月刊俳句界_No.024_01

 

 

 「月刊俳句界」二月号では「特集 社会と俳句」という面白い特集が組まれている。編集部の特集レジュメには「俳句は他の文芸と較べ、社会性との関わりが弱いと言われてきた。しかし、俳句が志の詩や生活の詩でもある以上、社会と俳句には密接な関係がある。とくに敗戦以降、その傾向は強い。ここでは敗戦から現代まで大きな社会的事象と俳句との関係を考えてみたい。今年は敗戦から70年、俳句は社会をどう詠んできたのか」とある。

 

 「社会と俳句」というと、僕などはすぐに金子兜太氏の「社会性俳句」を思い浮かべてしまうのだが、編集部に社会性俳句を中心に据えるといった意図はないようだ。特集「社会と俳句」は、平たく言えば敗戦など大きな事件が起こった際に、ほぼリアルタイムで読まれた句のアンソロジーである。もちろん人間の表現はすべからく同時代の影響を受けている。ただ文学は、たとえ戦争を題材にしていても、その背景や功罪を論じるための道具ではない。中でも俳句はとても短い表現である。詳細な思想等は表現したくてもできない。少ない言葉数で、俳句がどう社会変動を受けとめているのかが特集の読みどころだろう。

 

■「敗戦」のパートより■

秋蟬も泣き蓑虫も泣くのみぞ    高濱虚子

新しき猿又ほしや百日紅      渡邉白泉

いつせいに柱の燃ゆる都かな    三橋敏雄

二日月神州狭くなりにけり     渡辺水巴

牛は静かに馬は廃墟を蹴るばかり  火渡周平

 

■「復興」のパートより■

地の涯てに倖せありと来しが雪   細谷源二

落葉期人々いそぐ職場もち     榎島沙丘

更衣鼻たれ餓鬼のよく育つ     石橋秀野

子へ買ふ焼栗(マロン)夜寒は夜の女らも   中島斌雄

生くべくはかかる焦土も耕せり   佐野まもる

 

 社会全体が高い緊張感に包まれた終戦直後の句はさすがに凜としている。多くから選ばれた句とはいえ人ぞれぞれに好みは分かれるだろう。しかしこの時代に書かれた一定レベル以上の作品に対して、細かな修辞的問題を指摘する人は少ないのではなかろうか。白泉の「新しき猿又ほしや百日紅」のように下世話を詠んだ句でも、夜の底に沈んだかのような静謐に包まれている。写生的に具体物を詠んでも地から足が浮いたように抽象的なのだ。向日的な生活の匂いがしてくるのは「復興」のパートあたりからである。ただ「復興」のパートでも俳人たちの目は自分たちの生活に向かいがちである。世界も他者も見えているのに、自分の生活で手一杯であることが伝わってくる。

 

■「砂川闘争」のパートより■

露寒の暁闇かづく雨合羽      藤田湘子

明日を約す拍手夕鵙ともに久し

黍焼く火赫と砂川雨降り出す

 

■「メーデー」のパートより■

制帽を正すメーデーの敵視あつめ  榎本冬一郎

しづかなる市民の電車労働祭

メーデーの中やうしなふおのれの顔

 

 一九五〇年代以降は一人の俳人の作品が選ばれている。「砂川闘争」は藤田湘子、「メーデー」のパートは榎本冬一郎の句である。「露寒の暁闇かづく雨合羽」は氷雨に打たれる作家の自画像である。「メーデーの中やうしなふおのれの顔」に表現されているのは自己喪失的な作家の孤独である。榎本は警官としてメーデーのデモ隊に対峙した。「敗戦」から「復興」期にかけての俳句が、虚脱的だが社会(日本人)全体が共有できた一つの精神地平から出発して、じょじょに作家の内面の回復に向かっていたのに対して、五〇年代から六〇年代の作品で表現されているのは群衆の中の孤独である。「砂川闘争」や「メーデー」、「安保闘争」などは、確かに大きな社会問題となり人々の関心の的になった。しかし皆の目が同じ社会問題に向かっているのに個々の精神は切り離されている。この時代の社会問題は、もはや社会=日本人全体に一つの精神地平(パラダイム)を与えるものではなく、社会問題がクローズアップされ個がそれにコミットすればするほど、かえって自己と他者の相違、つまり自己固有の孤独が強く意識されるようになるのである。

 

■「高度経済成長」のパートより■

賞与使ひ果しぬ雨の枯葎      草間時彦

秋鯖や上司罵るために酔ふ

冷房の下着売場の白世界

 

■「不況」のパートより■

追いたてられ寒月光下ただ歩くのみ 大石太

どこまでもおらをはなれず捨犬よ

ちぎれ雲は焼き焦がれた痛み

 

 「高度経済成長」と「不況」のパートは、一九七〇年代から九〇年代頃の世相を反映した作品だろう。七〇年代にももちろん大きな社会問題はたくさんあった。しかしそれら社会問題に背を向ける人が現れ始める。正確に言えば、社会問題に背を向けた人たちの声が創作の現場にも溢れ始めたのである。ただ草間時彦の「冷房の下着売場の白世界」にあるように、社会問題に背を向けることは一つの断念であり、覚悟を必要としたことが読み取れる。「上司罵る」の句で罵倒されているのは、本質的には自己だろう。そこに怒りや憤懣のはけ口はない。それが大石太の句が、かろうじて読むに耐える作品になっている理由でもある。七〇年代八〇年代において生活破綻者であることは、もはや誰のせいでもない。それをすべて社会の責任にすることはできない。大石の句集には「ホームレス」という文字が入っているが、意外なほどホームレスの生活の機微を描いた作品は少ない。大石の痛みは内向する。俳人個人にしか関わりのない抒情が抽象的に表現されるのである。

 

■「阪神淡路大震災」のパートより■

今死ぬる思いの他者の初音かな   永田耕衣

人類の震災放屁平地かな

少年の小便(しょうべん)出ッたぞ死ぬまいて

 

 一九九五年一月十七日に起こった「阪神淡路大震災」を代表する句として選ばれているのは永田耕衣である。耕衣は明治三十三年(一九〇〇年)生まれだから、明治四年(一九〇四年)の日露戦争の記憶は朧だろうが、第一次世界大戦から日中戦争、第二次世界大戦(太平洋戦争)、それに本稿でたどった社会問題をつぶさに見たはずである。しかし耕衣は句でほとんど社会問題を表現してこなかった。災害とはいえ、大きな社会的関心を呼び起こした事象を耕衣が積極的に詠んだのは、最晩年に阪神淡路大震災で罹災した時だけだと言って良い。そこに耕衣の作家としての衰えを読むことはできるだろう。だが耕衣は伝統俳人でありながら、現代俳人としても認知された老獪な作家である。自らの肉体と精神の衰えをも俳句表現に利用してきた。大震災句は耕衣の新たな試みであると読み解いた方が、解釈としても実り多いだろう。

 

 誤解を恐れずに言えば、耕衣の大震災句はほとんど究極的な〝花鳥諷詠〟かもしれない。社会をテーマにした句は敗戦直後の白紙還元されたような精神状態から、個の生活の回復、群衆の中での孤独、社会に背を向けた個の孤独という形で表現されてきた。戦後の社会的俳句においては、個の自我意識が大きな役割を担ってきたのである。しかし耕衣震災句には切迫した自我意識表現が少ない。「今死ぬる思いの他者の初音かな」は「思いの」で切れるか「他者の」で切れるかによって読解が変わるが、「他者」を詠み込んだのは生死の境をどこか人ごとのように相対化しているからだろう。「人類の震災放屁平地かな」では、「人類」という構えの大きな言葉と「放屁」という猥雑を等価なものとして並べ、起伏のない「平地」であるとまとめている。生の意志を「小便(しょうべん)」で表現した句も同様の意図を持っている。

 

 戦後俳句で表現されたような、精神的空白が個の強い自我意識へと盛り上がってゆく文学は、短歌でも自由詩でも小説の世界でも見られる。それは俳句文学だけの特徴ではない。戦後日本文学を貫く表現の流れである。その大きな流れの中から俳句独自の表現を抽出すれば、それはむしろ危機に際して縮退する自我意識だと言えるだろう。すなわち花鳥風月である。花鳥風月という言葉を使うと伝統派俳人たちは喜び、前衛系の俳人たちは不満で頬を膨らませるだろうが、問題の本質は用語や技法にはない。根底にあるのは動植物を始めとする世界内存在と人間存在を、等価なものとして表現し得る俳句文学の特徴である。いかなる社会問題に直面しても、自己存在(自我意識)を相対化して表現し得る俳人の能力である。

 

 俳句の歴史を通覧すれば、肥大化した俳人の自我意識が作品に現れる時代の方がイレギュラーなのかもしれない。危機的状況においても耕衣が滑稽猥雑を取り混ぜて深刻な自我意識を表現することがないのは、彼が俳句文学の本質を掴んだ人だったからである。

岡野隆

 

 

 

 

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