金井純さんの 『絵のある本のはなし』 『 No.004 『ムギと王さま』 エリナー・ファージョン著』 をアップしましたぁ。ファージョン童話に関するコンテンツ第二弾です。金井さんは 『ファージョンについて、「大時代である」 という批判があるのを昔、目にしたことがある。大時代とはようするに、時代遅れもはなはだしい、という意味だろうか。しかしファージョンの作品は古びない。それというのも最初っから、うんとこさ遅れているからではないのか』 と書いておられますが、そうかもしれません。金井さんはその理由を 『 (ファージョンの) 方法は、音楽の演奏に酷似する。音楽は演劇同様、舞台にかけられるたび、譜面なり脚本なりにそのときそのときのリズム、生命を吹き込む』とも指摘されています。
不肖・石川は、石井桃子さんの翻訳でしか読んだことがないのですが、かなり繰り返し表現が多い。音だけでなく意味的にも、ちょっともたもたした感じで同じ系列の言葉を繰り返していきます。それが一つの世界観を作り出しているように思います。言葉が螺旋を描きながら、なにかの根源に降りていく感じです。『つまりは詩的なのである』 という金井さんの評言は、そういうことを指しているのではないでしょうか。
ほんで金井さんのコンテンツは、もう一ヶ月ほど前にいただいていて、アップするために最近組版したのですが、金井さんが今回取り上げておられる 『月がほしいと王女さまが泣いた』 と 『天国を出ていく』 を鶴山裕司さんが引用して 『お月さま』 という詩を書いておられます。不肖・石川、迂闊にも気づかなかったのですが鶴山さんに確認したところ、「金井さんのコンテンツ読んで、そっか、ファージョンか、読んでみようと思って初めて 『ムギと王さま』 読んで、『お月さま』 という詩を書いたんだよ」 といふことでした。もちろん鶴山さんは今回の金井さんのコンテンツをあらかじめ読んでおられません。ん~詩人はやっぱ数あるファージョン作品でも、この二作に引っかかるのかぁと、石川はちょっとびっくらしたのでしたぁ。
■ 金井純 『絵のある本のはなし』 『 No.004 『ムギと王さま』 エリナー・ファージョン著』 ■