夫婦善哉
NHK
土曜 21時~
今年は織田作之助の生誕100年で、6年前に続編が発見された「夫婦善哉」を新解釈でドラマ化したという。
若手俳優で実力派が登場すると、先々は「夫婦善哉」をやるんだろうか、あるいはやらせてみたい、と思うことがある。大阪弁ができないといけないが、男優でも女優でも想像できるところがいい。今回の森山未來と尾野真千子というのは、なかでもドンピシャ、いやそれ以上の期待感をもたせるキャスティングだ。
まあ、尾野真千子は、先頃の朝の連ドラ「カーネーション」での演技が話題で、そこから予想のつく良さであるのだが、たまらないのはやはり森山未來だ。なんとも自然な、臭みのない、それだけに救いようのないダメ男ぶりである。ものすごい二枚目というわけでもなく、すぐに目に留まる特徴があるともいえない、この俳優の評価が極めて高い理由が今回、万人に伝わったと思う。
テレビドラマとしても重厚すぎず、軽妙すぎず、出色の出来栄えで目が離せない。続編の部分も含めての新解釈ということだが、ただ「人情喜劇」には、それゆえにか、なってはいないようだ。「貧しく挫折続きでも、愛情と機転で乗り切っていく夫婦の姿を、涙と笑いの中に描」いている、とも思えない。目が離せないのは、むしろドワイヨンといったフランス映画の恋愛にあるような、身につまされる感覚からだ。
さてこのドラマ、主人公は夫婦のどちらか。どちらに注目しても楽しめるのだが、感情移入すべきはやはり蝶子なのだろう。喜劇にならず、身につまされるというのは、こういうダメ男に対する分析が進んでしまった世の中だからだ。こういう男はどう転んでも結局はダメで、関わっただけ女を不幸にする。そういう見切りを前提に、これまで数多くのテレビドラマが作られてきていて、そのどれもが女性への同情と共感と、慰めに満ちていた。ダメ男の成り立ちも行く末もわかりきっているから、そのセリフには呆れても、耳を傾けることはない。
森山未來のさらっとした、ほのかに魅力の漂うダメ男ぶりは、そういう現代の視線を意識してのものだろうか。だとすると、怖ろしいまでに知的な処理だ。現代では、こんな男への同情を、観る者に強いても無駄なのだ。ただ、なんか知らんが、この女にはどうしてもはまってしまうもんがあるんだろうと、女の目線を通してしか共感は期待できない。
男のダメぶりが笑いを誘い、女の奮闘にエールをおくる。そんな浪速の人情ノリが通用するほど暢気な時代ではなくなった。画一的な価値観が支配しているともいえるが、過去の無自覚に立ち戻れるわけでもない。これからのドラマで、この落としどころが見ものだ。
火野正平、根岸季衣、田畑智子、佐藤江梨子、平田満、草刈正雄、麻生祐未、岸部一徳といった脇のキャスティングも、評価の定まった演技力だけでなく、新たな魅力と未知の実力を目の当たりにする素晴らしさである。
山際恭子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■