巻頭カラーグラビア!に登場するのは大木あまりさん。昼下がりの代官山でしょうか、いかにも高級そうな素材でできた帽子を目深にかぶり、頬杖をついてなお端正なそのお顔立ちには、クリムゾンレッドのメガネフレームがよく似合っています。同じ色合いのレンズ越しに鋭いカメラ目線がこちらを見つめ返しています。きりりと結ぶように紅を引いた唇と、斜め下に鋭く落ちる顎のラインからは、経験を重ねてきた才女特有の攻撃的エロスがほとばしり・・・。待てよ、昭和16年生まれってことは失礼ながら御年XX歳か。世間一般では高齢者として括られる年齢でも、長寿があたりまえ?の俳句界では、まさに「脂の乗り切った」現役バリバリなのでしょうね。そういえば高橋源一郎の近作『恋する原発』に登場する高齢者のAV女優も凄まじいまでに現役バリバリでした。マニアックな熟女ブームもここに極まれりといった感があります。もちろんあまりさんとは別の話です。なにしろ今年度の読売文学賞受賞俳人のカラーグラビアですから、受賞句集『星涼』の販売促進効果としては申し分ないと思われます。
それはさておき今号の総力特集「自然を詠む、人間を詠む」は、東日本大震災から丸1年ということで、この未曽有の自然災害が俳句の実作に何をもたらしたのかを検証しています。なかでも「自然とどう向き合うか」と題する特別対談では、小澤實と高野ムツオという俳句門外漢でもその名を知るところの有識俳人ふたりが、自然災害による季語の変化を通して、震災以後の俳句における自然表現の可能性を探っています。そのなかで年長の高野さんが、震災当時季語を使うことに抵抗があった、との心情を打ち明け、若手俳人高柳克弘の文章を引用しています。長いので少し端折りながら抜き出してみましょう。
高野 (略)「季語の持っている歴史性が、圧倒的な現実を前にしたときに、通用しないこともある。それどころか、邪魔になる場合もあるのだと、私はこのとき痛感した(高柳の文章)」と書いたのを読んでやはり私ひとりではないのだと嬉しく思いました。実際に高柳君に無季の俳句があります。〈瓦礫の石抛る瓦礫に当たるのみ〉。一つの音だけだけれど、乾いた、しんとした、こう表現する以外にはありようもない空間が捉えられています。とても即物的で、情緒的に乾いているけれど、リアリティがはっきりと感じられます。
小澤 〈瓦礫の石〉の句は確かですね。有季の句に慣れているので、無季というだけでギョッとします。(中略)いちがいに無季だからだめだとは否定できない。季語は日常を捉えるべきもの、震災という異常事態には無季で向き合うしかないのかもしれません。難しい問題ですが。
高野 俳句は季語が大切だし、それは俳句の世界を広げる、なくてはならない大切なものだと思いますが、それを超える世界、季語の世界だけでは取り入れることのできないものが俳句の世界にはあるのだと再認識しました。(下線は筆者)
小澤 (略)今度の大震災には、春寒という季節感がおのずと付いてくるのではないかと思います。
現代俳句協会賞受賞俳人の高野さんと、俳人協会新人賞並びに読売文学賞受賞俳人の小澤さんという、これからの俳壇を背負って立つべき二人ではありますが、決して難しいことを言い合っている訳ではありません。つまり季語は、俳句的日常(=日常をモチーフにした俳句)に不可欠な要素であるのは間違いないが、大震災という俳句的非日常(=非日常をモチーフにした俳句)に対しては無季も致し方ないということです。しかしこれはある意味、状況論の一種ともいえるのではないでしょうか。確かにこたびの大震災は千年に一度といわれる天変地異です。それを作品として表現したくなるのは、俳句に限らない全ての創作者の習性とでもいうべきものでしょう。創作者ゆえの義務といってもいい。高柳さんも習性ゆえか義務ゆえかは分かりませんが、いずれにしろ大震災という非日常ゆえ、致し方なくそれを無季の俳句に詠みました。しかしお二方も口を揃えているように、日常であれ非日常であれ、俳句が季語を不可欠とする前提(=本質)は変わるはずがありません。それを私なりに突っ込んで解釈すると、「俳」とは「季」によって成立するもの、ということになります。高柳さんの作品は、無季という条件付の俳句として、確かに成立しているように見えます。が、そこに「俳」は感じられません。その成立要件はむしろ「詩」であるといえます。〈瓦礫の石抛る瓦礫に当たるのみ〉は短詩として優れているといえますが、それは俳句ではない。俳句ではないなら、五七五の定型は不要です。逆に詩であるなら、自由な形式によってこれよりもっと優れた表現の可能性が生じるはずです。高野さんの下線部発言の揚げ足を取るわけではありませんが、季語を超える世界を俳句で表現しなければならないほど、俳句の世界を拡張する必要があるのでしょうか。天変地異を俳句に詠むことは否定しませんが、本質を犠牲にしてまで作品という型に押し込め、それを俳句の変革であると勘違いしなければいいのですが。俳人にとって俳句は常識(=日常)であっても、そうでない人にとっては極めて非日常的な文学形式に成り得るのです。
ところで、お二人の熟年先達が話題にしている高柳さんは、30歳そこそこの「若手」俳人です。また、この特集のほかにも『俳句』には意外なほどたくさんの「若手」俳人が登場します。意外なほどというのは俳壇の構成年齢が高齢であるという先入観からきています。そもそも「俳人」という呼称からして高齢者をイメージします。世間的常識的な年齢イメージと比べるに、俳壇における年齢イメージは15歳程度の開きがあると思われます。つまり高柳さんの俳壇内イメージ年齢は15歳ということになります。俳壇高齢化のイメージを打ち破ろうとする意図が、『俳句』の「若手」起用には感じられます。
「往復書簡―相互批評の試み 第3回日常性について」は、二人の若手俳人同士の書簡形式による連載企画です。1回に1往復の書簡による相互批評のため、宇井十間さんの往信による問題提議に対して、岸本尚樹さんが返信で答えるというパターンと思われます。お二人の年齢は知りませんが、文体と遣り取りから推測するに、宇井さんの方がより若いと思われます。「ある種の思想性」、「それはむしろ思想に近いものです」、「高度に抽象化された思想性」、「ある種の思想的な深さ」、「思想といっても、とりたてて特別なことを言っているのではありません」、「『思想性』などという古めかしい言葉」などなど、お若い方の書簡から目に付いた数句を引用しました。「日常性」といいながら実は「思想」について語りたかったのが伺えます。しかも「思想詩としての俳句」という言葉まで使っていますところを察するに、宇井さんは若手俳人にありがちな「俳句」の成立要件を「詩」に求めるスタンスと思われます。つまり伝統俳句とは異なるアイデンティティーの持ち主であります。もうひとつ加えるに、宇井十間というその俳号?は、「論理哲学論考」の著者“ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン”から取られています、たぶん。哲学をよくする俳人というアイデンティティーがこれに加わります、たぶん。二つのアイデンティティーの取り合わせはまさに鬼に金棒です、たぶん。しかし肝心の思想に関しては、引用した語句を見渡すに、残念ながらまだ考えが熟していないようです。熟していないというよりも、「思想性」というイメージばかりが先行していて、「日常性」という物質的恍惚を呼び寄せるに至っていない。やはり俳句ですから、「思想性」ではなく「思想」を、「日常性」ではなく「日常」を俎上に載せた方が議論としては実りが多いのではないでしょうか。その点で岸本さんの返信は、若手同士ということで宇井さんに最大限の配慮を示しながらも、「最初からアフォリズムたることを意図した句は理に堕ち、脆弱です。本当に強い句は、そういう意図を持たずに作った句が結果的にアフォリズムのような力を獲得した場合です。」と明言することで、抽象論に陥りそうなこの回をすっきりと締めくくっています。読者はもとより編集者までをも慮った見事な文章です。伝統俳句の奥深さを見せつけられました。あっぱれ!
若手俳人企画をもうひとつ取り上げましょう。「高山れおなが読む今月の10句」です。最後から2句目に奇妙な句が取り上げられています。〈Eichmannノ後(ノチ)ニシテ物(モノ)ヲ思(オモ)ワザリ〉。句も奇妙ですが、句集名はもっと奇妙です。その名も『六十億本の回転する曲がった棒』。作者の関悦史さんはきっと若手俳人に違いありません。評者の高山れおなさんも多分若手俳人の部類でしょう。高山さんは、わずか300字足らずの評釈の中で、藤原敦忠、ナチスの警察官僚アドルフ・アイヒマン、そしてアドルノに言及し、この一見奇抜な句の種明かしをして見せます。その博覧強記振りと手際のよさには脱帽せざるを得ません。しかし作者の自解ならまだしも、あまりに自信たっぷりな評釈を読むと、裏で情報交換してんじゃないの、と疑いたくなるのが人情です。しかも最後で「音と意味のずらし方が軽妙で内容の射程は深い」と言われると、分かったような分からないような、なにか煙に巻かれたような気分に陥ります。「わからない奴は読む必要なし」と切り捨てられたような気分でもあります。わかりあう者同士にしか通じない排他的なレトリックが、俳壇にも浸透して来ているのでしょうか。それはさておき締めの一言が問題です。「パロディの傑作。」これだけの文学的な種を背後に隠し、軽妙な技法によって深い内容の射程=思想を表現している句が、傑作とはいえパロディでしかないことは問題ではないでしょうか。高柳さんのところでも言いましたが、俳句が「俳」を捨て「詩」を拾った瞬間、大方の俳句は五七五という形式の足枷から半ば強制的に自由になります。その一方で自由な形式という別の足枷を強制的に嵌められるのです。このことに無自覚でいると、大方が歴史の波間に沈んでしまった新興俳句運動と同じ結果を見るのではないでしょうか。パロディといい詩といい、ユーモアや抒情の喚起物として俳句に取り入れるのはいいですが、俳句の成立要件として軽く考えては火傷します。「どうして俳句なのか」というラディカル(=根源的)な問いこそ、俳句における前衛の前衛(=ラディカリズム)たる所以ではないでしょうか。と、切り捨てられた門外漢の悔しさから捨て台詞を吐いてしまいましたが、ここは若手俳人への問題提議ということでお許し願います。
最後はベテランで締めたいと思います。「初学時代の本棚」というリレーエッセイです。今回は「谷川岳主峰の二つの耳のごとく」と題し、『浮野』を主宰する落合水尾先生の登場です。なれなれしく先生と呼んでみましたが、私のような劣等生なんかのことは記憶にすらとどめられてはいないでしょう。そう、あれは京都への修学旅行の最後の晩のこと。大部屋で男子女子が車座になって恋バナを楽しんでいたところへ、血相を変えて入ってきたのが他でもない落合先生でした。風紀を乱したということで説教をお垂れ遊ばせ始めたのですが、生憎アルコール摂取による赤鬼のような顔だったせいか、説得力に欠けてしまいました。先生も説教しながら自覚したようで、なんとも締りのない最後の夜はふけていったのでした。あのときの先生のばつの悪そうなお顔が今でもはっきり浮かびます。というか、その記憶だけが私にとっての落合先生のすべてといってもいいでしょう。エッセイに戻りますと、「昭和二十六年、十四歳の時に私は俳句を始めているが、」とあるので、今はもう喜寿が目と鼻の先ですね。お元気そうで何よりです。『俳句』によってかつての恩師の消息を知るというのも、いわば俳縁の一種でしょうか。そういえば授業中の先生は、時折わけもなく窓のはるかかなたに視線を彷徨わせることがありました。このエッセーを読んであのときの先生の視線が、はるか谷川岳主峰の二つの頂点を探していたのだと分かりました。なんだか俳句の一句でもひねりたい気分になりました。この少しばかり誇らしい気分を抱いて、今月号の幕引きといたします。
釈照太
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■