俳句の世界には「総合誌」と呼ばれる大手出版社による定期刊行雑誌が数誌あります。少なく見積もっても1000万人といわれる俳句人口ですが、一人一人の好みによって愛読誌を選ぶことができるという状況は、たとえば「現代詩手帖」一誌しか見当たらない詩の世界から見れば、うらやましい限りでしょう。しかし出版不況は俳句界とて例外ではなく、総合誌とて、販売不振による廃刊の憂き目から、逃れられるわけではないようです。俳句雑誌のスクラップ&ビルドを耳にしても、さして驚くに当たらない今日この頃といえるでしょう。
そんな中にあって、角川学芸出版発行の『俳句』は、その端的な誌名が示すとおり、俳句の専門誌として長きに亘り俳句界に君臨しています。他誌の追随を許さない6万部という発行部数もさることながら、掲載されている俳句結社の広告本数が150を超える(全国の結社・同人誌のおよそ3分の1)ということからもそれが伺えます。角川の『俳句』は俳壇そのものであるといっても過言ではないでしょう。角川の『俳句』さえ毎月読んでいれば、実作はもとより俳句仲間との茶飲み話の話題にも遅れをとる心配がない、そう思いながらページをめくる俳句愛好者もきっと多いはずです。
さて私事で恐縮ですが、通勤電車にもまれながら小説や詩を読み続けて半世紀余り。才能の無さを自覚するゆえ実作には手を染めることなく、頑なに文学ディレッタント(オタクですね)を貫いてまいりました。文学の古今東西を問わず、おもしろいという噂だけを頼りに足を棒にして本を探し、なけなしの小遣いをはたいて買い求め、むさぼるように読んできた毎日ですが、年寄り臭いと敬して遠ざけてきた俳句にも、やっと食指が動くようになった今日この頃。手始めに俳句の現状を知りたいと手にした角川の『俳句』を毎月読みながら、この日本伝統の文学形式について、俳句の「外」から(門外漢という立場から)思いをめぐらしてみたいと思います。
釈照太
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■