プラド美術館所蔵 ゴヤ-光と影
於・国立西洋美術館
http://www.nmwa.go.jp/jp/index.html
会期=2011/10/22~12/01/29
入館料=1500円(一般) カタログ=2300円
評価=総評・80点 展示方法・80点 カタログ・80点
国立西洋美術館(以下西美)は独立行政法人国立美術館によって運営・管理される国営美術館である。歴史をたどれば西美は、まず松方コレクションを収蔵・展示するために作られた。松方コレクションは実業家・松方幸次郎が戦前に蒐集した絵画コレクションだが、戦争中はパリのロダン美術館に寄託されていて、戦後フランス政府によって敵国資産として接収された。それが昭和26年(1951年)のサンフランシスコ講和条約の際に、吉田茂首相とフランス外相ロベール・シューマンとの協議で日本に返還されることが決まった。フランス政府は返還条件の一つにコレクションを収蔵・展示するための専用美術館を作ることを日本に求め、紆余曲折を経て昭和34年(1959年)に西美が建てられた。基本設計を行ったのはモダニズム建築の巨匠ル・コルビジェである。西美は戦後日本の復興の象徴として建てられた西洋美術専門の国立美術館である。
西美では常設展スペースで、今も松方コレクションのいくつかを必ず展示している。ただフランスに残されていた松方コレクションの全部が日本に返還されたわけではない。返還に際してフランス政府は、マネ、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、ピカソなどの作品18点を返還対象から除外した。この18点は作品的にも絵画史上的な価値という面でも名品揃いである。さすがにフランスは美術をよく知っている。これら18点は旧松方コレクションというプレートを付けられてフランス各地の美術館に収蔵されている。
ちょっと身も蓋もない言い方になってしまうが、国立美術館で開催される企画展は私設美術館や地方美術館のそれとはレベルが違う。今回はプラド美術館所蔵のゴヤ展である。ゴヤは1746年に生まれ、1828年に82歳で没したスペイン王室専属の宮廷画家である。日本の年号では江戸中期の延享3年から文政11年に当たる。ゴヤはベラスケスと並ぶ近世スペイン絵画の至宝である。西美では昭和46年(1971年)に日本で最初のゴヤ展を開催したが、その時には代表作『着衣のマハ』と『裸のマハ』が一挙展示された。スペイン政府が国宝中の国宝2点を極東の島国に送り出すなどほとんど考えられないことで、それは日本とスペインの国家的威信をかけた展覧会だった。今回の展覧会もそれに準じる。『着衣のマハ』が再びやってきたのである。
ただ門外不出の名品を借り出した多くの美術展がそうであるように、今回の展覧会もかなり微妙な内容になっていた。展覧会には『光と影』というサブタイトルが付けられていた。最初その意味がわからなかった。ゴヤは決して光と影のコントラストを重視した画家ではない。光と影の絵画といえばフェルメールやラ・トゥールを想起するのが普通だろう。僕が展覧会に行ったのは土曜日の午後で、会場は大入り満員だった。人の背中にくっついて三時間近くかけて作品を見て回った後に、ようやくその意味がおぼろにわかってきた。今回の展覧会のメインディッシュが『着衣のマハ』であることは言うまでもない。しかしゴヤの油絵作品は全体の三分の一ほどで、後はデッサンやエッチングが占めている。『光と影』というサブタイトルはゴヤ作品の特徴を表した言葉ではなく、どうやら油絵とデッサン・エッチング作品との対比を示唆しているようなのである。
ゴヤはスペインのみならず、ヨーロッパ絵画史上でも最も重要な画家の一人である。ゴヤが宮廷画家という職業に強い誇りを抱いていた封建社会の人だったことは間違いない。ゴヤは確かに宮廷絵画に新風を吹き込んだ。王侯貴族からの注文品で一般庶民の姿を描くなど、それまでの宮廷絵画にはない新基軸を打ち出した。しかしそれだけなら今日のような高いゴヤ評価は起こらなかっただろう。ゴヤの中では現代人とほとんど変わらない批判精神や新たな絵画表現への欲求が渦巻いていた。だがそれは、ゴヤの表芸とでもいうべき油絵作品では表現が抑えられていた。ゴヤの内的表現欲求は、デッサンやエッチング作品などにストレートに表現されているのである。
ゴヤは生涯に『ロス・カプリーチョス』『戦争の惨禍』『妄』『闘牛技』『ボルドーの闘牛』などの銅版画(エッチング)連作画集を制作した。王侯貴族からの注文ではなく、少数の一般好事家に販売することを目的に作られた作品である。これらの作品でゴヤは彼の批判・風刺精神を全面に打ち出している。同時代のカソリック僧侶の堕落やはびこる売春に向けられた皮肉で厳しい批判がそこにはある。またゴヤは夢や空想を巡る想像的作品をも多数描いた。シュルレアリストたちはゴヤをシュルレアリスム絵画の祖と位置付けたが、確かにゴヤは人間の無意識裡に存在する現実を越えた超現実のイメージを絵画化している。ゴヤのエッチングは彼の内面を直截に表現するための場だったのである。
ただゴヤは自由に作品を発表できたわけではない。ゴヤの時代にはまだ異端審問所が存在していた。表向きは異端宗教思想を弾劾するための機関だが、現実には体制批判思想の取り締まりをも行っていた。ゴヤの社会批判や黒魔術を想起させる想像的作品は、異端審問所から訴追される可能性があった。そのため『ロス・カプリーチョス』は販売開始からわずか2日で販売が取りやめになっている。またゴヤのエッチング作品は必ずしも同時代の嗜好に合うものではなかった。『戦争の惨禍』は1812年の対仏独立戦争に取材したものだが、スペイン人の愛国心を鼓舞するような絵はほとんどない。文字通り戦争の悲惨と残酷が執拗に描かれている。『闘牛技』なども同様で、闘牛を巡る残酷や、悲劇を望む観客の暗く無責任な欲望と好奇心が描かれている。そのためゴヤのエッチング作品は生前ほとんど世に出なかった。死後になってようやく刊行が始まったのである。
展覧会ではエッチングの下絵(デッサン)や、タイトルや構図が異なるエッチング作品が系統的に並べられていた。それらを詳細に見れば、ゴヤがいかに優れた画家であったのかが手に取るようにわかる。エッチングはゴヤより約100年前に、レンブラントによって確立された技法だが、ゴヤはその特徴を完璧に把握している。当時のエッチングは現在の写真のような役割を担っていた。記事などにリアリティを与えるための絵だったのである。しかし画家の捉え方は違う。細部まで緻密に描き込める油絵とは異なり、大量生産を前提としたエッチングには表現の限界がある。そのため優れたエッチング画家は、写真のように現実を再現するのではなく、現実の諸要素をそぎ落としてある本質を表現しようとする。ゴヤもその例に違わない。ゴヤはまずデッサンを描き、そこから表現したい本質だけを抽出してエッチング作品に仕上げている。優れたエッチング作品はどこか古めかしい。古代の壁画のような印象を与えることもある。それはエッチングが油絵のようにリアリティを表現する絵画ではなく、画家が捉えた普遍的本質を表現するための絵画だからである。
カタログ解説でプラド美術館素描・版画部長のホセ・マヌエル・マティーリャ氏が、「作品の解釈者の数と同じだけのゴヤ像がある」と書いておられる。実際、ゴヤ作品の鑑賞は多様である。ゴヤは言葉と絵画との関係という意味でも先駆的画家だ。ゴヤはデッサンやエッチング作品に好んで言葉を書き入れた。たとえばエッチング作品の代表作の一つであり、『ロス・カプリーチョス』所載の『理性の眠りは怪物を生む』には、デッサン段階では『フランシスコ・デ・ゴヤが素描し刻んだ普遍的言語』というタイトルと『作者は夢見ている。彼の唯一の目的は、卑俗なる因習を放逐し、カプリーチョス(気まぐれ)によるこの作品によって真理の確たる証を永遠化することである』というメモが付けられている。これらの言葉からだけでも様々な作品解釈が生まれてくるだろう。しかしゴヤの場合、絵の中に隠された意味はないと言える。ゴヤが言葉から作品を構想し、作品から言葉を紡ぎ出したとしても、彼の表現主題は絵の中に十全に表現されている。ゴヤは生粋の画家だ。ゴヤ作品の多様な解釈は、本質的には言語化を拒む聖痕のような絵画から生じているのである。
ただ展覧会という場ではゴヤのデッサンやエッチングの大きさが問題になる。ゴヤのエッチングは個人が所有・鑑賞することを目的に作られたもので、せいぜい20×15センチ程度の大きさである。デッサンも同様である。これを混み合った会場で、しかもガラス越しにじっくり鑑賞するのは至難の業である。ゴヤの表芸である油絵と、裏芸としてのデッサン・エッチングとの対比で彼の『光と影』を明らかにしようという展覧会の意図は一貫しているが、多くの観覧者はそれに気付かなかったのではないかと思う。大多数の観覧者は『着衣のマハ』などの油絵の大作(95×190センチ)を楽しみ、小さく地味なデッサンやエッチングにはあまり注意を払わなかったのではなかろうか。ある程度いたしかたのないこととはいえ、美術展の難しさを痛感させられた企画展だった。
総評、展示方法、カタログともに平均点の80点です。資金にもスタッフにも恵まれている国立美術館ということで少し辛めの採点です。しかし素晴らしい展覧会でした。特にカタログが充実していました。巻頭のプラド美術館18世紀・ゴヤ絵画部長のマヌエラ・メナ・マルケス氏の論文はぜひお読みになることをおすすめします。フランス革命とそれに続くナポレオンの台頭で植民地化され、対仏戦争で独立を勝ち取りまた絶対王政に揺り戻るという、難しい時代を生きたゴヤの姿が生き生きと描かれています。しかし各作品の解説はいささか長すぎるのではないでしょうか。学術紀要論文を並べたような感じで、これを全部読む人は少ないだろうなぁと思いました。ただ逆に言えば最新のゴヤ研究の成果が一冊にまとめられているわけで、ゴヤ芸術に興味のある方には必携のカタログだと言えます。
鶴山裕司
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■