは、まさしくその矜恃のことなのである。カラー印刷だの上製本だのといった技術はたかが知れている。矜恃のありかを掴まなければブックデザインはできないし、みごとなデザインをともなっての「世界で一番美しい」とは、その矜恃を端的に表したブックコピーだ。
美しい洋服でもなく、美しい女にでもなく、美しい本に人が手を出すのは、その美しさが矜恃をもって示していると思われる、「世界」そのものを手に入れたいと感じるからである。もう一度、タイトルを確かめよう。世界一「美しい」のは「元素」なのではなく、その元素の「図鑑」なのである。
金井純
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■