オール讀物_No.017_01

 

 

 皆様は料亭に行ったことがおありになるかしらぁ。アテクシ、仕事で年に何度かお邪魔しますのよ。もちろんお客様の接待でござーますわ。芸者の方をお呼びすることもございますの。女性は肩身が狭いとお考えになるかもしれませんが、それはちょっと違いますわ。オバサンは地球上で一番強い生物なのよ、というのは半分冗談ですけど、接待のプロの女性たちと座を盛り上げるのは楽しゅうございます。女性客がいたらいたで、あうんの呼吸で芸を披露してくださいます。それにお客様は殿方ばかりという時代は終わりましたわ。芸者を見たいという外国女性のVIPもいらっしゃるのよ。接待がうまくいくと、女将さんや芸者衆と固く握手したくなってしまいますわ。接待はお仕事よ。高級料亭やクラブの方が接待は楽ねぇ。

 

 でも女はお料理にうるさいから要注意よ。少なくはなりましたけど、いいかげんな仕出し料理で誤魔化す料亭もございますわ。女性を含む接待のときは、アテクシは「あそこはご飯がマズイからダメ」と言ってしまいます。でも料亭に舞い上がって、どんな料理でもいちいちスマホで写真をお撮りになる殿方もいらっしゃるわねぇ。オバサンは心優しいので、「料理の味もわかんないくせに写真撮ってんじゃねーよ、仕事で接待飯食って自分のブログにアップしたりするんじゃねーぞ」と心の中で思うだけで、ニコニコ笑って差し上げるのですわぁ。殿方は散財がお好きで「一晩で何百万円使った」という話しを聞くと、たいていの女性は「バッカじゃないの」と思いますが、「バッカじゃないの」の最大級が接待自慢よ。黙って自腹で遊びなさい。女にバカにされるのが大嫌いな殿方はお気をつけあそばせぇ。

 

 「学んで馴れるしかない、頼みます」

 夫となった小柳正衛(まさえ)は跡取りで、自ら板場に立つ料理人であった。母親と女将の両曜(りょうよう)を失った彼は、人間的にも若い新妻に短時日の成果を期待した。しかし外見はどうにかなっても、独特の知識や腕力を溜めてゆくにはやはり経験がいったのである。博学多才の舅と女中頭が教師になり、芸者も下足番も教科書になった。芸者屋の主人でありながら現役で芸者を続ける人がいて、親しくなると、女将らしい接客の間合いや気配りが身につき、初めて自信を持った。すると従業員の彼女を見る目も変わり、段取りの手際にも磨きがかかった。

(『夕暮れから』乙川優三郞)

 

 『夕暮れから』の主人公は、東京の老舗料亭藤川の女将・千佳子です。千佳子は大学卒業後、航空会社でフライトアテンダントとして働いていましたが、大学時代の恩師の紹介で藤川の跡取り息子正衛(まさえ)とお見合いで結婚します。正衛は料理人ですが、女将でもあった母親が亡くなって藤川は若女将を求めていた時期でした。千佳子は初めて藤川を訪ねた時からその古風なたたずまいに好感を抱き、正衛の妻で女将になることを決心したのでした。

 

 千佳子が藤川に嫁に来たのが二十五歳の時で、それから三十年の歳月が流れています。その間に女将業のいろはを教えてくれた舅が亡くなり、夫の正衛が胃がんで倒れてしまいます。千佳子は鹿児島出身ですが、夫が病で倒れるのとほぼ同時に父親が亡くなってしまいます。一人で料亭を支えなければならない千佳子は、父親の葬儀も日帰りのとんぼ返りという慌ただしさです。正衛との間には息子を一人もうけましたが、料亭業を嫌い、海外の大手ホテルチェーンで働いています。料亭を継ぐ気は今のところないようです。また千佳子に降りかかる苦難はそれだけではありません。

 

 三十年の間に、東京の花街はすっかり衰退してしまいました。気がつくと料亭も置屋も見番もほんの数軒に減っています。景気の低迷もありますが、芸者を呼んで遊ぶお客が減ってしまったのです。芸者さんが披露する芸もまた、日本の伝統芸能の一つです。千佳子の料亭・藤本は料理屋として経営を維持しなければならないだけでなく、芸者が芸を披露する場として、いつしか見番や置屋から頼られる存在になっています。

 

 喜代乃は居間の古めかしいソファーに掛けて訴えた。彼女自身も年輩だが、まだ滑らかな肌と髪の艶を保っていた。よほど落ち込んだとみえて、千佳子を見る表情に珍しく(かげ)があった。

 「みなさんそう思っています、今は石が流れて木の葉が沈むときかもしれませんね、時代のせいにしてもはじまりませんけど、ほかにあきらめのつけようもないようです」

 千佳子は慰めようがなかった。

 「正直申し上げて、こんなふうでは若い人を育てる張り合いがありません、仰ぐものがどんどんなくなってゆくのに、何を見上げて頑張れって言えばいいんです」

 「まさか和喜本(わきもと)までやめようなんて、考えていないでしょうね」

 「わたくしどもは料亭と見番(けんばん)がある限りやめたりしません、ただどうしたら安心して芸を磨いてゆけるのかと、そればかり考えてしまいます」

 着物に短い髪の女二人が向き合うと、ちょっとした古風な世界があって、千佳子は嫌ではないが、いつかしら馴らされてきたしがらみを感じた。喜代乃は藤川を(つい)の頼みにしていると思った。

(同)

 

 置屋の主人・喜代乃の「今は石が流れて木の葉が沈むときかもしれませんね」という言葉には、作者の乙川優三郞先生の思想が表現されています。伝統芸能の世界に限りませんが、どのジャンルでも偶然と僥倖によってスポットライトを浴びる人が増えています。目先の新奇な現象に飛びつき、とても長続きするとは思えない、でも今現在はそれなりに注目される営為を繰り返しています。それが現代的処世術なのだという雰囲気が蔓延しつつあるとも感じます。その理由は「仰ぐものがどんどんなくなってゆく」ことにあるでしょうね。

 

 現代が「仰ぐもの」、つまり過去の文化をそのまま規範にできない時代になっているのは確かです。単に伝統を受け継げばいい時代ではありません。伝統を継承するにしてもどう継承するのか、その質こそが重要になっています。前衛的表現を求める文学やアートの世界も同じです。昔と同じ方法で新しいことを模索するのではダメです。〝新しいとは何か〟そのものが問われています。伝統も前衛も質が変わってしまったのです。それはビジネスの世界でも同じです。従来通りのビジネス手法がこれほど通用しなくなった時代はないでしょうね。でもわたしたちは相変わらず過去の延長上にいます。過去の文化に普遍的なものを探り、それを現代的な〝新しさ〟として、質的転換を試みなければならない時代なのです。

 

 日ごとに日没の早まる季節で、夕暮れの都会の谷間は一気に暗くなりかねない。丹精した植込みの上には高いビルが見えるし、残照も儚い。それでも日本情緒を残す街に彼女は生きて、憂い、低質な時代と闘っているのであった。自分があきらめたらそれきりという古く美しい世界で、信じられる仲間はたったの十六人であった。

 食事のあと夜の着物に着替えて喜代乃に電話すると、向こうも出の支度にかかっているという。

 「なんでしたら二十分前にはそちらに揃ってみせます、どうかご心配なく」

 「頼みますよ、喜代乃さん」

 「なんですか、女将さんらしくもない」

 「今日はちょっとね、興奮してますから」

 そんな二言三言が一夜の支えになることを喜代乃も知っていて、励ましに笑った。その間にも窓の外では陽が傾いている。

(同)

 

 外務省から国賓をもてなす会席が入り、藤川は久しぶりに活気づいています。余興で芸者衆を呼ぶことも決まり、置屋の女将・喜代乃の声も弾んでいます。しかし「その間にも窓の外では陽が傾いている」とあるように、藤川を中心とした東京の小さな花街が、風前の灯火であることは変わりません。ただその灯が完全に消えてしまうかどうかは、それを守る人たち次第です。それは「自分があきらめたらそれきりという古く美しい世界」です。

 

 乙川優三郞先生の、都会の片隅に生きる女性たちを主人公にした短篇シリーズは、ちょっと純文学を感じさせる秀作ですわぁ。それは乙川先生が、大衆文学らしい根拠のない希望を描いておらず、また一種の堕落的快感を読者にもたらす滅びの美学を書いているわけでもないからでしょうね。あくまで厳しい現実にさらされながら、そこで踏ん張る女性たちが主人公です。そうし続けるのが正しいと乙川先生はお考えになっているのだと思います。それはまた、単なる人間の意地ではないと思います。

 

 人間の世界は結局のところ、人間の営為によって形作られます。一握りの人間であろうと、これは正しい、これを守るべきだと考える文化だけが、残るべくして後世に残されてゆくのです。その残すべきもの、守るべきものが何かを見極める能力が、まず現代人に求められるでしょうね。文化はいつだって古くて新しいものよ。ある文化伝統が消滅するのは、その文化の価値を信じ切れる人が現れなかったということでもありますわね。

佐藤知恵子

 

 

 

 

ロゴスの市 (文芸書) 脊梁山脈 (新潮文庫)

 

 

 

 

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