ボッティチェリ展

於・東京都美術館

会期=2016/01/16~04/03

入館料=1600円(一般)

カタログ=2400

 

 

美術展時評_No.057_01

 

 

 二〇一六年は日伊修好通商条約締結百五十周年で、ボッティチェリ展はその嚆矢となる美術展である。ボッティチェリはいわずと知れた初期イタリアルネサンスを代表する画家だ。今さらだがルネサンスはジュール・ミシュレがその著書『フランス史』で使用した言葉で、フランス語で「再生・復活」の意味がある。一義的にはギリシャ・ローマの古代文化復興を目指した文化運動だが、単なる古典回帰ではない。むしろギリシャ・ローマ文化を完璧な美のお手本と想定し、それを当時の現代に蘇らせることで、人間の万能の力(至高美の再現能力)を証明した文化潮流だと言える。ルネサンス盛期にはラファエロ、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロといった綺羅星のような美術家が現れた。ダ・ヴィンチが万能の天才と呼ばれているのは言うまでもない。

 

 ただイタリア・ルネサンスの期間は意外に短い。初期を代表するボッティチェリは一四四四年頃に生まれ、一五一〇年に没している(享年六十五歳か六十六歳)。盛期ルネサンスの画家で最も長生きしたミケランジェロは一四七五年生まれ、一五六四年没(享年八十九歳)である。この約百年間をおおむね前半と後半に分けて、初期ルネサンスと盛期ルネサンスと呼ぶわけだが、その作風はかなり異なる。簡単に言えば、ボッティチェリの絵はギリシャ・ローマ文化の影響を強く受けていて静的である。それは盛期ルネサンスにも受け継がれるが、ラファエロ、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロの作品に描かれているのは明らかに人間である。初期から盛期にかけて、人間の姿をした神々から、神々しいまでに美しい人間が描かれるようになったと言っていいだろう。

 

 今回の展覧会では、二十点ほどのボッティチェリ作品が世界中から集められた。ボッティチェリ作品で最もよく知られている『ヴィーナスの誕生』は含まれていないが、彼の作品総数は約百点と言われているので相当に頑張った展覧会である。ただボッティチェリに限らず、この時代の絵の鑑賞は難しい。ほとんどの画家が工房制を取っており、作品にサインを入れる習慣もなかったので、どの画家の作品か特定するのが難しいのである。新たにボッティチェリ作品が発見されることもあるだろうし、今までボッティチェリ作品とされていたものが他者作品だと判明する可能性もある。このあたりは専門家の知見に頼るしかないが、あまり学術的成果に深入りしなければ、ボッティチェリ作品の特徴は比較的わかりやすい。

 

美術展時評_No.057_02

ボッティチェリ『聖母子(書物の聖母)』

一四八二-三年頃 テンペラ/板 縦五八×横三九・六センチ ミラノ、ポルディ・ペッツォーリ美術館蔵

 

 テンペラで色鮮やかに描かれた聖母子像である。この発色はルネサンス絵画ならではのものだ。またこの絵は恐ろしく複雑で単純でもある。複雑というのは、この絵が読み解くことができる記号に満ちているからである。開かれた聖書は『イザヤ書』で、キリストの生誕と受難が書かれているページである。幼子キリストは左手に三本の黄金の釘を持ち、手首には荊の冠をはめている。もちろん将来の受難の象徴だ。キリストの背後にある陶器には、サクランボ、プラム、イチジクが盛られている。これらにもそれぞれ意味がある。ただそういった細部を読み解かなくても、この絵は実に美しい。ヨーロッパでは無数の聖母子像が描かれてきたが、中世以降のイコンの原型になったのはこの時代の作品である。

 

 キリストを抱く聖母マリアはビザンティン様式で、モザイク画や彫刻のような静かな造形である。目を伏せていているが、幼子キリストは知性と意志を感じさせる視線を聖母に向けている。伏し目はキリストにとって聖母があくまで影の存在であることを示唆している。またキリストと聖母の視線は右上がりの斜線を描いていて、聖母の肩から胴は右下がりの斜線である。つまり二人は聖母の頭を頂点にして山形を為すように描かれている。聖母の背後には窓があり青空が見える。それは彼らの視線が、蒼穹に抜けるような聖なるものであることを示している。これらの絵画的効果は緻密に計算されたものだ。パッと見ただけで聖母子の聖性は感じ取れるが、細かく観察すればいくらでも意味を導き出すことができる。

 

美術展時評_No.057_03

ボッティチェリ『美しきシモネッタの肖像』

一四八〇-八五年頃 テンペラ/板 縦六五×横四四センチ 丸紅株式会社蔵

 

 『美しきシモネッタの肖像』は、日本にある唯一のボッティチェリ作品である。描かれているのはフィレンツェ一の美人と謳われたシモネッタ・ヴェスプッチで、ジュリアーノ・デ・メディチの愛人(騎士道で命をかけて戦うための女性)である。ジュリアーノは一四七八年に起こったパッツィ家の陰謀で、兄のロレンツォ・デ・メディチとともにミサ中に刺客に襲われた。ロレンツォは軽傷だったがジュリアーノは殺された。パッツィ家の陰謀はローマ教皇シクストゥス四世が裏で糸を引いた、暗黒の中世を代表する暗殺未遂事件の一つである。教皇はパッツィ家を使ってフィレンツェからメディチ家を排除しようとしたが、暗殺失敗によってかえってその力を倍増させることになってしまった。一四八四年にシクストゥス四世が亡くなると、メディチ家の力は揺るぎないものになった。ロレンツォ・デ・メディチの時代がメディチ家最盛期であるのは言うまでもない。

 

 ボッティチェリはほかにもシモネッタの肖像を描いているが、丸紅所蔵作品が一番美しい。実在の女性の肖像画には違いないのだが、ほとんどイコンに近いレベルまで美化されている。ボッティチェリはシモネッタをモデルに『ヴィーナスの誕生』(一四八三年)を描いたという説がある。真偽は確かめようがないが、もしそうならシモネッタは一四七六年に二十三歳の若さで亡くなっているので、そのイマージュを女神へと昇華しやすかったのかもしれない。

 

美術展時評_No.057_04

【参考図版】ボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』

一四八三年頃 テンペラ/キャンバス 縦一七二・五×横二七八・五センチ フィレンツェ、ウフィッツィ美術館蔵

 

 いずれにせよこれほど女性を神々しく描いた絵はルネサンス期になって初めて登場した。ルネサンス以降、このような女性像が描かれることもほとんどなかった。例外はラファエル前派の画家たちくらいだろう。ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood)はラファエロ以前のルネサンス前期、つまりボッティチェリ時代への回帰を提唱した。ラファエル前派の画家たちも極度に美化された女性像を描いたが、ルネサンス期の絵と比較すれば十分に生身の女性を感じさせる。(後編に続く)

山本俊則

 

 

 

 

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