あのティファニーが、1969年に編纂したテーブルマナー集。古びた感じはなく、たいへんお洒落なイラストで描かれていて、若い人へのちょっとした贈り物としても最適。100ページほどの小冊子的なもので、値段も張らない。
この本はどうして古びないのだろう、と見るたびに思う。まずテーブルマナーというもの自体、大筋としてそう変わるものではない。料理には結構、流行りすたりがあるものだが、「あの人のあれ、時代遅れのテーブルマナーね」と陰口をきかれた、などということはない。その点、ファッションと宝飾品の関係にも似ている。価値の高い宝飾品は古いからといってないがしろにされることなく、むしろ時代がつくにしたがって大切にされる。いつまでも古びないティア・ドロップスなどのデザインで知られるティファニーが出すにふさわしい本かもしれない。
もちろん、あのカポーティの小説、オードリー・ヘプバーン主演で映画になった『ティファニーで朝食を』を思い出さないでもない。が、この小説には「ティファニーで食事をする」という内容はなく、そんな場面もない。小説とは結末も異なる映画ではかろうじて、ヒロインのホリー・ゴライトリーがショーウィンドーを眺めながらパンをかじるかなんかする映像を押し込んであったが、そんなんだからテーブルマナーもへったくれもない。『ティファニーで朝食を』というタイトルはただ、このヒロインが、もしティファニーで朝食をとれたら気持ちが落ち着くだろう、などと一言述べたところからきている。ティファニーを資本主義の象徴とする、反共小説なのだ。
そしてだが、テーブルマナーというものも結局、かたちではなく気持ちの問題なのだと言うことができる。だからこそ古びないのだ、とも。ソースのレシピは変わっても、人が人にされて嫌なことはさほど変わりない。古びないマナーにも流派やスタイルはあるが、人に不快感を与えないかぎり、肉を一切れごとに切っては口に運ぶヨーロピアン・スタイルだろうと、全部切り分けてから食べるアメリカン・スタイルだろうと構うまい。一方を見て、礼儀知らずと思う者がいたら単なる無知なので、マナーをまったく知らない者と同じだから気にすることはない。
理想はエレガントであること。エレガントとは変わることないエッセンス = 本質であろうとすることだすれば、この本のイラストのペン画は、まさにそれを象徴している。余計なものはすべて排し、のびのびとして自在、しかも上品。
最後に「これで作法の心得がわかりましたから、作法を破ることができます。しかし、 作法を破るには、十分社交知識の心得がいることを忘れないでください。」とある。文学のジャンルも含めて、あらゆる掟には存在理由があり、その意義を体得させるために掟があるとも言える。掟の意義により深く到達できるなら、それは破られても、また守られてもよいのだ。
ところで古本で買った本書は、白い表紙を赤い枠で囲んだ可愛らしいデザインである。今の版はティファニーの買い物袋と同じ真っ青で、ちょっと品がない感じ、と言うと、ティファニーブランドの否定になってしまうか。
金井純
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■