
短歌研究2026年3+4月号では「二大レジェンドをダブル特集」「奥村晃作の研究」「平井弘の研究」が組まれている。奥村晃作、平井弘さんはともに昭和十一年(一九三六年)生まれ。終戦時九歲、六〇年安保時二十四歲。決定的戦争体験はしていないし六〇年安保の団塊の世代ともズレる。塚本邦雄ら戦後前衛短歌の歌人たちよりもひと世代下。激動の昭和史の中では微妙な生まれ年である。それがお二人の作風に関係するのかどうか。結論を先に言えば「する」とも「しない」とも言える。文学の評価なんてそんなもの。これも結論めいたことを先に言えば「する」と言えばお二人は戦後短歌の傍流。「しない」と言えば口語短歌の先駆者になるかもしれない。しかしどちらもマトを射貫いている感じがしない。またお二人の短歌、だいぶ質が違う。
鎌倉や阿弥陀仏なる御仏は露天に坐して日銭を稼ぐ
商魂のこの逞しさ、朝刊にチラシ三十枚、鰻を食えと
チラシ見て蒲焼買って妻と食いホント旨かった鰻の蒲焼き
本当のリーダーならば富豪から巨富取り立てる税制作る
機械らはなぜカンペキか踏切の開閉見てもカンペキである
奥村晃作
(石川美南レジュメ「ただごと歌/思考する私」より)
石川美南さんセレクトの奥村さんの代表歌である。奥村短歌と言えばたいていの人が挙げる歌である。作風は平明で日常を歌っている。この歌風は「ただごと歌」と呼ばれる。では「ただごと歌」とはなにか。
物については正確な描写を行い、事については正確な叙述を行なう。〈正確な〉というのは、物・事に則しての素の、直の表現を目指すことであり、それは〈直言〉の表現を目指すことであり、それは〈直言〉表現に徹することである。
〈直言〉表現に対するものは〈修辞〉表現であるだろう。
内容・世界における〈只事〉を表現で歌い上げるわたしの短歌は、正真正銘の〈ただごと歌〉である。
奥村晃作 歌集『鴇色の足』「あとがき――わたしの歌の立場」より
「ただごと歌」の必要十分な説明である。鰻を食えという新聞チラシを「商魂のこの逞しさ」と批判しているが「チラシ見て蒲焼買って妻と食いホント旨かった」わけだから商魂批判も鰻の旨さもその時々に思っただけのこと。「本当のリーダーならば富豪から巨富取り立てる税制作る」にしても歌人で特別な人間(かもしれない)私の大上段の社会批判ではない。ふとそう思ったに過ぎまい。「機械らはなぜカンペキか踏切の開閉見てもカンペキである」は解釈のしようがない。おっしゃるとおりで踏切の遮断機の開閉がカンペキでなければ大変なことになる。
奥村さんは「〈直言〉表現に対するものは〈修辞〉表現であるだろう」と書いておられる。この修辞は短歌では多くの場合〈私の抒情表現〉に関係する。では抒情表現はどんなレトリックで成立しているのかといえば、現在から過去の出来事を振り返って言語的に可能な限りドラマチックに仕上げるのである。これは自由詩の抒情詩などでも同じである。
奥村さんの「ただごと歌」には現在しかない。もうちょっと正確に言うと現在と現在の延長線上にある明日の時間軸しかない。大事故などに遭って一瞬で死んでしまうことなど稀でまたそうなれば歌など詠めないわけで、病気だろうと近親者の死だろうとそれは今日と変わらぬ明日へと続く。なにがあろうと今日と同じように明日も生きていくのだ。それがわかっていれば今日の出来事を決定的ドラマと捉えることはできない。
転倒のわれ上唇の内側が大きく裂けて温き血溢る
上下の入れ歯外して流動食、喉に流し飲む牛肉またプリン
あといかほど生かさるるかは知れぬども歌作り、読み、佳き歌を推す
非力なるわれカミサマに許されて短歌の事だけやって居ります
大きなるちからが決める事だから友の癌死も容れるしかない
奥村晃作
(石川美南レジュメ「老い・病→生きるための短歌」「許しと受容」より)
今日となんら変わりない明日がやってくるわけだから「ただごと歌」が口語現在形になるのは当然である。ではこの「ただごと歌」はなぜ奥村短歌の代名詞になっているのか。
可能性は二つある。一つは意識的選択、もう一つは快楽原理である。意識的選択なら同時代短歌への何らかの反発があるはずだがその気配はない。なのでこういう歌を詠むのが楽しいという快楽原理と考えるのが自然だろう。
余計なお世話だがなぜそんな快楽原理が生じたのか推測することはできる。自我意識の小ささである。近・現代歌人はほぼ全員が肥大化した自我意識を抱えている。しかし奥村さんにはそれが薄い。『古今』以前にあったような自我意識の小ささだ。『伊勢物語』最終で昔男はああ俺も死ぬんだなと思って「つひにゆく道とはかねて聞きしかどきのうけふとは思はざりしを」と詠んだ。奥村さんならこういった歌を遺せるかもしれない。特集を読んでいると人望厚い歌人である。俺が俺がの自己主張が薄いお方なのだろう。
空に征きし兄たちの群わけり雲わけり葡萄のたね吐くむこう
平井弘 歌集『顔をあげる』より
よく知られているように平井弘さんは第一歌集『顔をあげる』で戦死した兄を詠った。しかし実際には平井さんに戦死した兄はおらずそれが短歌でフィクションを援用するのは可か不可かという議論になった。単純なようだが短歌では根深い問題だ。歌壇では定期的にこの問題が持ち上がる。
短歌は五七五七七定型である。そして短歌定型は〈私〉による最短の〈世界分節〉である(短歌より短い五七五俳句では写生による〈像〉になる)。風景描写でも心情表現でも〈私〉が最低限度の文字数で外界や内面を分節するのが短歌だ。そこにフィクションが入り込む余地はない。短すぎる。短歌から夢想して物語=小説(フィクション)が生まれることはあっても三十一文字でフィクション世界は作れない。
この問題に対する平井さんの立場というか回答はわかったようでわからない。実体験ではないにせよ時代の大きな雰囲気を詠もうとしたのなら塚本邦雄のような大上段の批判意識があってもいいはずだ。しかしない。むしろ微妙な形でフィクションの方へ進んで行った気配だ。
ここいらで縊られたのは憶えてゐますとよびとめて鶏頭がいふ
こんなに軽いものだつたつけ散骨のやうなさくらが手を離れるは
どの本棚からだつてほんたうのところアンネのへやへははひれます
忘れるまでもなくいれ替はるおまへが生まれたのだつてそんなこと
犬を飼へますかつて答へやうがない生かしておくつてことだよね
始まつたよさうかいはじまつたのかい花はしまつておいてかねえ
平井弘
どこからどう読んでも正調平井弘短歌である。平井さん作だとすぐわかる。しかしどの歌もなにか言いたげなのだがよくわからない。はぐらかしと言いかけて止めたような表現の繰り返しだ。
平井さんはインタビューで自分の歌は一貫して戦争をテーマにしているとおっしゃっている。短歌の関節を外す歌だとも言っておられる。しかしこれがよくわからない。テーマ戦争 & 短歌の関節を外す技巧と作品の間に欠けているパーツがあるように感じるがそれは永遠にわかりそうにない。
戦中派で戦後の混乱を知っておりそこで世界への虚無感を抱えたのならもっと違う表現があったのではないか。「戦争に行ったのがそんなに偉ぇのかよ」的な従軍派文学者に激しく反発しながら、目の前にあったカーニバルのような戦争がフッと消えてしまったノスタルジーを主題にした寺山修司の方がまだ親近感が持てる。
平井短歌も現在形だが完全過去なら何かを言い切らなければならない。また旧字を完全排除しているわけでもなく促音は昔ながらの大文字。理由ありげだがよくわからない。決定的な何ごとかを言わないという意味ではニューウェーブ短歌に近いが似ているのはそのくらいだろう。平井短歌はスタンドアロンだと思う。
世の中には十年、三十年、百年一日の作家がいる。それとは逆に限りある人生に焦っている作家もいる。僕は後者なので申し訳ないですが平井短歌、タイプじゃないですねぇ。
鶴山裕司
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