ごちそうさん
NHK
月~金曜 8:00~
あの『あまちゃん』の後である。「あまハラ」(『あまちゃん』を観ていない人を責める)、「あまロス」(『あまちゃん』放送終了後の喪失感に苦しむ)といった言葉まで生まれたその後とは、何というハンディキャップだろうと思いきや、大変な高視聴率で、あまちゃん超えしたそうな。世の中もテレビも人生も、これだからわからないと言いたいところだが、考えてみればそうでもない。
私たちは、自分の周囲だけを世の中だと思いがちである。『あまちゃん』がブームを起こしたのは事実だが、それは普段、NHK の朝の連ドラなど観ない私たちが観て騒いだ、ということに過ぎない。NHK を含め、他局やマスコミが騒いだのは、ようするにたいていのマスコミ人もまた、朝の連ドラなんか観る人種ではない、という証左に過ぎなかったのだ。数字的に言えば(同じく話題作だった『半沢直樹』はすごかったが)、『あまちゃん』は歴代の朝の連ドラの視聴率の中では、さほど目を見張るほどではないというのは、当初からわかっていた。
私たちが『あまちゃん』に感じた面白味とは、あの『木更津キャッツアイ』や『池袋ウエストゲートパーク』、『タイガー&ドラゴン』の宮藤官九郎が NHK の朝の連ドラに、クドカンらしさをまったく損なわず、なおかつ連ドラの文脈にまんまと乗ってみせた、というそのことだった。文脈に乗っているのだから、従来の視聴者からソッポを向かれる理由もなく、あの退屈なものを観ていた彼らにとっても、さぞかし斬新に映っているだろうと思い込んでいたに過ぎない。
いや、従来の朝の連ドラの視聴者に、やはり斬新に映っていたとは思う。が、これは忘れてはなるまい、斬新さは決して数字を押し上げる要素にはならない。私たちにしても、確かに毎朝 NHK にチャンネルを合わせたが、それは私たちには馴染みのあのクドカンが朝の連ドラに乗っかっている、という興味深い事態を見守りたかったからだ。私たちにとっては、別に斬新ではなかった。ただ、斬新だと思って観る人たちがいるに違いないと思うことに興奮していたのだ。
『ごちそうさん』は、オープニングもテーマも、テンポも従来通りである。従来型の傑作だった『カーネーション』と比べても、まったりしている。率直に言えば、通常の朝の連ドラを観つけない私たちには6分と観ていられない。(なぜか計るといつも6分で限界がくる。)好きな男に納豆を食べさすというテーマを、たまたまチャンネルを合わせると、いつまでもやっている模様である。しかしこれを見つめ続ければ、何か別の世界に連れて行ってくれるのかもしれない。このリズムに合わないのは、私たちの何かが慌ただし過ぎるのかもしれないと、『あまちゃん』を経て、朝の連ドラ文化に少しばかり触れた私たちは思うのだ。
そんな私たちの何%かの数字が、もしかすると『ごちそうさん』の高視聴率には貢献しているのかもしれない。そしてそもそも食べ物ネタというのは、深夜でも昼間でも数字を取れる傾向にある。が、それならばあの『チャングムの誓い』よろしく、もっと次から次にディープなごちそうウンチクを展開してもらえないものか。ヒロインもぬーっとした棒切れみたいでなく、もっと食欲の湧くような、美味しそうな(?)感じにならないものか。
しかし長丁場である。私たちが学んだ朝の連ドラ文化とは、まずは毎朝(間に合わなきゃ昼)、ともに暮らすようにして巻き込まれていくよう努める、ということなのだ。
山際恭子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■