鶴山裕司 歌誌時評 角川短歌 2025年月05月、06月号をアップしましたぁ。角川短歌誌の時評3本です。歌誌は安定していますね。結社や師弟制度のある世界ですがかなり風通しがいい。言いたいことをストレートに言える雰囲気があります。
安井浩司-鶴山裕司のラインで〝俳句には伝統がなく伝承しかない。俳句は芭蕉「古池」の一句から全く変わっていないからだ。「古池」一句を知っていれば誰でも俳句は書ける。つまり俳句には「古池」の伝承しかない〟という、まあ乱暴と言えば乱暴な批評があります。でもま、大局的に言って本当のことです。このくらい絶望的認識を抱かなければ、万年平穏無事でナニゴトモナシの俳句界は泡だたないんぢゃなかろか。
俳句は〝俳句本体(俳句御本尊)〟への滅私奉公の世界です。俳人さんたちは膨大な俳句を選句し添削し、文章や会合で俳句のテニオハ指導などを行い、自分の句集を纏めながら、それを解体して〝俳句本体(俳句御本尊)〟そのものである『俳句歳時記』の制作に血道を上げたりしておられます。各時代に『俳句歳時記』が作られその選者は各時代を代表する俳人だったりするわけですが、自分の俳句がそこに入れば満足。自分を含む俳人たちの個の仕事を解体して〝俳句本体(俳句御本尊)〟に滅私奉公していることにまったく気づかない。まー奇妙な世界です。俳句とは『俳句歳時記』と呼ばれる一冊の本。個人の仕事はその共同墓地に納まる。共同墓地に入れてもらえば大成功。安井浩司さんは短冊を嫌いました。卒塔婆みたいぢゃねーかと言ったらしい。確かに(笑)。
俳句に対して短歌はおっそろしく厄介。青春tweetのようなニューウェーブ短歌はこれからも浮いては消えると思いますが、歌人として生き残るには歴史を溯る必要がある。塚本邦雄・山中智恵子さんはほんの近過去ですね。
■No.121 鶴山裕司 歌誌時評―「没後二〇年 塚本邦雄」(角川短歌 2025年月05月号 上篇)■
■No.122 鶴山裕司 歌誌時評―「没後一〇〇年 山中智恵子」(角川短歌 2025年月05月号 下篇)■
■No.123 鶴山裕司 歌誌時評―特集「平明と奥行き」/花山多佳子『三本のやまぼふし』(角川短歌 2025年06月号)■
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