日伊国交樹立150周年記念 カラヴァッジョ展

於・国立西洋美術館

会期=2016/03/01~06/12

入館料=1600円(一般)

カタログ=2800

 

 

美術展時評_No.059_04

カラヴァッジョ『トカゲに噛まれる少年』

一五九六-九七年頃 油彩/カンヴァス 縦六五・八×横五二・三センチ フィレンツェ、ロベルト・ロンギ美術史財団蔵

 

 

 『トカゲに噛まれる少年』もカラヴァッジョのローマ時代初期の作品である。カラヴァッジョのほぼ同時代人で、医師で絵画批評家だったジュリオ・マンチーニはこの作品について、貧困に苦しめられたカラヴァッジョが売るために描いた絵だと書き残している。実際、『トカゲに噛まれる少年』は二点存在している。フィレンツェ版とロンドン(ナショナル・ギャラリー所蔵)版である。カラヴァッジョはまったく同じではないが、同主題の絵を複数描いて売ったのである。ただこの作品はデル・モンテ枢機卿の庇護を得る前に制作されたと考えられており、様々な事柄を示唆してくれる。

 

 手っ取り早く金を得るために、カラヴァッジョが売りやすい絵を描いたのは想像に難くない。当時は『トカゲに噛まれる少年』のような、動きがあり決定的瞬間を捉えた絵が好まれていたのである。またカラヴァッジョは高い技巧を持っていたが、定型表現の多い画家だったことも見て取れる。陰翳を巧みに利用して、白一色の服も人間の肌の色も深みのある表現にまで高めている。右隅のガラス花瓶もカラヴァッジョが得意としていた表現だ。背景はグラデーションのある暗色だが、ガラス瓶には窓が描かれ、暗めの絵の中に外の明るい世界が取り込まれている。

 

美術展時評_No.059_05

カラヴァッジョ『バッカス』

一五九七-九八年 油彩/カンヴァス 縦九五×横八五センチ フィレンツェ、ウフィツィ美術館蔵

 

 『バッカス』は『トカゲに噛まれる少年』の一年ほど後に描かれた。売り絵ではなくデル・モンテ枢機卿の庇護下で制作され、枢機卿からトスカーナ大公フェルディナンド一世に贈られたと推測されている。背景、白い衣服、肌の色、葡萄酒を入れたガラスの器の写り込みなど、『トカゲに噛まれる少年』とほぼ同じ技法で描かれている。また右下に果物が描かれ、バッカスの頭には葡萄の葉がある。カラヴァッジョには一五九七年作の『果物籠』という作品があるが、果物や植物の葉も定型的表現と言ってよい完成されたものである。

 

 少し奇妙な言い方になるが、カラヴァッジョは〝カラヴァッジョ的定型表現〟の中では最も上手い画家だった。完成された技法を持っていたので逃亡中も素早く絵を仕上げることができた。X線調査などでも明らかになっているが、彼は下絵を描かず、カンヴァスに直接絵の具を塗って絵を描いた画家だった。だからカラヴァッジョの画家としての成熟は技術的な点にはない。芸術家であり職人(アルチザン)でもある彼の矜持と、クライアントからの要請が絵に深みを与えてゆく。

 

 バッカスは言うまでもなくギリシャ神話のディオニューソスである。古い神だが秩序あるオリンポスの神々の世界に混乱と陶酔を与える異神である。元々は東方世界の神だったようだ。それがローマ神話でワインの神となった。この聖なる破壊・陶酔神であるバッカスをカラヴァッジョは人間として描いた。その女性のような顔立ちと丸みを帯びた身体はほとんど男娼を想起させる。酒と性的陶酔の結びつきをあからさまに表現したのである。しかし彼の作品は決して猥雑を感じさせない。現実世界を直視しながらクライアントの要請――つまりキリスト教精神世界の美と倫理を自らの絵画規範として引き受けている。それがカラヴァッジョ作品に独特の肉感性と聖性を与えている。

 

美術展時評_No.059_06

カラヴァッジョ『洗礼者ヨハネ』

一六〇二年 油彩/カンヴァス 縦九四×横一三一センチ ローマ、コルシーニ宮国立古典美術館蔵

 

美術展時評_No.059_07

カラヴァッジョ『法悦のマグダラのマリア』

一六〇六年 油彩/カンヴァス 縦一〇七・五×横九八センチ 個人蔵

 

 『洗礼者ヨハネ』はローマ時代に描かれ、『法悦のマグダラのマリア』はトマッソーニ殺人事件によって、ローマからナポリへ逃亡する途中で描かれたと考えられている。『マグダラのマリア』も作家自身による別バージョンが存在するが、本作が最初に描かれたようだ。日本では初公開である。カラヴァッジョは多くの信者が目にすることになる巨大な教会祭壇画(イコン)も描いているが、それらはオーソドックスな聖像表現である。『洗礼者ヨハネ』や『法悦のマグダラのマリア』のように個人所蔵のために描かれた聖像の方にこそ、彼の特徴がいかんなく発揮されている。

 

 もう言うまでもないが、両作ともカラヴァッジョ的定型表現で描かれている。背景は暗色、ヨハネの腰布とマリアの服は白、マントは赤であり、闇の中に浮かぶ人間の肌が効果的に表現されている。聖人だが二人とも明らかに人間である。預言者ヨハネは年老いた姿ではなく、若い男である。なんら特徴のない若者だと言っていい。肌の感じから二十代くらいと思われるが、鍛え上げているわけでもないごく普通の若者の肉体だ。聖書の記述からすれば頼りない感じすらする。しかしそれがカラヴァッジョの聖人ヨハネの〝解釈〟である。

 

 マグダラのマリアはさらに過激な表現(解釈)である。十代から二十代の若い女性が描かれているが、その「法悦」は宗教的なものだけでなく、容易に性的なものを想起させる。血の気の失せた肌の白さは死を表象している。しかしマグダラのマリアのお腹は丸みを帯びており、彼女の妊娠が示唆されている。エロスとタナトスが表現されているのである。カトリック教会においてマグダラのマリアはイエスの高弟の一人であり、聖女である。彼女がイエスと結婚して子供をもうけたという説は昔からあるが、教会によってオーソライズされたことはない。

 

 カラヴァッジョは教会の規範を破ったわけだが異端の意図はなかっただろう。その抑制された美しい表現から言って、イエスの死後に子供が宿るお腹をかかえ、宗教と性的法悦入り交じる陶酔にひたるマグダラのマリアの姿に、現世と神の世界との接点を見出している。東洋的に言えばこの作品は〝秘仏〟である。直観としてその真意を理解できる者でなければ見てはならない。あるいは見ても意味がない。いたずらに邪念を引き起こすだけで終わってしまうからである。

 

 残された記録によれば、カラヴァッジョはしばしば依頼制作した作品の受け取りを拒否されている。一六〇二年にローマのサン・ルイージ・デイ・フランチェージ聖堂コンタレッリ礼拝堂の主祭壇画の注文を受けたが、第一作の受け取りを拒否され、第二作目が設置されることになった。一六〇六年には同じくローマのサン・ピエトロ大聖堂のために『蛇の聖母』を制作したが、設置後数日で取り外されシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿が買い取った。画家にはそれなりの社会的地位が与えられていたが、依頼者(クライアント)の力が圧倒的に強かった中世から近世初頭において、作品が受け取り拒否されるのはそれほど珍しくなかった。しかしカラヴァッジョの場合、クライアントの好みが受け取り拒否の理由ではない。ほぼ完璧な技法で描かれた聖像の〝解釈〟が問題になったのである。

 

 飛びきり良い腕を持っていたが、カラヴァッジョがその画才をもって貴人たちの世界に近づこうとした気配はない。画家を含む当時の職人(アルチザン)全般の特徴だとも言われるが、気ままで自由で無頼な生活を好んだ。ただカラヴァッジョは意固地な画家でもあった。貴人からある画題の絵を依頼されても、有無を言わせぬ完璧な絵の中に彼の解釈を盛り込んでいる。社会的地位は低いが恐ろしく頭の高い画家だったと言ってもいい。

 

 カラヴァッジョの活動期間は短く作品数も少ないが、その画風は後にカラヴァジェスキと呼ばれる大勢の追随者を生んだ。しかしカラヴァッジョの〝解釈〟を模倣した画家たちの作品は遠く彼には及ばない。絵の中に解釈を支える強い精神が見えないのだ。例外はジョルジュ・ド・ラ・トゥールくらいかもしれない。ラ・トゥールが模倣したのはカラヴァッジョの技法であり、それを恐らく彼の敬虔な宗教心を深めるために活用した。

 

美術展時評_No.059_08

【参考図版】『伊東マンショの肖像』

ドメニコ・ティントレット筆 一面、カンヴァス・油彩 イタリア 一五八五年 縦五四×横四三センチ ミラノ、トリヴルツィオ財団蔵

 

 偶然だが西美でカラヴァッジョ展が開催されていた同時期に、東京国立博物館で『日伊国交樹立150周年記念 特別公開 新発見!天正遣欧少年使節 伊東マンショの肖像』展が開かれた。東博の一角で開催された小規模な展覧会で、『伊東マンショの肖像』画のほかに、明治になって東博に移管された江戸幕府長崎奉行所没収のキリシタン遺物が少しだけ展示されていた。

 

 天正遣欧少年使節は、九州のキリシタン大名である大友宗麟、大村純忠、有馬晴信の名代としてローマへ派遣された四人の少年キリシタンである。一五八五年に使節団がヴェネツィア共和国を訪問した際に、共和国元老院がヤコポ・ティントレットに肖像画の制作を依頼した文献が残っている。発見された『伊東マンショの肖像』がその現物である。もっと大きな作品を切って現在のサイズにしたようだ。ヤコポの息子ドメニコが最終的に現状のような作品に仕上げたらしい。絵の裏には「ドン・マンショは日向国王の孫/甥で、豊後国王フランチェスコより教皇聖下への大使 1585」と書かれている。

 

 天正遣欧少年使節団の肖像は銅版画などでは残っているが、これだけリアルな肖像画は初めてである。小さな絵なのだが目が離せなくなってしまった。十三歳から十四歳の少年が派遣されたことは知っていたが、当時のことだから現在より大人びているのだろうと漠然と考えていた。しかし絵の中にいる伊東マンショはまぎれもない少年だ。武士の装束ではないのでなおさら幼く見えるのかもしれない。今現在生きていても不自然ではない日本人の顔だ。彼は確かにフィレンツェやローマの繁栄を肉眼で見て、教皇に謁見したのである。

 

 東洋の非キリスト教徒にとって、ルネサンス期のキリスト教美術ほど縁遠く感じられるものはない。この時期、思想的にも美術的にも神を頂点とする完璧で厳格なキリスト教世界観が形作られた。ボッティチェリにしても、そこに忍び込んでいる東洋的影響を読み取らなければ、完璧過ぎて何の感情移入もできない異文化にしか見えなくなってしまう。それは当時の東洋美術についても言える。いっけん貧相で無秩序な東洋美術独自の美を感受できるようになるためには、その手がかりが、東西の接点が必要になる。

 

 そのような接点が微かに生じ始めたのが、カラヴァッジョが生きた近世初頭だと思う。天正少年使節団がイタリアを訪れた一五八五年、カラヴァッジョは十四歳だった。両者にはなんの接点もないが、ボッティチェリのルネサンス初期から百年を経たカラヴァッジョの時代には、キリスト教的規範が緩み始めていた。ある文化思想が頂点に達しほころび始めると、それを活性化する役割を担うのは常に異文化の刺激である。カラヴァッジョは広義のキリスト教画家だが、その絵は感覚的にも思想的にもルネサンス期のそれよりも理解しやすい。ほとんどDNAのように過去の長い長い文化伝統が染みついているが、生身の芸術家の肉体はそれ以外の刺激を欲しているのである。

山本俊則

 

 

 

 

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