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『少女たちの遺言』(1999)

『ボイス』(2000)

『友引忌(ともびき)』(2000)

『箪笥<たんす> 』(2003)

『狐怪談』(2003)

『4人の食卓』(2003)

『コックリさん』(2004)

『VOICE ヴォイス』(2005)

『鬘 かつら』(2005)

『ベストセラー』(2010)

『The Cat ザ・キャット』(2011)

 

ホラー映画における最後の秘境

 近年、ジャパニーズ・ホラーは衰退期ないし転換期に入ったと言われ、イタリアン・ホラー(イタリア製ホラー映画)は「ホラー映画における最後の秘境」と謳われてきた。しかし、今、世界で最も注目されているホラー映画作品群がある。それがコリアン・ホラー、すなわち韓国製のホラー映画である。

 現在の日本では、コリアン・ホラーを往々にして「韓国ホラー映画」と呼ぶなど、「コリアン・ホラー」の呼称や作品の認知度は低いように思える。しかし2013年にはアメリカで『Korean Horror Cinema』が刊行されるなど、世界ではコリアン・ホラーへの注目度が非常に高まっていると言えるだろう。

 では、コリアン・ホラーがそれほどまでに研究者から注目されているのは何故だろうか?また韓国製ホラー映画の魅力とは何だろうか?本稿ではそうした問題を考えるために、いくつかの代表的作品を取り上げ、コリアン・ホラーが〝慣例〟として所有する要素に迫っていき、その特殊性を見極めたいと思う。

 ところで聊か唐突ではあるが、『女校怪談』(98)という作品をご存じだろうか?韓国版学園ホラーとも言える『女校怪談』は、韓国で社会現象とも言える人気を獲得し、コリアン・ホラーが数多く製作される土台を形成した作品である。『女校怪談』ブームの98年以降、韓国のホラー映画は数多くされ、その人気は今日まで続いており、『女校怪談』はコリアン・ホラー・ブームの火付け役という点で貴重な作品だと思われる。

 また同時に、女子高で多発する不可思議な事件や怪異現象を描いた『女校怪談』は、世界に排出されるまでに至ったコリアン・ホラーの演出的方向性、すなわちコリアン・ホラー作品の〝約束事〟を固定化させたという意味でも重要な作品である。では、『女校怪談』ないしコリアン・ホラーが抱えている約束事ないし〝慣例〟とは何だろうか?次項では早速コリアン・ホラーの典型的な要素をあげていくとしよう。

 

幽霊という名の殺人鬼

 『リング』の脚本家である高橋洋が「幽霊が怖いのは襲ってくるからではない[中略]下手をすれば迫り来る幽霊の姿はひどく人間臭いものになりかねない」と述べているように、ジャパニーズ・ホラー作品に登場する幽霊は、物理的な攻撃性を示すことはほとんどなかった。Jホラーが転換期にある今日においては、しばしば物理的攻撃をしかける幽霊も存在するが、それはまだごく少数であり、依然として「幽霊は立っているだけで怖い」というのが定説であるように思える。

 また一方でハリウッドのホラー映画に登場する幽霊は、しばしば攻撃性を有しているが、姿かたちがモンスターのようであるか、一切姿を現さないのが一般的であり、『13ゴースト』(01)『たたり』(63)が典型的な幽霊描写ではあるまいか。

 いずれにせよ、日本やハリウッドは、幽霊を徹底して「人間ならざるもの」として描いてきたのである。だからジェイソンやマイケル・マイヤーズのような殺人鬼とは異質の存在であったし、誰も幽霊を殺人鬼とは思わなかった。また殺人鬼と思われること自体、極力避けてきたように思える。

 では、韓国のホラー映画、コリアン・ホラーはどうだろうか。とりあえず下に示した『女校怪談』に登場する幽霊を見ていただきたい。

 お分かりいただけるだろうか。ちなみに幽霊は左側の女子高生である。ナイフを持ち、胸元には被害者の返り血までもが確認できることから明らかなように、本作において幽霊は人間と同じように凶器を持って襲ってくるのだ!しかし、この描写はコリアン・ホラーにおいて珍しくない。本作だけではなく、コリアン・ホラーにおける幽霊は往々にして武器や強靭な肉体を有した殺人鬼なのである!

 友人たちによって殺害された女性が復讐のために加害者たちを次々と惨殺していく『友引忌』(00)では、金属バットで殴り殺したり、顔面を鷲掴みにして肉や目玉を抉ったりするなどアルジェント映画のような拷問的殺人を見せつけるし、『コックリさん』(04)では幽霊が憑依した女性が被害者にまたがってナイフを振り下ろす。

 また典型的な心霊ホラーに思える『箪笥』(03)でも主人公の女の子を痛めつけるのは幻想幽霊のステップ・マザーであり、肉体的暴力が強調されていた。レズビアンの女子高生三人を巡って巻き起こる嫉妬と憎悪をホラーとして描いた『狐怪談』(03)でも執拗に追いかけてくるサイコ・キラーの幽霊を描いていたし、『ヴォイス』(05)でも紙が首に突き刺さるという想像を超越した攻撃性を見せている。

 コリアン・ホラーにおける一見すると滑稽な幽霊の表象(ナイフを握りしめ襲ってくる姿)は、恐らく欧米圏のスラッシャー映画とJホラーの幽霊を文字通り混合させたものであろうが、かなり奇妙な光景として捉えられるのは必須である。

 この点を笑ってバカにするのも良いが、ホラー映画史において、これほどまでに肉体的・物理的攻撃性をはっきりと示す幽霊も珍しいと見れば、いささか興味深い。それは「キョンシー」というゾンビ幽霊を見た時の新鮮な驚きとよく似ており、我々は韓国製のホラー映画を通して、奇妙かつ滑稽で忌まわしい「殺人鬼幽霊」の姿に驚かされるだろう。

 又、こうした新鮮極まりないイコンは、貞子やジェイソンのように特定のキャラクターではないという点でも興味深い。すなわちコリアン・ホラーは、「殺人鬼幽霊」、いや「幽霊殺人鬼」によって、新たなホラー映画の驚きを提供してくれる作品群なのである。

 しかしコリアン・ホラーが有すジャンル的〝慣例〟は、「幽霊殺人鬼による残虐的殺戮」だけではない。コリアン・ホラーにおける二つ目の慣例は、コリアン・ホラーにおける被害者ないし加害者の異常な性愛、すなわち「異常愛の表象」である。

 

異常愛の表象

 コリアン・ホラーは台詞や物語内として(ほとんど作品において)明確に語りはしないが、それとなく主人公たちの異常愛をほのめかしているように思う。『少女たちの遺言』(99)『狐怪談』『ヴォイス』『箪笥』はレズビアン同士の愛。『女校怪談』は死者と生者の愛あるいは友情。『コックリさん』は霊能力者ないし霊との愛。『鬘』(05)は鬘への異常な愛情。『輪廻 リ・インカネーション』(04)は前世のネクロフィリア。『ボイス』(00)は少女と大人の違法な性関係あるいは幼き娘と父親の近親相姦的イメージである。

 こうしたいくつもの異常性愛をホラーと絡めるあたりは、保守的な価値観が働いているとも読み取れるだろう。だが何よりも重要なのは、この異常愛の表象が、偏に観客をアブノーマルな世界へ引きずるための要素ないし魅力として機能していることではないだろうか。またしばしば登場するロリータ・コンプレックスに訴えかける描写は、ホラーとも相俟って禁断の世界に没落していくイメージとしての快楽を催しているように思える。そして、その禁断の果実は、もう一つのコリアン・ホラーの〝慣例〟に作用する。すなわち「謎(ミステリー)の連続性」である。

 

謎、謎、そして、謎…

 コリアン・ホラーは、往々にして幽霊の出現理由や登場人物の関係性、ストーリー展開の道筋を徹底して隠し、作品全体に「謎」を散りばめて進行する傾向にある。ホラー作品をミステリー(謎)で染め上げるという奇妙な〝慣例〟は、コリアン・ホラーのルーツ『女校怪談』から確認できる。

 本作のオープニングでは夜の学校で年配の女教師が卒業アルバムを見て、なにやら年号を書いているのが確認できる。そして彼女は、ある女性の名前を告げて、無残に殺されるのだ。ここまでは、観客を引き付けるためのミステリーであるわけだが、その後、本作は「なぜ若い女性教諭は不安そうにしているのか」「なぜヒロインは死んだ女教師の絵を描いてしまったのか」「なぜ教員ばかり殺されるのか」「何の目的で幽霊は出現するのか」「誰が幽霊なのか」という物語を理解するうえで重要な謎をいくつも提示していた。

 こうした劇的な謎の連続性は、『ヴォイス』『友引忌』『鬘』『箪笥』『輪廻 リ・インカネーション』(04)『ボイス』『Mirror 鏡の中』『狐怪談』『4人の食卓』(03)などにおいても一貫しており、しばしば恐怖を望む観客を飽きさせることもあるだろう。しかし見方をあらかじめ「ミステリーありき」として臨めば、コリアン・ホラーは「結末を愉しみにするホラー映画」という奇妙な映画作品群と化すのである。

 

コリアン・ホラーの愉しみ方

 元来、ホラー映画はその名の通り恐怖を愉しむジャンルであり、感性的な究極の娯楽ジャンルと見なされてきた。しかしコリアン・ホラーは、極度のミステリーをいくつも散りばめ、観客の興味を必ずしも恐怖だけに向けさせない。だから恐怖だけを愉しもうとするとコリアン・ホラーは、それを拒否し、物語の結末(異常愛の結末。あるいは殺戮の折り合い)がどのように解消されているかに着目させようとする。

 そのため恐怖体験を重視するジャパニーズ・ホラーのように恐怖を体験しようと執拗に反発するとコリアン・ホラーは愉しめないのである。コリアン・ホラーを愉しむためには、幽霊となった殺人鬼、いや殺人鬼となった幽霊の登場や、大掛かりな複数のミステリーを前提とし、異常性愛(時折見せるロリコン趣味)に身を任せ、その〝慣例〟となった「お決まり」を魅力として受け止めることに他ならない。

 コリアン・ホラーがしばしば日本人から無視されるか敬遠されるのは、往々にしてJホラーへのこだわりがあるからかもしれない。一見すると馬鹿げた失敗作のJホラーもどきに思われるが、実はコリアン・ホラーには、欧米圏のスラッシャー映画の要素と日本の心霊ホラーのテイストを混合させ、ミステリーと異常愛を混ぜた混成映画としてのオリジナリティが存在するのだと筆者は考えている。

 あえてコリアン・ホラーの特殊性をあげるとするならば、そうした大胆な複合性にあると言えるだろう。そういう意味でもコリアン・ホラーは世界中のホラー映画の中で最も異色で奇妙なホラー映画作品群ではないだろうか。幽霊がナイフを持って襲ってくるという「幽霊殺人鬼による残虐的殺戮」、時折見せる「異常愛の表象」、「壮大かつ複数のミステリー」を約束事とし、それらを混合させて世界のホラー映画と近似性のあるホラー映画を量産するコリアン・ホラーは、まさしくホラー映画界の最後の秘境であり、最先端を行く奇妙なホラー・シネマである。それ故、Jホラーやハリウッドのホラー映画に飽きた方だけでなく、まったくホラー映画を見ない観客にとってもコリアン・ホラーは、新鮮な映画作品として映るのではないだろうか。尚、下に日本で観られる代表的なコリアン・ホラーを挙げておいたので、参考にしていただければと思う。コリアン・ホラーが日本でも関心の対象になることを願って。

後藤弘毅