俳句界 2014年 08月号 [雑誌]

 

 

 「月刊俳句界」今月号には、俳人なら恐らく誰もが気になるだろう特集が二つ組まれている。一つ目は「特集 命の重み 〝絶句〟を読む」である。〝絶句〟は俳人が人生最後に詠んだ作品のことである。松尾芭蕉の「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」は余りにも有名だ。ただ本当に芭蕉の絶句だという確証はない。宝井其角は八日夜の吟(芭蕉臨終は元禄七年十月十二日)だと書いており、病中吟の中の一句が辞世として広まったらしい。しかし芭蕉が人生最後に詠んだ句の一つには違いなく、そうなるとそこに深い意味を読み取りたくなるのが人情というものである。

 

 「旅に病んで」の内容は単純である。〝旅の途中で病気になり、熱に浮かされた床の中で、夢は枯野を駆け廻っている〟という意味である。病の床に就いた自己の状態を素直に描写した句であり、芭蕉が恢復していればこの作品はそれほど有名にならなかったかもしれない。「旅に病んで」が名吟になった理由は、芭蕉がこの句に人生総決算の意味(意志)をこめたのだと読者が感じるからである。

 

 「旅に病んで」の〝旅〟は、具体的には元禄七年の江戸から大坂への旅を指すが、辞世となると旅に明け暮れた芭蕉の人生全体が表現されているような気がしてくる。「枯野をかけ廻る」も同様で、死去の旧暦十月は新暦では十月下旬から十二月上旬頃だから、芭蕉自身は単に初冬の世界を歩き回る自己を夢想しただけなのかもしれない。しかし辞世では〝枯野〟には芭蕉の諦念がこめられている、あるいは芭蕉好みの寂び・(しおり)などの意識が表現されているような気がしてくるのである。

 

 文学者はみな原則として、死の間際まで傑作を書き得る可能性を持っている。特に俳句や短歌といった短い表現では〝もしかすると〟と考えがちだ。しかし現実にはそんなことはまず起こらない。実も蓋もないことを言えば、秀作・傑作を書こうと思って書けるのなら元気のあるうちにとっくに書いているはずである。俳人の絶句に限らず短歌でも散文でも人間の辞世は読者にある感慨を呼び起こすわけだが、それは辞世からその人の人生が透けて見えるからである。小林秀雄は「死んだ人間の輪廓はくっきりしている」と言ったが、辞世を起点として、人の生が凡庸なら凡庸なりに、非凡なら非凡なりに逆回転し始めるのである。

 

生身玉(いきみたま)やがて我等も(こも)の上                     小林一茶

春の山のうしろから烟が出だした                    尾崎放哉

焼かれる虫の香ひかんばしく                      種田山頭火

牡丹はや散りてあとかたなかりけり                 久保田万太郎

死ぬ朝は野にあかがねの鐘ならむ                 藤田湘子

 

 普段絶句など意識することがないので、今回の特集で多くの俳人の最後の作品を知った。引用は特集に掲載された、死を濃厚に感じさせる五句である。ただしこれらは意識的に辞世の句として詠まれた作品ではないようである。山頭火など脳溢血で頓死したので、辞世の意識などありようがない。山頭火絶句は日記の一番最後に書かれた句である。夭折した俳人は少ないので、晩年になり身体の不調などで死を意識するようになってから、たまさか書いた句が強く死を示唆する最後の作品になったということである。

 

しら梅に(あく)る夜ばかりとなりにけり                  与謝蕪村

一輪の花となりたる大花火                       山口誓子

山に金太郎野に金次郎予は昼寝                  三橋敏雄

 

 この三句は死の気配を全く感じさせない句である。しかし蕪村の「しら梅に」は病床で絶句の意識をもって書かれた(正確には弟子が書き取った)。誓子の句は神戸ポートピアホテルから眺めた神戸花火大会を詠んだ句で、絶句の意識も死の気配もない。三橋の「山に金太郎」にも死の気配などないのだが、弟子の池田澄子氏によると、これは意識的な辞世の句なのだそうだ。作品に死の気配がなくても作家が絶句の意識で詠んだ句もある。また誓子句のように死の気配が微塵もなくても、絶句から書かれている以上の意味を読み取ることは可能である。誓子は高浜虚子、水原秋櫻子亡き後、俳壇に長く君臨した老大家である。「一輪の花となりたる大花火」は彼の華やかな俳句人生を示唆している気配である。

 

 作家は気力と体力が有り余っている若い時期に、一度くらいは傑作を書き残して夭折する夢を見たことがあるのではなかろうか。しかし年を重ねるにつれ、人間の生も文学も一筋縄ではいかないことがわかってくる。そうなると絶句や辞世など、もうどうでもよくなるのが普通だろう。優れた作家は死の瞬間まで新たな表現可能性を求めて書き続けるだけである。迷いの時期に死が訪れれば、迷ったままの作品が辞世になる。全盛期に死ぬことになれば、惜しいという感情を読者に抱かせるだろう。辞世をどう読むかは読者次第なのである。

 

 文学者など見たこともない時期にある作家の辞世を目にすると、それは深淵な真理のようなものを表現しているように読める。しかし優れた作家に身近に接し、その作家が死去したりすると、もうそういった幸福な読解はできなくなる。死は終わりというより中断なのだということがはっきりわかる。優れた作家とは未来に向けた新たな表現可能性を持っている作家のことであり、その死は精神より肉体の時間が短かったというだけのことである。作家を身近に知っていれば辞世にある感慨を抱くだろうが、それはあくまで個人的な感情である。文学の問題としては、なんの変哲もない辞世にまで、筋の通った作家の個性や主題が通底していることに改めて驚かされるのである。

 

 「月刊俳句界」今月号では「自句自選のむずかしさ」という特集も組まれている。俳句実作者、特に初心者を主な読者ターゲットにする俳句雑誌らしく、実践的な回答が並んでいる。有山八州彦氏は「余程の老練な俳人でもこの題には一瞬たじろぐのではないか。漸く俳人を自称するようになった私の句作りのノウハウの一端を書く」と回答されている。西池冬扇氏は「迷うには違いないが、それなりの法則性を多くの俳人達は暗黙知としてもっており、それほど難しいことではないはずだ」と書いておられる。俳人は句会に作品を提出し、句集を編む時に自句自選を行っている。それを繰り返していれば、自ずからある法則が体得できるだろうと述べておられる。

 

 日下野仁美氏は弱気で「「選は創作なり」。この苦労は死ぬ迄続くのではないかと思っている」と書いておられる。矢作十志夫氏は「自句自選で大切なことは、自句をどうしたら客観的に見られるかに尽きる」と回答されている。望月哲士氏は「自句自選には全く自信がない」と答えておられる。ただそれぞれに句会などで自選句を発表した際の失敗談、思いがけない成功談を書いておられ、それは俳句初心者の参考になるだろう。

 

 俳句実作者にとって、句会提出作品や句集収録句をどう選ぶのかは喫緊の課題である。またそこには作家それぞれの自信と断念に裏付けられた法則(ノウハウ)のようなものがあるはずである。しかし俳句文学にとっての自句自選は、俳人ごとの技術的ノウハウを超えた本質的問題を孕んでいるはずである。もちろん作家が自分でも駄作と感じるような作品が秀作になることはない。だが一定レベルを超えた句の中で、どの作品が秀作と認知されるのかは俳人本人にも予測できないところがある。

 

 異論はあるだろうが俳句とは〝俳句形式〟のことである。破調や自由律、多行などもあるにせよ、俳句の基盤が五七五に季語の形式に置かれているのは間違いない。小説や自由詩はもちろんのこと、俳句の母胎である短歌よりもその形式的な縛りはきつい。つまり俳人は皆、俳句形式を逸脱することも含めて俳句形式に縛られ、それに奉仕しているのである。もちろん俳人ごとの作家性は存在する。しかしそれだけが俳句芸術を支えているわけではない。個々の作家性とは別に、全俳人の作品は、いわば俳句文学を主体(創作者)と措定して選び直される可能性がある。その意味で俳句は集団的芸術であり、座の文学だと言うことができる。

 

 俳句の自句自選が難しいのは、作品の言語表現が俳句文学の本質(無意識的本質)に届いたとしても、それが作家に分かるとは限らないところにあるからだと思う。わたしたちはそのような俳句文学の本質的無意識を、簡単に俳句形式と呼んでいるだけのことである。五七五に季語の形式を逸脱しようと俳句作品は秀作・傑作になり得る。ふとしたはずみである作品が作家の代表作になった例は枚挙にいとまがない。またそれは、俳人の絶句がわたしたちに訴えかけてくる何かと通底しているだろう。

 

 生涯最後の作品となれば、たまさかでも秀作であるのがどの作家にとっても望ましいだろう。しかし優れた作家の絶句は、極論を言えば凡庸な作品でもいいのである。わたしたちが優れた作家の生が止まって(中断されて)改めて気づくのは、凡庸な作品にすらある無意識が通底しているということである。その無意識が俳句文学の本質的無意識であれば、どんな言語レベルだろうと絶句は秀作になり得る。

岡野隆