NHK総合
火曜 22:00~
乃南アサの原作ということだが、小説本があるというふうには思えなかった。かといって、原作とはまったく別物です、というタイプのドラマでもない。ひとつ言えるのは、確かに原作本でもない限り、こういった話をテレビドラマにしようとは思いつかないのではないか、ということだ。
前科のある女性二人。もちろん風当たりは強く、生きづらい瞬間もある。そのような女性たちと、その状況を設えて、さて何を伝えたいのか。そこでの表現も説得力も、小説とテレビドラマではまったく異なってくる。それほど違うものだという、絶好の例と言ってもいいぐらいのドラマだ。
芭子と綾香という二人が犯した犯罪は、罪名を聞けば、かなり凶悪なものだ。それぞれ強盗と殺人。しかしもちろん、主人公である彼らには情状酌量、むしろ深い同情を禁じ得ないぐらいの事情がある。しかも飯島直子と上戸彩だ。このきれいな二人が同じ房だったなんて、すごい刑務所。
裕福な家庭で、過剰な「よい子」として育った芭子は、女子大生だった頃にホストに騙され、昏睡強盗をしてホストに貢ぐという行為を繰り返した。七年の懲役に服し、家族からは絶縁状態である。うーん。悪くない。上戸彩は悪くない。悪いのはホストである。ホストは常に悪い。悪者として格好の存在だ。だいたい犯罪教唆の罪に問われかねない騙し方をするなんて、頭も悪いんじゃないか。。。
綾香の方は、夫のDVに悩んだ挙句、幼い子供を守るために夫を絞殺したという。五年の懲役に服した後、明るく懸命に暮らしていたが、前科がばれてパン屋を解雇になったりする。うーん。悪くない。飯島直子が悪いわきゃない。悪いのはDV亭主と理解のない世間だ。。。
と、いうようなことを、繰り返して説得されている気がするのだ。しかし、だとすると、このドラマが言いたいことはいったい何なんだろう、ということになる。
これほどいたいけなお嬢様でもなく、悪質にすぎるホストに掴まったわけでもなく、上戸彩ほど可愛くない女性出所者も、またこれほど典型的なDV被害者でもなく、身を呈して子供をかばったわけでもなく、飯島直子ほど色っぽくない女性出所者も、それぞれ事情はあるのだから、温かく迎えてあげましょう、ということだろうか。
しかしそれでは犯罪被害者となり、日本の刑罰が軽すぎると思っている人々は納得しないだろう。テレビというのは、何もかもを表層的に捉える反面、いやそうであるがゆえに、その表層に反応して反発するという多数の人々を生み出しやすい。
乃南アサの「芭子と綾香」はシリーズにもなっていて、おそらく通り一遍でない事情のディテールが積み上げられ、彼女たちの独自の世界が展開されているに違いない。情状酌量するもしないも、彼らと親密になった読者には、出所者を迎える社会のあり方よりは、特殊な事情を抱えた女性たちの個々の事情に巻き込まれ、それを擬似的に追体験してゆくに違いあるまい。
テレビドラマは、その表層を掬い取って映像に投げるだけのことだのに、なぜか社会化されて難しくなってしまうものが確実にある。
山際恭子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■