『ミッション:8ミニッツ』Source Code 2011年(米)
監督:ダンカン・ジョーンズ
脚本:ベン・リプリー
キャスト:
ジェイク・ギレンホール
ミシェル・モナハン
ベラ・ファーミガ
ジェフリー・ライト
上映時間:94分
陸軍大尉のコルター・スティーヴンスが目覚めると、そこは列車の中だった。向い側に座っている女性は、何故か彼を「ショーン」と呼び、親しげに話しかけてくる。さらに自分の顔が映るはずの鏡には、見知らぬ男の顔が映っていた。そして突如、列車は爆発。再び目覚めると、そこは暗室のカプセル。そこで彼はモニターに映る女性から、自分が軍の極秘任務に就いていることを告げられる。それはソースコード(人間が死ぬ直前に見聞きした8分間の記憶を元に仮想世界を構築し、その人物の意識に入り込むことができるというシステム)を用いて、シカゴで起きた乗員乗客全員死亡の列車爆破テロの犠牲者となったショーンという男の意識に侵入し、後に続く爆弾テロを防ぐために8分間で犯人を捜し出すというものだった。
一見すると緊張感を喚起させることを目的としたサスペンス映画のように思えるが、本作は緊張感よりも常に観客に提示される「謎」を魅力の一つとしたミステリー映画であり、そのジャンルにおける秀作である。しかしミステリー映画の醍醐味であり本質でもある「謎」の数々だけで魅力的な作品になるわけではない。本作が十分に魅力的で観客を引き込む力が強いのは、恐らく脚本の省略の巧さが関連していると思われる。では本作は一体何を省いたのだろうか。
それは勿論、彼が任務に就くまでの過程である。彼が一体何者で、彼の身に何が起こり、どのような過程で8分間を繰り返すことになったのかが省略され、ほとんど語られないまま、わずかな情報だけで「犯人捜し」がスリリングに行われる序盤の展開は、まさしく省略の巧さが詰まった展開と言える。ハリウッド映画に多く見られた状況説明が省かれ、回想で明らかにすることもなく、常に時制は現在進行形で語られていく脚本構造のおかげで、観客は彼に一体何が起きているのかを全く知らされずに、「これは何の任務なのか」「さっきまでヘリに乗っていた自分が何故突然この任務に就くようになったのか」「自分の身に何が起こっているのか」という様々な謎を主人公と共に解いていかなければいけない。この連続的に投げかけられる「謎」と「答え」は、観客をミステリー映画の快楽へと浸らせると同時に、すぐさま主人公に感情移入させる役割を持っていると言えるだろう。
だが本作の巧妙さは、そうした謎と答えにあるわけではないし、そうしたミステリー要素は、あくまで観客を序盤で引き込ませて主人公の立場と同一化させるための脚本術であって、本作の価値はその先に描かれる主人公スティーヴンスの個人的責務にあるのではないかと思われる。すなわち「男」としての社会的役割を全うしようとする主人公の人生をかけた旅路である。
■ジェンダーとしての「男」の旅路■
そもそも本作の中盤で、主人公のスティーヴンス大尉が実はヘリコプターの墜落によって植物人間の状態であることが明かされる。カプセルの中にいたと思っていた彼自身は、脳内の意識であり、彼は脳で仮想現実の世界(シミュレーションの世界)に侵入していたということだ。しかも彼の脳が生きていることや作戦そのものは極秘扱いであり、世間では彼がヘリの墜落によって死んだということになっていた。また彼の父親との別れ際に交わした言葉は、最期の言葉にしてはあまりに悔いが残るものであり、父もスティーヴンスもそのことを悔やんでいることが明かされる。この出来事や後悔は一見すると本作のようなスリリングなミステリー映画には不必要であるように思えるが、終盤における彼の言動を見れば、極めて重要な出来事になってくるだろう。
事実、中盤に真実を聴かされた彼は、終盤において女性ナビゲーターのグッドウィンの手助けを借り、もう一度爆弾テロ直前の8分間に挑み、そこで彼は爆弾テロの犯人を捕まえてテロを防ごうとし、父親に電話を入れて後悔していることを告げ、彼が意識の中に入り込んでいる「ショーン」という男性と恋仲にあるクリスティーナを恋人として迎え入れようとするではあるまいか。これらの行為は、既に犯人の名前が明かされ、未来に起こるもう一つの爆弾テロを未然に防ぐことに成功した時点で無意味であるし、なおかつ仮想世界では何をしても現実の世界に反映されないのであって、既に死んだ乗員乗客は戻ってはこない。そのためグッドウィンも彼の行いは理論的に意味を成さないと告げるが、彼は一切聞こうとしない。むしろ彼は、この仮想現実だと思われていた世界は、実は、現世界とよく似たもう一つの世界、すなわちパラレル・ワールドであると推測し、そこで彼は自分が人生でやり残してきたことすべてを完結させようとするのだ。
興味深いのは、彼が選択し、人生最後の清算において成し遂げたのが、いずれも社会的な男性性の役割とみなされているものばかりという点である。まず彼が仮想世界の中でテロを未然に防いだことは、国に仕える軍人としての職務(duty)であるし、それは男性の仕事に対する忠誠と職務を全うすることへの誇りであるように見える。また父親に対して酷い態度をとってしまった事に対する謝罪と和解は家父長制の家庭において重要な事柄ではないだろうか。そして仮想世界で出会ったばかりのクリスティーナにキスをして、恋を成熟させることは、男性にとって最も有意義で価値のある行為であることは言うまでもない。
これらの言動と社会的な男性性との結びつきを考えれば、彼が仮想世界で行ったこれらの行為は、すべて彼が生前に男性としてやり残した(社会的な男性性として理想的な)行いであることがわかるだろう。故に本作は、死人状態となった主人公が生前に男性としてやり残したことを完結させる旅路であり、国に、父に、女性に仕えることを最大の美徳としたアメリカの父権社会における男性中心主義的な旅路と言えるかもしれない。
そうした男性性の美徳さを際立たせて賛美するために、本作は主人公に精神的な死を与えない。軍側からの指摘によれば、本来、医療プラグをグッドウィンに抜いてもらったとしても彼の精神は死ぬし、仮想世界でテロを未然に防いでも結局その世界は8分間しか持続しないということだったが、彼はグッドウィンに医療プラグを抜いてもらったことで肉体という牢獄から解放され、魂ないし精神は、爆弾テロを未然に防ぐことができた別の世界(パラレル・ワールド)に止まることになった。主人公が推測したように、彼が何度も訪れていた世界はプログラムが作り出した仮想世界ではなく、現実と似ているが少し異なるパラレル・ワールドの世界だったのである(鏡のオブジェに映る様々な虚像は、そうしたパラレル・ワールドを暗示しいているし、主人公は「ここが僕らの世界だ」と言っていた)。
このように人生を清算させ、また新たな世界で再出発をするという理想のエンディングは、若くして命を落とした陸軍兵士にとってユートピアとも言える展開であり、それは男性性の役割を実社会の中で身に染みて理解し、無意識に肯定しているほぼ全ての観客にとってのハッピーエンディングとなるだろう。スリリングな謎解きや気を抜いて見ていると難解に思えてしまうエンディングを解読するのも本作の魅力ではあるが、一方で本作は男性性の役割が前提となり、それを無意識的に理解した上で爽快感を得ることができる男性中心主義的な物語展開を有した作品であると思われる。
又、このようなエンターテイメントの裏に隠れている主題は、本作『ミッション:8ミニッツ』だけに内在しているわけではない。ほとんどの映画作品の裏にもこうした主題や暗喩が隠されており、それを熟考し、明らかにすることはその作品の価値を決める上で重要な判断材料になるのではないだろうか。そういう意味においても筆者は本作を的確な省略によって構成された脚本に恵まれ、ロマンス映画としても魅力に溢れ、なおかつスリリングなミステリーの連続に酔いしれる作品であると同時に暗喩的な主題を表現したミステリー映画の秀作と位置付けたい。
後藤弘毅
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■