角川短歌12月号では「文語のニュアンス・口語のリアル」という特集が組まれています。短歌界全体に占める創作者人口は一握りかもしれませんがこれも本道である文語体作品と新興で未来のヴィジョンを示唆しているかもしれない口語体作品をなんとか融合させようという試みではないかと思います。短歌は俳句ほど定型(形式)に対して教条主義的ではなく意味内容的にも俳句の花鳥風月より遙かに自由度の高い文学です。ただ緩いとはいえ形式を持つことで俳句とつながっています。また自在な表現ができるという意味で自由詩の母胎でもあるのです。
短歌は、おおむね現在を現在として詠む事が多いが、過去を振り返り現在に引き寄せて詠む事も多い。この場合も、過去を回想しつつ現在という今を確認しようとする表現行為が基盤にあるのが特徴と言えよう。そのような時に、助詞や助動詞をどう駆使するかが問題になって来るのである。「けり」や「たり」や「なり」は時間の経緯を裏づける助詞、助動詞でよく使われる。しかし文語発想の短歌が次第に口語発想の短歌に移行するにしたがって、助詞や助動詞の使い方にも変化が及んでゆくのは当然だろう。
(「時間表現についての一考察」松坂弘)
松坂氏が語っておられるのは基本的に文語体短歌の修辞的技法で文語体歌人にとっては有益で実践的な解説です。しかし文語体短歌と口語体短歌の違いは松坂氏のアプローチでは明らかにできないのではないでしょうか。「短歌は、おおむね現在を現在として詠む事が多いが、過去を振り返り現在に引き寄せて詠む事も多い」、「過去を回想しつつ現在という今を確認しようとする表現行為が基盤にある」といった特徴は文語・口語短歌両方で指摘できます。また文語体短歌と口語体短歌の本質的違いが修辞で説明できないことは多くの歌人が感じておられると思います。
同じく特集で米山千嘉子氏は「単純な喜怒哀楽ではない感情、微妙な揺らぎなどが表現された文語ならではの表現例」について書いておられます。松坂氏がお書きになった「けり」「たり」「なり」などの助詞・助動詞はもちろん文語体ならではのものです。口語短歌で「単純な喜怒哀楽ではない感情」が表現できないとは言えないですが確かに文語を使えば短歌独特の「微妙な揺らぎ」が生じます。そのため短歌界には文語は汲めども尽きぬ神秘的な言葉の井戸であるかのような雰囲気が蔓延しています。しかしそれが文語の方が語彙が多く単語の意味も多義的なので陰翳に富んだ表現が可能だからだと言うなら明らかな誤りです。
口語短歌でも日々様々に微妙な表現が生み出されています。しかしその差異に対して現代の読者は文語体ほど敏感ではありません。むしろもはや増えることのない古語であるからこそ人は文語体表現の微妙な差異に敏感でいられるのです。簡単に言えば文語と口語にはあらかじめ質的な違いがあります。この大別すれば日本語の中に存在する二つの言語系の違いを最も鮮やかに示しているのが現在の短歌界でしょうね。
雫にも光は宿り御嶽山噴火を狂ふといふのみにあらず 梅内美華子
残された人らを心肺停止と呼び御嶽山に夜の雫下来つ
火山灰の重さに耐へて冷えゆく遠きゆゑその冷たさ思ふ
*
集団的自衛権行使容認後初の「終戦の日」は須疑多里 狩野一男
ツラヌいてきたる不戦の誓ひなれど噫70年未満で絶えつ
「戦争」をしない国からできる国、する国と成り果てにけるかも
今月号から時事的出来事を詠んだ文語体の歌を引用しました。歌壇・俳壇・詩壇といったジャンル的区分に精神を囲い込まれずに全体を見渡せば常日頃から好んで時事的事象を詠み批判的な言葉を発しているのは短歌です。今さらのことを書けば短歌界は現在もなお宮中歌会始めや宮内庁御用掛などで天皇家と密接な関係にあり漠然とですが保守的体制派のイメージがあります。しかし実際は逆です。原発問題や集団的自衛権に対して歌人たちは飽くことなく批判を繰り返しています。ただあえて言えば歌人たちのあまりにもナイーブな体制批判思想は容易く大政翼賛思想に反転してしまう危険性を孕んでいると思います。
梅内氏や狩野氏の作品を否定するつもりは毛頭ありませんが詩が言葉で書かれる限りそれは必ず意味を表します。大まかな区分けですがわたしたちは意味伝達を第一の目的とする言葉を散文と呼び散文以上の何事かを表現している言語を詩と呼びます。俳句より長いとはいえ短歌のような短い表現で十全な意味(批判)を伝達するのは難しいのは言うまでもありません。では時事的(体制批判的)短歌がどこで意味伝達内容を超えた詩になっているかと問えば文語体の使用によってと言わざるを得ないでしょうね。文語体が作家の〝個の思想〟を〝公の思想〟のように演出していると言っていいかと思います。文語体が個の思想を共同幻想的な公の思想に見せかけそれが一種の詩的雰囲気を醸し出しているのです。
これも今さらの整理ですが日本語は長い間書き言葉と話し言葉の間に乖離がありました。明治維新以降に言文一致体が創出されたわけです。もちろん詳細に検討すれば言文一致体は新たな書き言葉の創出ですが従来の書き言葉と話し言葉の距離がずっと縮まったのは確かです。また日本は明治維新を契機に文化的規範を中国から欧米に転換しました。それは有史以来の大転換でした。その結果として漢字熟語等はほぼ明治時代をもって増加が止まりその後の辞書に新語として掲載されるのはカタカナ語が中心になったわけです。これも少し乱暴なまとめですがほぼ明治期に増加が止まり意味や用法が固定化してしまった言葉をわたしたちは文語と呼びます。その起源は万葉仮名あたりまで遡ることができるわけです。
ただ意味や用法が固定化したとはいえ文語は決して死語ではありません。むしろ日本語の基層として日本文化の固有性を保証する共同幻想基盤として現在も絶大な力を持っています。卑近な例を上げるとスポーツなどの国際試合の際に一種の国威発揚の起爆剤として文語体が使われたりします。ある意味で歌人たちは意識的無意識的を問わず日々そのような言語的操作を行っています。もはや大衆的意識や一枚岩の社会など見あたらない現代においては個の思想はあくまで個に留まるはずなのですがそれを文語体表現にくるめば〝みんなの思想〟のような雰囲気を醸し出すことができるのです。
母親に「今は昼かい?夜かい?」と聞かれて「ついにきた」と思った 穂村弘
歯を磨きつづける気力なくなって蛍光灯に吸い込まれそう
階段の途中に置いた人形がきえる日があるまたあらわれる
先月号(11月号)に掲載された穂村弘さんの作品です。お母様の老いの気配を詠み込んだ歌がありそれを引き継ぐように孤独な心が表現されています。穂村さんの場合それらはもちろんすべて口語短歌で表現されます。死や生誕といった人間にとっての重大事は多くの人の共感を呼ぶことができるテーマですが口語体ではそれが微妙に日本文化の共同幻想体とでも呼ぶべき通有性から切り離されています。「「ついにきた」と思った」のはあくまで〝個の私〟です。
この衝撃と喪失感が言語的に昇華されていくわけですが「階段の途中に置いた人形がきえる日があるまたあらわれる」は幻想的リアリティにまで達しています。個の衝撃と喪失感が現実のメタレベル表現にまで昇華されているわけです。この表現は自由詩に近似していると言えます。たとえば初首が「垂乳根のもはや昼夜も失ひて来るべき時の来たるを知る」と表現されていたら連作の言語表現は現実の深みを描く(文語体の記憶によりかかる)ような形で展開されていったでしょう。
ここでは詳細に検討しませんが穂村さんの作品は自由詩の表現に近似しながら一首でほぼ完結しているという大きな特徴があります。その意味でやはり短歌作品なのです。ただ徹底した口語の使用は文語体作品や口語を部分的に取り入れた短歌とは質的差違を見せています。意識的に文語を排除した短歌は必然的に日本語の共同幻想基盤から離れた一種の〝だるま歌〟の様相を見せます。この孤立した孤独な歌の姿が良くも悪しくも現在の短歌が置かれた最前線だと言えます。また孤立と孤独の極みから従来の短歌伝統との接点を探るのが現代短歌のアポリアです。
俳句でも「けり」「かな」「や」などの文語を使いますがそれを文語表現だと強く意識している俳人は少ないでしょうね。文語体は俳句における一種の決まり事として捉えられており文語的切れ字を使っても十分に現代を表現できると感じている俳人が大多数です。短歌と俳句のアポリアは異なるのであり短歌は文語と口語の差違に極めて敏感です。その背景には短歌文学に留まらない世界(狭義には日本語世界)の大きな変化があります。
高嶋秋穂