「月刊俳句界」三月号の特集は「映画人の俳句~小津安二郎から渥美清、夏目雅子まで」である。小説文芸誌の特集がおざなりなのは業界の常識である。特集は二月号と三月号が違う雑誌であることの符帳のようなものだ。とにかく作品(小説)を掲載してもらいたい作家がたくさんいるのである。ちょっと失礼な言い方になってしまうが、一般読者が「まだ書いてるんだ」と思ってしまうような作家は、本は売れていなくてもたいてい業界の大物である。古株大物作家が原稿掲載を編集者に打診すれば、タイミングを見て掲載せざるを得ない。すると物理的掲載量に限界がある紙雑誌では、中堅・新人作家の何人かが閉め出されてしまう。それが続けば(実際続いているわけだ)必然的に、原稿を掲載してほしい作家が列を為すことになる。
「俳句界」の特集も短い。今回も十数ページである。特集が総力戦とはいかないのはどの俳句雑誌でも似たようなものだが、これはこれで理由がある。やはり一人でも多くの俳人の作品を掲載したいのである。全国の有力結社の主宰はもちろん、結社主力作家の作品を掲載し、無名・若手作家の俳句を掲載するのがメインの業務である。それにより俳句結社同人などが雑誌を購入するのを期待できる。また俳句雑誌の収入源の柱の一つは結社広告と自費出版請負だから、バーターではないがそれなりの配慮も必要だ。こういったことはもう多くの皆さんがご存じだろうと思う。知らなくても情報化時代ではいずれ常識化する。それはいいことだと僕は思う。わかっているのと、何もわからないまま踊らされてしまうのでは人間の精神に与える影響が違ってくる。メディアと作家は、お互いのメリット・デメリットをある程度理解した上で仕事をした方が良い結果が得られる。ある対象に過剰な期待や失望を抱いてしまう原因は、たいていの場合、対象をよく理解していないからである。
不思議と歌人には明るい方が多いのだが、俳人や自由詩の詩人に会うと、憤懣やるかたないといった心情が顔にまで出てしまっている人がけっこういる。そういった人を見るたびに悲しくなる。たいていは世に認められない鬱屈が渦巻いてしまっているのだ。しかしそもそも世に出るとはどういうことなのか、自分のしたい仕事は何かをもっと突き詰めて考えた方がいい。たとえば俳壇は、他の文学ジャンルの世界をちょっとでも覗いてみればわかるがとても特殊な場所だ。僕は俳壇外の人間だからはっきり言うが、まともな神経の人には耐えがたいと思う。たとえ結社や同人誌を組んで広い意味での俳壇の一員になったとしても、本気で俳壇政治に参入することは作家の精神を激しく蝕むだろう。
安心立命を得る道はほとんど一つしかない。俳句文学と俳壇は違うと心の底から認識断念することだ。そもそも趣味で俳句を楽しむなら鬱屈した心情にはならない。また俳壇読者と一般俳句読者層は異なる。自由な創作の場のはずなのに、会社勤めと同じように辛く理不尽な俳壇政治の世界を嫌うなら、まず自分の作品と散文のターゲットを一般俳句読者に変えてみればよい。一般読書界で支持を得られれば、そう簡単に雑誌の方針を変えられない俳句メディアとも良好な関係を築けるだろう。大結社内で大量の業務をこなして俳壇のトップに上り詰めるための努力をしないで、頭ごなしに俳壇トップに選ばれるかもしれないといった夢物語を描いているようでは話しにならない。憤懣も奮起の原動力になり得るが、それはあくまで創作のために使うべきだろう。中途半端な未練は中途半端な不満しか生まない。
赤とんぼじっとしたまま明日どうする 渥美清
村の子がくれた林檎ひとつ旅いそぐ
ゆうべの台風どこに居たちょうちょ
結婚は夢の続きやひな祭り 夏目雅子
風鈴よ自分で揺れて踊ってみたまえ
セーターの始めての赤灯に揺れて
奴の背中におぶさっているあの異形のもの 成田三樹夫
煙草のけむりたなびく方に命たなびき
鯨の背のぐいと海切る去年今年
特集「映画人の俳句」に掲載された有名俳優の俳句である。読めばすぐわかるが、この三人の俳優は俳句の手ほどきをまったく受けていない。ただ季語や定形をうるさく言わなければ、中途半端な手慣れのない新鮮な句だと言うこともできる。また俳優たちにとって俳句はあくまで遊びの余技であり、自らのパブリックイメージに沿った句を詠んでいることがわかる。渥美清の「村の子がくれた林檎ひとつ旅いそぐ」は『寅さん』の世界である。夏目雅子の「結婚は夢の続きやひな祭り」も彼女の清楚なイメージにふさわしい。成田三樹夫は個性派悪役俳優で知られるが、「奴の背中におぶさっているあの異形のもの」といった句は『仁義なき戦い』を彷彿とさせる。彼らは彼らで背負っているものがあり、それは趣味で俳句を書く際も決して失われないのである。
俳人には意地悪な言い方に聞こえるだろうが、彼らのように一般社会で有名な人たちの俳句は、俳壇内でちょっと名前が知れた作家の作品よりも大きな注目を集める要素を持っている。渥美清や夏目雅子の俳句なら読みたいという人たちが確実にいるのだ。生真面目に捉えれば、だから「俳句はバカにされている」という怒りにつながることもあるだろう。しかし俳句は日本語の生理にピッタリと合った表現形式であり、優劣を問わなければ誰でも句を詠めるのが俳句文学最大の強みでもある。彼らのような有名人も俳句を詠むことが、大きな意味で俳句文学が普遍的に続く力になっている。俳人は多かれ少なかれ大衆の俳句創作欲望から恩恵を受けている。そこから趣味の俳句の道に進むのか、俳句文学作家を目指すのかはそれぞれの選択である。また国民文学としての俳句をプラスの方に活用できるかどうかも作家次第である。
つくばひに水の溢るゝ端居な 小津安二郎
手内職針のさきのみ昏れのこる
月あかり築地月島佃島
春の雪石の仏にさはり消ゆ
売られゆくうさぎ匂へる夜店かな 五所平之助
白魚のいのちの如く灯のともり
呼びとめて二人となりぬ花明り
たんぽぽや天城の雨は足早く
大声で呼び合う浜の御慶かな 吉村公三郎
ついとゆく香魚のあとのささにごり
炎天や自転車乗りの影真下
師走風つまらぬ映画観て帰る
小津、五所、吉村といった映画監督の句はさすがにレベルが高い。伝統俳句だろうと前衛俳句だろうと、言葉が淀みなく流れているのが良い俳句の第一条件である。吉村の「ついとゆく香魚のあとのささにごり」などはプロの俳人でもなかなか詠めない秀作だと思う。こういった専門俳人の作ではないが、ノンプロの域にまで達した俳句は「文人俳句」と呼ばれる。川名大氏は『現代俳句』(ちくま学芸文庫)で文人俳句を、「一般に俳句を専門としない文筆家の俳句をいうが、そこには俳句を余技、趣味というニュアンスが伴いがちである。しかし(中略)明治期の文人たちは小説の他に、漢詩、短歌、俳句などのジャンルに自由に携わっていた。(中略)大正、昭和、平成においても、俳句を作っている小説家や詩人は多い。その中には余技として作っている文筆家もいれば、俳句形式を重要な自己表現の一つとしている文筆家もいる」と書いておられる。
もう少し文人俳句について補足すれば、俳人だという自己認識は持っていないが、俳句文学を深く理解している作家の作品ということになる。誰でも簡単に詠める表現である以上、ある人が俳句作家だという自己認識を持ち、社会に向けて自分は俳人だと宣言するのは簡単である。他者評価は別として、自己認識と俳人宣言があればその人は立派な俳人である。文人俳句と呼ばれる作家たちがそうしないのは、簡単に言えば彼らが俳句以外の表現領域のプロであり、俳句に専念する時間がないからである。本気で取り組めば俳句文学は、一生を費やしてもほんのわずかな成果――もちろんそれは俳句文学にとっては貴重なものである――しか得られないことを知っているのである。だから他ジャンルの作家が軽い気持ちで俳句を詠んでも、それは優れた文人俳句にはならない。俳人と同等の俳句文学理解を持ちながら、なおかつ専門俳人ではない、そうならないという断念を持った作家が優れた文人俳句を詠める。他ジャンルで優れた成果を上げている作家たちは、並みの俳人たちよりも優秀である。
多くの俳人たちは俳句は国民文学だと言い、それを最大限に喧伝して結社員の募集や創作に生かそうとする。しかしなぜ俳句文学が国民文学なのかを本質的に考えたことがある俳人は少ないだろう。また俳句文学の本質を考えるためには、それを相対化して捉える必要がある。しかしたいていの俳人は俳句のみに埋没している。俳壇の中心にいるか周辺に追いやられているかは別として、結局はいわゆる俳壇しか目に入らなくなってしまっている。額を寄せ集めて埒もない俳壇噂話をしている俳人の姿はどこに行っても見られる。要はヒマなのであり、時間はあるのに仕事を作ろうとしない。厳しい言い方をすれば、その理由はたいていの俳人が自分が思っているほど優秀ではないからだが、俳壇が思考の中心にある限り、そこで仕事をすることに徒労感を覚えてしまうからでもあるだろう。
こういった悪循環から逃れる方法は強い認識的断念を持つことである。そういう意味でも積極的に自己を俳人と規定しなかった漱石を始めとする文人俳句作家には学ぶべき点がある。また俳句至上主義的思考に染まっている人にとっては、文人俳句は俳句にちょっかいを出してきた作家ということになるだろう。しかし彼らの優秀さが本業を超えた他ジャンルへの理解と愛になって表れていると考えれば、俳句への考え方を変える一助になるはずである。
岡野隆
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