不便な便利屋

テレビ東京

金曜深夜 0:12

 

No.086_TVドラマ批評_01

 

 

 「水曜どうでしょう」の鈴木貴之監督・脚本で、大変リズムがよい。熱い理想と豊かな想像力を持つ若い脚本家(岡田将生)が監督と喧嘩し、富良野へと旅立つ。なぜ富良野かといえば、もちろん「北の国から」のパロディである。それらしいナレーションも入る。

 

 しかし、若い脚本家は富良野に辿り着かない。富良野は彼の理想なので、つまりそれは裏切られるためにある。バスが吹雪で立ち往生し、その土地に足留めを食うのだ。この辺も往年のハリウッド映画「ドク・ハリウッド」を思い出す。ハリウッドは映画の聖地で、富良野はテレビドラマの聖地、というわけだ。そこへ向かう動機は、落胆と野心という違いはあるが。

 

 足留めされた脚本家は、当然のことながら理不尽な理由で、そこから抜けられない。携帯や財布が最初はジャケットとともに行方不明となり、ジャケットが出てきたら今度はリュックとともに行方不明になる。彼が足留めされる理由は、ハリウッド映画とは違い、明確ではない。

 

 それは単なる理不尽で、ただ、田舎の感じも出ている。田舎町とは理不尽なことが当たり前に起こるところだ、ということを思い出させもして、不条理コメディがリアリティを掠める瞬間があるところが見どころかもしれない。主人公の性格は想像力豊かな自己チューで、その都会性が都会で行き場をなくし、理想の地からも拒否されたとき、受け入れるものは理不尽な現実だということ自体、リアルではある。

 

 このドラマの始まりにおいて、立ち往生したバスに困り果てている若い男がどんな事情を抱えているかは、説明されない。田舎の店で飲まされて、見知らぬ部屋で目覚める不安な状況にくわえ、視聴者にはこの男が誰なのかという二重のわからなさがあるのだが、それは気にならない。

 

 気にならないのは、リズムがあるからだ。視聴者には状況を知らせないと、チャンネルを替えられてしまうという強迫観念があるだろうが、では状況がよく伝わったらチャンネルを替えなくていいと思えるのか。状況を飲みこんだら、その後の展開の予想がついて替えてしまうということはないか。

 

 ようするに視聴者は、退屈しなければ替えないのだ。状況がわからないから観ない、というのは、状況がわかっても観ないことが多い。状況は詳しく知らせさえすれば興味を惹かれるとはかぎらない。状況はわからないが、岡田将生がおろおろし、目がさめると着ぐるみ姿で、脱ごうとするとなぜか黒い女性下着を着ている、という映像だけで観続けることはできる。

 

 テレビというものを、よくよく知っている人の制作したものだということがわかる。「北の国から」のパロディというそこはかとない悪意も心地よい。勘違いクリエイターが富良野とかではない、単なる名もない「田舎」の不条理によって徐々にマトモになってゆくのだろう。テレビドラマとは、その不条理に似た世界なのかもしれない。ただ、タイトルはちょっと地味かな。

田山了一