No.146『瀧口修造 書くことと描くこと』展
於=アーティゾン美術館
会期=2026/06/23~10/04
観覧料=1,500円(窓口販売)/1,200円(ウェブ予約)
カタログ=1,980円

■カテゴリー(3) 飛沫ノ遊ビ■
No.62 無題
1960年製作 水彩、インク・紙 縦33.6×横46.3cm
(前略)太陽氏は夢を結ぶ。純白の
瓶のなかに夢を結ぶ。 純白の秘密は永遠に純白に包まれて
純白の夢を結ぶ。 太陽氏よ、君の軽羅のような贈物は超経
験の隕石である。 それはぼくの純白の胸を叩く。 霰の碑
銘は純白の中心を遊泳し、金羊毛の海賊が眠っている。 見
給え、太陽氏よ、君の永眠の上に純白の鶴が舞う。 君の永
眠の帯青色の部分に愛藏された鯉の諧謔が球形の虚偽を告白
する。 ぼくは何も知らないものではないのだ。 たとえば
君の出入りする扉口。君のネオンの寝台は無限の眼で装飾さ
れている。 無限の時間の遭遇の眺望、眼ざめた金剛石の潜
水夫・・・
瀧口修造「実験室における太陽氏への公開狀」Ⅱ最終部(詩集『瀧口修造の詩的実験1927~1937』所収)
瀧口の詩集には詩画集『手づくり諺』(絵・ジョアン・ミロ)、『物質のまなざし』(絵・アントニ・タピエス)、散文詩集は『寸秒夢』などもあるが戦前の詩をまとめた『瀧口修造の詩的実験1927~1937』(昭和四十二年[一九六七年]刊)が最重要である。『詩的実験』以外は読まなくてもいいと言っていいくらいだ。久しぶりに本棚から抜いてザッと眼を通したが正直なところ「子どもっぽい詩集だな」と思った。瀧口さんの試みが子どもっぽいと言っているわけではない。日本の自由詩の青春時代のような初々しい詩集だと感じたのである。
「実験室における太陽氏への公開狀」は瀧口の代表作の一つである。初出は昭和四年(一九二九年)。シュルレアリスムは「シュルだね」という俗語があるようにわけのわからない詩や散文、絵画から派生して意味不明な人間の言動を揶揄する言葉になっている。それもそのはずで「実験室における太陽氏への公開狀」などを通常の意味文脈で理解するのは不可能である。ただ無意味な詩ではない。この詩で表現されているのはシュルレアリスムは究極の表現であると信じた詩人の精神である。

■カテゴリー(4) バーント・ドローイング■
No.71 無題
1962年製作 バーント・ドローイング・紙 縦38.5×横36.5cm
詩には「太陽」「純白」という言葉が頻出する。それはある究極的な表現様態を示唆している。究極を求める精神が「超経験の隕石」「金羊毛の海賊」「純白の鶴」「無限の眼」「無限の時間」といった言葉で荘厳されている。瀧口の全盛期のシュルレアリスム詩は使用されている単語とその頻度から読み解いた方がいい。後期になるにつれ詩から「太陽」といった究極を示唆する単語は失われ「夢」に置き換わってゆく。
詩は絶対を方向としたように見えた。つねに絶対は方向か
ら隠蔽するように見えたにもかかわらず。 しかし詩におけ
る絶対の探求のなかには実在性がいつか結合されているのに
気づく。 詩はユニークな無、あるいはそれを必ずしも二元
的な立場からでなくて、論理的に無詩ということのできるも
のから出発することは眞実である。 ぼくはぼく自身で定義
したいのだが、無はいつも超感覚的であり、超存在的である
精神をもっている。 詩は文学上の他と同じような一形式に
すぎないと誰れしも信じさせられながら、詩は反存在である
という明白な確信を同時に抱かされた。(中略)
ぼくは、通例、
錬金術的思想がいかに先験的な思惟の範疇から関係を失いつ
つあったかを知らないが、言語の自己反応の力があまりにも
封建的自我の犠牲になった瞬間、象徴の罪悪がおこなわれた
ことを知っている。 反応の観念的倒錯が象徴詩の佳什とさ
れた時代を記憶せよ。 完全の象徴詩が正統な情緒をのこし
たと考えることは誤謬である。 それは譬えばひとつの痒覚
をのこしたにすぎない。 詩は信仰ではない。 論理ではな
い。 詩は行為である。 行為は行為を拒絶する。 夢の影
が詩の影に似たのはこの瞬間であった。
瀧口修造「詩と実在」後半部分(詩集『瀧口修造の詩的実験1927~1937』所収)
「詩と実在」は『詩的実験』最後に置かれた作品である。初出は昭和六年(一九三一年)。詩としても詩的な評論としても読むことができる。「実験室における太陽氏への公開狀」ほどではないが「詩と実在」の意味文脈も捉え難い。ただ瀧口がこの作品を『詩的実験』を終わらせる詩としたことは重要である。

■カテゴリー(5) ロトデッサン■
No.76 無題
1971年製作 ロトデッサン・黒紙 縦15.5×横15.5cm
瀧口にはシュルレアリスムを至高の表現として捉えた時期があった。しかし「実験室における太陽氏への公開狀」など全盛期の詩が未完で終わっているように至高の表現などこの世に存在しない。短期間で瀧口の思考は至高性の不可能へと展開してゆく。「詩はユニークな無」であり「詩は反存在であるという明白な確信」だということだ。それを瀧口は象徴主義詩との対比で語っている。
「反応の観念的倒錯が象徴詩の佳什とされた時代を記憶せよ」という言い方は極めて乱暴だがボードレールからマラルメを終着点として続いた象徴主義は天上の事物が地上の事物に投影されていると考える万物照応を根幹思想としていた。神の居ます天上界と地上との交感は可能だと考える一種の神秘主義思想だった。しかしそんなことがあるはずもなく「それは譬えばひとつの痒覚をのこしたにすぎない」。マラルメの無である。
それは自由自在な表現可能性を持ったシュルレアリスムも同じではないのか。〝然り〟というのが瀧口が行き着いた思考だ。瀧口のシュルレアリスムは同時代の多くの文学者や画家たちと違い魔法のような技法や思想ではない。サンボリズムと同様にシュルレアリスムもまた至高の芸術の影である。「詩は信仰ではない。 論理ではない。 詩は行為である。 行為は行為を拒絶する。 夢の影が詩の影に似たのはこの瞬間であった」ということになる。

■カテゴリー(6) デカルコマニー■
No.94 無題
1964年製作 デカルコマニー・紙 縦10×横13.5cm
なぜそんなことが起こったのかと言えば、これは乱暴な直観になるが瀧口の精神が深くサンボリズムに置かれていたからだと思う。日本の自由詩は発生以来フランス象徴主義詩に強烈な影響を受けている。瀧口も例外ではない。自由詩の喩的表現のほとんどはサンボリズム由来のものだ。シュルレアリスムも基本技法はサンボリズムの延長上にある。その楽天的夢の先を瀧口は見た。シュルレアリスムの先にあったのはわずかに書く―描くことの初発の力、初発の自由だけだということである。
初期の瀧口は文学者ではブルトンに私淑し、画家ではミロやダリらに強い関心を示した。しかし後期になるとその興味はマルセル・デュシャンに絞られてゆく。デュシャンはダダイストである。第一次世界大戦の悲惨と荒廃から一歩も動こうとしなかった。人間の尊厳は一次大戦で破壊されたのであり芸術もまたそうである。その無に近い荒廃の中からわずかに染み出した初発の創作欲動だけをレディメイド作品などで提示した。
シュルレアリスム自体の特徴は概ね二つある。一つは社会改革運動である。シュルレアルは現実(レアル)のシュル(上位)という意味であり、芸術によって荒廃した社会の上位審級にある理想社会を創り出そうという運動だった。トリスタン・ツァラが始めた全てを破壊するダダイズム運動とシュルレアリスム運動が袂を分かった理由である。ブルトンはトロッキーに接近しアラゴンは共産党員になった。
もう一つは――社会改革運動とも関係しているが――人間同士の友愛である。ブルトンはフィリップ・スーポーと『磁場』を、ポール・エリュアールと『処女懐胎』を共作した。欧米では絶対かつ唯一無二の個の自我意識を超えて他者精神と溶解するような表現を模索したのだった。それは美しい夢だ。シュルレアリスムの夢の解放といったテーゼはこの二つの大きな特徴のトレードマークのようなものである。
日本の詩で言えば瀧口は芸術至上派だった(師の西脇も同じ)。瀧口は昭和十六年(一九四一年)に画家の福沢一郎とともに治安維持法の嫌疑で特高に検挙された(起訴猶予処分で釈放)。特高の刑事たちは当時のインテリでありフランスシュルレアリスムが社会改革運動であることを知っていた。しかし瀧口や福沢にまったくそんな意識はなかった。取調中に特高の刑事と瀧口の間で噛み合わない議論が繰り返されたことが知られている。シュルレアリスムの導入者でありそれを代表する作家だが瀧口のシュルレアリスム理解は一面的だった。

■(7) 手作り本、オブジェ、共作■
No.140 無題
1962年製作 デカルコマニー・紙 縦3.3×横4.8cm 海藤日出男旧蔵
シュルレアリスムの二つの特徴は戦後になってようやく真正面から受容された。シュルレアリスムの社会改革運動的側面を表現したのは飯島耕一が最初である。自我意識を超えた他者との無条件的友愛を文学作品で試みたのは朝吹亮二だ。朝吹は同人誌「麒麟」の時代に松浦寿輝と共著詩集『記号論』を、林浩平、松浦寿輝、松本邦吉、吉田文憲らの同人と共著詩集『レッスン』を上梓した。朝吹の『アンドレ・ブルトンの詩的世界』を読めば彼が正統シュルレアリストであることがわかる。日本の詩におけるサンボリズムとシュルレアリスムの影響は根深く今も続いている。
僕はシュルレアリスムへの関心から瀧口をかなり一生懸命に読んだ時期がある。が、理由はそれだけではない。瀧口は富山県出身で同郷である。日本人の特徴といっても千差万別で細かく見てゆけば例外だらけだが、富山県人の特徴として僕が捉えているのは理屈っぽい観念性である。根深く浄土真宗が浸透した富山では理屈っぽい人が多い。ドストエフスキーが描いた田舎の村――しかし神はいない――のようだと感じることもある。故郷に対する感情はアンビバレントなものになりやすくご多分に漏れず僕もそうで、瀧口に魅せられながら近親憎悪的なものも感じていた。瀧口よりその師の西脇をより読むようになったのはそのせいでもある。
瀧口はシュルレアリスムの先にある種の絶対的不可能を見たわけだが、こういった思考はまあ言ってみればフランス文学独自のものである。神に近接し神に拒絶される。その不在が新しい思考や文学を生む。ポストモダニズムに至るまでその繰り返しだ。
乱暴なことを言えば仏文的思考は蛸壺的なものになりやすい。瀧口はシュルレアリストだがその思考方法はサンボリズムとあまり変わらない。本質的にはサンボリストじゃないかと思う。結局は不可能性を巡るからだ。僕はこの仏文的蛸壺からエズラ・パウンドらの英文学詩を読むことで抜け出した。アメリカ詩は詩は詩に過ぎない、文学は文学であり現実は露骨なまでに目の前にあるという徹底したリアリズムから生まれた文学である。ただ子どものころに読んだ文学は生涯つきまとうものでその気になればいつでも仏文的観念性に揺り戻ることができる。
これもまた乱暴な言い方だが瀧口的蛸壺思想は行き止まりだとも高貴で美しいとも言うことができる。瀧口は至高表現は不可能だと考え表現の初発に留まったわけだがデュシャンのように殺伐としたアート作品を作らなかった。どの作品も審美的に美しい。このあたりが瀧口の真骨頂であり限界でもあったと思う。
西脇順三郎は瀧口を日本芸術院会員に推薦し、会員になるよう説得するために自宅を訪問した。瀧口は「自分などはとんでもない」と辞退したわけだがそれが瀧口の非―権威的な精神を表した逸話として伝わっている。ただ西脇は瀧口の家を辞した後に同行した鍵谷幸信に「瀧口は菫だな」と言った。膨大な蔵書やアート作品に囲まれた瀧口の部屋を見た印象だろう。菫は美しいが弱い。瀧口アートを純粋美と捉えるのか、いささか少女趣味的な箱庭アートと捉えるのかは見る人の自由である。ただ瀧口アートは今では美術館が欲しがるような二〇世紀前衛芸術の古典として定着したようだ。
鶴山裕司
(2025 / 07 /24 22枚)
■鶴山裕司の本■
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■


