『特別展 古代ギリシャ-時空を超えた旅-』

於・東京国立博物館館

会期=2016/06/21~09/19

入館料=1600円(一般)

カタログ=2800

 

 

 

 

 ホメロスの『イリアス』と『オデュッセイア』は、他の国々の年代記や神話と同様に、アカイア人(ギリシャ人)の民俗意識の高まりによって生まれた叙事詩である。ホメロスの実在は証明されていないが、恐らくその大部分が一人の人間によって書かれただろう。『イリアス』と『オデュッセイア』は続き物の叙事詩である。『イリアス』はトロイア(イリアスの地)に対するギリシャ人(アカイア人)の戦争(トロイア戦争)が題材で、アガメムノン王と英雄アキレウスの確執と、アキレウスによるトロイア王の長子・ヘクトルとの一騎打ちを描いている。『オデュッセイア』はアカイア人の策士・オデッセウスがトロイア戦争終結後、十年に渡る漂流と冒険の後、故郷イタカに戻って妻ペネロペに言い寄っていた求婚者らを成敗するまでの叙事詩である。

 

 『イリアス』と『オデュッセイア』は、ホメロスの時代まで文書や口承で受け継がれたギリシャの神話的物語をまとめた叙事詩である。『イリアス』からはギリシャ人の民俗・文化共同体意識が、他民族や異なる文化共同体の習合によって形作られていったことがわかる。『オデュッセイア』はギリシャ人が海洋民俗であることをはっきり示している。オデッセウスは各地を漂流するが、それは地中海沿岸の島や国々であった。それが〝世界〟であった数百年の間にギリシャ文明は高度な発展を遂げたのである。

 

 また神話叙事詩なので、『イリアス』と『オデュッセイア』の登場人物たちは神々の意志に沿って動く。しかし神々は無謬ではない。人間はさらに矮小で臆病で、ときおり勇敢になる。アキレウスとの一騎打ちに臨んだヘクトルは、逃げ回ってイーリオスの城の回りを三度も回る。オデッセウスはさらに小心で用心深い。常に知恵と策謀によって危機を乗り切ってゆく。そこにはホメロスに集約されたギリシャ人の人間理解がある。人間を偉大にするのは武力だけでなく、知力であり、ただそれは人智を超えた神々の意志によって意外な方向に導かれる。この人間理解がホメロス作品を現代まで魅力あるものにしている理由である。

 

『陶片追放用の陶片』

左から『テミストクレスの名前が書かれたオストラコン(陶片)』(1個 前482年のオストラシズム(陶片追放) アテネ、アクロポリス出土 粘土 径7.3センチ)/『テミストクレスの名前が書かれたオストラコン(陶片)』(1個 前472年のオストラシズム(陶片追放) アテネのアゴラ出土 粘土 縦6.5×横13.8センチ)/『クサンティッポスの名前が書かれたオストラコン(陶片)』(1個 前484年のオストラシズム(陶片追放) アテネのアゴラ出土 粘土 長8×厚6×高6.4センチ) アテネ、古代アゴラ博物館

 

 クラシック時代(前四八〇~三二三年)になると、アテネを中心とするギリシャ文明黄金期が訪れる。この時代にアクロポリスの丘の斜面に、パルテノン神殿やディオニュソス劇場が建設された。また民主制が完全に確立された。奴隷を労働力とする貴族社会だったが、アテネの自由市民は法の下での平等、国家から付与される特権の平等、言論の自由の平等を保証された。民主主義を守るための制度もあった。陶片追放である。

 

 陶片追放(オストラシズム)はアテネ市民が民主制度の敵と目する政治家を、毎年一人追放できる制度である。陶片追放に認定された政治家はアテネを十年間去らなければならなかった。ただ財産や市民権はその間も守られた。陶片追放にあうことは不名誉だが、大きな武力や権力を持っていることの証左でもあった。そのため追放にあっても諍いが起きることはなく、この制度は粛々と守られたようである。また紙のない時代であり、陶片追放の決議は陶片(オストラコン)に名前を書いて行われた。黒像式・赤像式のギリシャ陶器の破片が使われている。そこからギリシャ陶器は歩合が悪く(完成品が少なく)、大量の失敗作の陶片があったことがわかる。

 

 ただギリシャ文明の黄金期は長くは続かなかった。クラシック時代末期にはマケドニアでアレクサンドロス大王が二十歳で王位に就き、前三三四年には東征を開始した。前三三二年にはカイロネイアの戦いでアテネとテバイの連合軍がマケドニアに敗れ、アテネでのマケドニアの優位が決定的になる。前三二三年にアレクサンドロス大王が死去すると、大王が征服した土地は後継者たち(ディアドコイ)たちによって分裂してゆく。マケドニア王国はギリシャ人の王国ではあったが、最後に残ったプトレマイオス朝エジプトが前三〇年にローマによって滅ぼされ、ギリシャの覇権は完全にローマに移るのである。

 

『喜劇役者の小像 老奴隷』

1軀 前150~50年頃 トルコ、イズミール地方、ミュリナ出土 粘土 高20センチ アテネ国立考古学博物館

 

『アッティカ赤像式アラバストロン 円盤投げと幅跳び』

1口 アッティカ工房 前500~475年頃 アテネ、アメリキス通りの古代墓地出土 粘土 高14.5×口径3.7センチ アテネ国立考古学監督局

 

 ギリシャで盛んに喜劇や悲劇が上演されていたことは、当時作られたテラコッタ製の小像からもわかる。『喜劇役者の小像 老奴隷』はその一つで、俳優は仮面をつけている。実際に劇で使われた仮面も出土している。オリンピックの様子を伝える遺品も多い。『アッティカ赤像式アラバストロン』には『円盤投げと幅跳び』の様子が描かれている。これらギリシャを代表する文化が栄えたのが、幾何学様式~アルカイック時代末期からクラシック時代にかけてである。わたしたちがギリシャで思い起こす文化は約二百年の間に生まれ、衰退していったということだ。ソクラテスやプラトン、アリストテレスなどの哲学者もこの時代に活躍し、アイキュロス、ソポクレス、エウリピデスらの劇作家もこの時代の人である。

 

 キュクラデス文化を始まりとすれば、短く見積もってもギリシャは西暦ゼロ年までに約三千年の歴史を持っている。ただその全盛期は長い歴史から見れば意外に短い。ギリシャ人としての民族意識と言語共同体の意識が大きく盛り上がり、経済的に裕福で、ギリシャ共同体の中で自足できた期間に文化は最高潮に達したのである。

 

 丘陵部や島が多く各都市(ポリス)が離れ離れで固有の文化が成立しやすかったこと、また穏やかで航海に適したエーゲ海に囲まれていたことなどがギリシャ文明を育んだ大きな要因かもしれない。ただそれはあくまでギリシャ人のための文化だった。言い換えればギリシャはペルシャという異文化・異民族、あるいは同朋だが異なる政治・文化思想を持つマケドニア、あるいはこれも異文化・異民族のローマの圧迫を感じながら、固有の文化の中に閉じていったとも言える。外部が圧倒的力として立ち現れた時に、ギリシャ文明はその終焉の時を迎えたのである。

 

『アレクサンドロス頭部』

1個 前340~330年頃 アテネ、アクロポリス出土 大理石 高35×口幅24センチ アテネ、アクロポリス博物館

 

 王座に就く前の、十八歳頃のアレクサンドロス大王の像の残闕である。クラシック時代に続くマケドニアのヘレニズム時代、それ以降のローマ時代になると人間の大理石像や銅像が増える。ギリシャの神々の時代が終わり、神から地上の統治権を与えられた神聖帝国の為政者たちが祀られるようになるのだ。その意味でヘレニズム時代以降のギリシャ文明は、帝国主義の文脈で検討する方がその本質が見えやすいかもしれない。

 

 マケドニアもローマも近代で言う帝国主義国家だった。その版図を広げることが権威と国力増進の指標だった。それは世界各地で二十世紀半ばまで続くことになる。現代でも広大な領土を持つ国は、表向きは民主制を採っていても為政者に絶対権力を与えて国家と民俗の一体性を保つ傾向がある。また民主主義国家は内部で完結しがちだ。国内では言論の自由が保障され様々な意見が飛び交っていても、外部勢力による干渉を極度に嫌う。閉じた民主主義国家は常に外部勢力に脅かされ、拡大し続けようとする帝国主義はいずれ分裂して崩壊してゆく。ギリシャ文明は確かに人類史の縮図である。

山本俊則

 

 

 

 

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