闇金ウシジマくん Season3

TBS

火曜日 深夜25時28分~

No.135_TVドラマ批評_01

 

 

 すでに Season3 である。そしてまさに深夜枠でなければあり得ないコンテンツだ。テレビで流していること自体、あり得ない雰囲気だ。大変立派なことだ。制度とか枠組みとかをちょっとでも問うたり、揺さぶったりしようとすることはすべて立派だ。なぜならいろいろな抵抗にあうからだ。

 

 それが Season3 とは、視聴者にも理解されているということだろう。視聴者も立派だ。平日の真夜中にこれを観ていられる、というのはもしかしてあまり真っ当でない、学生さんとかかもしれないが。学生というのは確かに、この世で最も真っ当でない存在のひとつではある。

 

 その学生に学習させるべきものとして、あの『ナニワ金融道』がある。ブンガクとかキョーヨーを身につける前に、全巻読んだ方がいい。世の中に出るに当たっては、動物だって最低限のことを我が子に教える。そもそも人間も動物の一種である以上、弱肉強食は常のことだ。人間の教育はそれを覆い隠し、人間が人間という特別な精神や社会を有しているという幻想を植え付けるのに躍起になっている。

 

 男女のことも含めて学校教育では届かないところ、主に世のバカバカしさを伝える役割をテレビが担っている。テレビばかり観て勉強しない子は、学校では劣等生だが、社会へ出てから成功することもあろう。ただしかし、それを否定はしないが、その意味でテレビというのも凡庸な「教育機関」の一種となっていることは確かだ。若い子ばかりでなく、生涯教育みたいなものも含めて。

 

 実際、テレビで流れる恋愛模様、男女の仲など、学校の放課後風景とさして変わらない。テレビが伝える世のバカバカしさも基本は向日的、少なくとも人畜無害なものだ。テレビで学習し、それを常識とする者が大半である以上、社会に出てやっていくという実践レベルの知識を得るには、ほぼ十分だろう。

 

 『闇金ウシジマくん』は、そういうテレビの制度というか立ち位置を、超深夜であるという口実のもとにちょっぴり揺るがしている。それはどういう意味においても教育的ではない、ということだ。テレビに課せられた向日性、啓蒙性を何はともあれ「善いもの」とする価値観を無視する。それに抵抗感のある視聴者は皆、寝ているのだとしても、テレビの組織は目覚め、見守っているはずだ。

 

 そこにあるのは『ナニワ金融道』のような「金の怖さ」といったテーマではない。金の怖さを学ぶことができれば、残りの人生は真っ当に生きることができるかもしれないが、『闇金ウシジマくん』に追い詰められる債務者たちは、金の怖さなどちっとも感じてない。心底どうしようもない連中なのだ。

 

 だが、人間はそんなものではないか。教えれば、あるいは経験を経れば学んでくれるだろう、などというのは、たいてい幻想だ。容赦のない取り立ては、それをまったく信じないからで、そこに「人の物語」などというものは存在しない。ドラマが複数の債務者たちのエピソードで構成され、それらは特に互いに意味を持ち合いもせず、アンチクライマックスで放り出されるのは一種の「思想」ではある。

田山了一

 

 

 

 

■ 原作者・真鍋昌平さんの本 ■

闇金ウシジマくん(1) (ビッグコミックス) 闇金ウシジマくん コミック 1-37巻セット (ビッグ コミックス)

 

 

■ 予測できない天災に備えておきませうね ■