短歌 2014年 08月号 [雑誌]

 

 

 人間の行動範囲は意外に狭いものです。お金がなく、背中をせっつかれるような切迫した仕事も目的もない学生時代などに、友だちと繁華街を終日ブラブラ歩き回った経験は誰にも一度や二度はあるのではないでしょうか。しかし公私両面で忙しくなる中年以降は、街の風俗をリサーチする仕事に就いているのでもない限り、そんな贅沢な時間の使い方はできなくなります。老年に差しかかって体力が衰えればなおさらのことです。コンビニの前でたむろする若者らを嫌悪するどころか、「いいなぁ」と思ったりもするわけです。人間はじょじょに限られた時間を有効に使わざるを得なくなります。

 

 文学者の場合、なかなか文筆一本で生計を立てるのが難しいので、多くの作家が会社勤めやフリーランス仕事などの実業をこなしながら文学活動にいそしんでいます。文学が本業だと思い定めてはいますが、実体は持ち出しばかりが多いので、〝趣味の本業〟などと自嘲したりもするわけですが、文学が根幹になければ生きる実感を得られないのが文学者というものです。文学者は限られた時間のほぼすべてを文学活動に費やしているわけで、それは街を歩くのとは異なる、原則として無限に自由な精神の活動です。しかしこの自由な文学活動においても、やはり人間の行動範囲は狭いのが常なのではないでしょうか。

 

 詩誌や文芸誌を読んでいると、多くの執筆者(作家)がとても内向きな精神を持ってしまっていることがよくわかります。例外は読者投稿欄などがあり、実際に雑誌を読むのを楽しみにしている読者を抱えた大衆小説誌だけでしょうね。詩誌や純文学文芸誌は、その業界に属している人か、業界参入希望者の人たちにしかほぼ読まれていません。自ずと業界関者に向けた言葉が多くなり、無限に自由だったはずの精神の活動に、業界という枠組み(限界)がかぶせられてゆくようになります。

 

 もちろんどんな業界だって狭いのです。文芸誌に限らず、世の中には能楽やバレー、骨董など、文化と趣味のあわいに位置するような真面目な雑誌がいくらでもあります。文学をひとまず文芸と捉えれば、一つの〝芸〟に専念する作家が、業界を完結したアプリオリな世界として考えるようになるのは当然のことです。しかし今現在の問題は、かつてはまがりなりにも〝世界〟として捉えることができた文芸誌が、社会の写し鏡としての世界、あるいはそこから文学以外の世界に影響を与えてゆく、小さいけれど強い世界として機能しなくなりつつあることにあるのではないでしょうか。

 

 作家たちは文芸誌はもはや世界として信じるに足りないかもしれないと感じながら、それでも文芸誌の現世的権威を信じようとし、ミイラ取りがミイラになるように業界人になってゆくようなところがあります。微かであれ文芸誌に権威があるのも事実ですし、一般の人にとっては、その業界を知りたいと思えばほぼ文芸誌しか取っかかりがないわけですから、作家が文芸誌業界人になってゆくことを一概には批判できません。しかし文学は文芸誌が作るものではなく、作家が作るものです。文芸誌を批判するのは簡単ですが、それでは問題の解決になりません。最も重要な問題は、かつては〝世界〟として認識できた文芸誌と現在の〝世界〟の間にズレが生じていることに気づきながら、なんら有効な手を打てない文学者自身にあります。

 

土屋文明にはそういう考えがあって、歌は本来保守的なもので、停滞的なもので、しかし暮らしの一部だという考えね。(中略)そういうふうに、村的な考え方を背後から支えるものとして短歌があったと思うんですよ。そういう短歌観は、皆さんの短歌観とかなり違うかもしれないが、(中略)そういう無名の短歌があったということを認めた上で、戦後の桑原武夫さんなどの第二芸術論を見ていかなければいけないし、臼井吉見の「短歌への訣別」というのがありますね。それはその上に持ってこなければならない。(中略)まずその村の暮らしの息づかいとして盆踊りがあり、月並俳句があり、うまくもない短歌があって、これが大変重大なものなんだ。日本の文化の精髄なんだ。そこから考えていくことができれば、それは戦後にふさわしいインターナショナルな地平にわれわれは立つことができるし、やれた筈なのに、表層のほうの改革に吸い上げられてしまった。

(鶴見俊輔の発言 「座談会 戦後をみつめて〈前編〉 出席者 鶴見俊輔、市井三郎、玉城徹、岡野弘彦 司会 金子一枝」『短歌』昭和五十三年七月号より)

 

臼井さんは、短歌の持つ小定型は、日本人の思考を限定する小さなワクでもある。戦争中、特攻隊で敵艦に突っ込んでいった若者たちが遺書に短歌の形で自分の最後の思いを托していった。それがどうしても痛ましくてやり切れない。ああいう文学をわれわれは持つべきでない、という意味のことを書き、ドイツの戦没学生の手記などとくらべて、短歌的抒情の限定や危険性について書かれた。(中略)ああいう反省が強く(私の)心の中にしみ込んできた。だがそれと共に、短歌によってつちかわれて来た日本人の心の伝統が、そんなにマイナス一辺倒のものだけではないはずだという思いも一方には強くあるのです。

(岡野弘彦の発言 同)

 

 今月号には角川『短歌』昭和五十三年七月号に掲載された、「座談会 戦後をみつめて」(前編)が再録されています。出席者は哲学者の鶴見俊輔と市井三郎、歌人の玉城徹と岡野弘彦の四氏です。

 

 鶴見俊輔氏は、近代以前の日本社会では、短歌や俳句は庶民の生活とともにあったと考えています。祭りや盆踊りとなんら変わらない生活の一部だったということです。短歌や俳句は大きな社会情勢の変化により欧米的基準の芸術となり、太平洋戦争中には政治的に利用されました。しかし長い歴史の中ではその方が例外なのであり、詠み捨てられ忘れられてゆく(ウル)短歌の方が、庶民生活に調和をもたらす要素として遙かに重要だと論じています。鶴見氏の考えでは短歌も俳句も「第二芸術」(桑原武夫)で良いのです。

 

 この考えは「短歌・俳句は文学なのか趣味なのか」というなじみ深い問いに示唆を与えるものでしょうね。短歌・俳句が自然発生的に生み出される続ける限り、近代的自我意識によって選ばれ工夫の限りを凝らした芸術とは別に、それらは日本文化の根幹を支える要素となり得るわけです。

 

 歌人の岡野弘彦氏は、鶴見氏より短歌の社会的役割に敏感です。鶴見氏が詠み捨てられ忘れ去られる短歌にアルカイックで調和的な日本文化を見出しているのに対して、短歌の社会的功罪(利点と欠点)を指摘しています。岡野氏が述べたように、二次大戦中に辞世の歌を残した兵士は大勢います。短歌の素養があった人ばかりではないですが、俳句より十四文字長い短歌の方が絶唱を書きやすいのです。岡野氏は臼井吉見の「短歌への訣別」を援用しながら、それが短歌の大きな特徴であると同時に、日本人の思考を限定する枠組みとしても作用し得ると危惧しています。

 

 岡野氏の批評は今でも有効でしょうね。生よりも死の影が濃い短歌に秀作・傑作が多いのは事実です。しかしそれは人間の思想・感情に、短歌的と言ってよい諦念の枠をかぶせることにもなります。また短歌が絶唱(死)に近づくことは、短歌文学が死と同化することを意味します。岡野氏が鶴見氏の思想におおむね賛同しているのは、短歌を死の淵から奪還するためでもあります。戦後の歌壇で起こった様々な試みは、大局的に言えば、すぐに停滞の底に沈んでしまいがちな短歌に生の息吹を吹き込むためにあったとも言えるのです。

 

 鶴見、市井、玉城、岡野氏の討議は現在でも通用する思考を多々含んでいます。しかし変わってしまったこともあります。討議が行われた昭和五十三年(一九七八年)頃は、短歌はかろうじて社会的要素として機能していました。安保闘争の頃までは、現代のブログやツイッターと同様、短い表現である短歌や俳句が人々の意見や感情を表現するための簡便なツールとして使われていたのです。短歌・俳句は人々の生活に根づいていたわけです。だからこそ哲学者と歌人が噛み合う議論を交わせた。しかしそのようなパラダイム(共通認識基盤)は消失してしまいました。以前とは質は異なりますが、短歌界は再び限られた集団の芸事、芸術になり始めています。

 

日本は型というものを残すのが得意の国民性があるので、型の文学、型の芸術、型の美学ってあるじゃない。その型の中に何があったのかということを考えざるを得ないところに生きてきたということがありますよね。(中略)田舎に帰ってみると、古い農家ですけども、わりと土間が大きくて、(中略)一番下の方に坐る人たちは膝を立ててお茶を飲んだり、何かつまんだりしている。(中略)膝を立てるとは何か。すぐ立てるという、用の世界。(中略)服装なんかも膝を立てて美しい服装が生まれるとか、(中略)はじめは用のためにあった形が美に発展していくプロセスがあるわけね。(中略)今も一服の茶を前に会話が成立するお茶の世界はありますけど、それが非日常のものになってしまった。つまり日本が持っていた、日常の生活様式とか対人関係って、もう滅んだわけね。

(馬場あき子の発言 「連載 馬場あき子自伝 表現との格闘 第十一回 短歌のゆくえ 」聞き手 穂村弘)

 

 角川『短歌』には穂村弘氏を聞き手とした「馬場あき子自伝」が連載されています。馬場氏がメインですが、実質的には現代短歌を巡る穂村氏との討議です。昭和三年(一九二八年)生まれの馬場氏は戦後歌壇をつぶさに見てきた歌人ですが、短歌や俳句を生んだ日本文化の「型」そのものが失われつつあると述べています。鶴見氏らは人々の生活の中から自然発生した調和的な型として短歌を捉えましたが、馬場氏はそれは、意識して理解・習得しなければもはや身につかないものとお考えになっているようです。またこのような思考が発せられるのは、言うまでもなく聞き手が口語短歌の旗手・穂村氏だからです。口語短歌には型がありません。馬場氏は口語短歌を否定するのではなく、型のない短歌がどこへ向かっているのかに、柔軟で強い興味を持っておられるようです。

 

口語(短歌)だと添削とかが本質的に出来ないというのはすごく短歌を変えてしまうと思うのです。ぼくもときどき添削めいたことを依頼されるけれど、できないですよ。(中略)発想から書き換えるしかないんです。(中略)(口語短歌では)心と言葉の結びつき方が違うんですね。歌としての出来不出来とは別に、最初からそれがぴったり合いすぎるんです。文語は短歌を作るみんなの言葉だけど口語はその人の言葉だから、添削するとズレてしまう。(中略)原作をそっくり生かしたままでよりよい口語短歌にするというのはとてもむずかしいです。

(穂村弘の発言 同)

 

 穂村氏の口語短歌に対する思考は的確です。口語短歌の流行により、短歌界は最近では例がないほど多くの実作者を獲得しました。ブログやツイッターなどで口語短歌作品を発表している歌人は驚くほど大勢います。しかしそれはおおむね歌壇内のブームに留まっています。その理由は「文語は短歌を作るみんなの言葉だけど口語はその人の言葉だから」でしょうね。文語体や五七五七七の型を取り除けば、口語短歌の表現は自由詩と近似します。思想・技法的制約が一切ない自由詩人は詩人独自の型を作らねばならず、それが独自のものである以上、詩人同士の本質的連帯は起こりにくい。口語短歌の流行は歌人の孤立化と裏腹なのであり、口語短歌歌人がいくら増えても、歌壇共通の技法的・思想的パラダイムはなかなか見えて来ないのです。

 

 ただ自由詩がそれなりに長い歴史の中で、それぞれの時代に応じた〝自由〟のパラダイムを構築してきたように、口語短歌も実作が積み上がってゆけば一定のパラダイムを見出す可能性があります。またそれはやはりなんらかの型と無縁ではないと思われます。短歌である以上、どんなに従来のそれとは異なるものであっても、型が短歌の根幹を占めるだろうと予測されるからです。

 

 伝統文化(芸能、芸術)としても捉えられる短歌が、過渡的なものであるにせよ、いち早く型の消滅にまで進みつつあるのは示唆的です。この型の消滅は現代社会の本質的な変動を反映しているはずです。それを実作としても理論(批評)としても正確に把握できれば、短歌文学は再び文学の中核となるのかもしれません。

高嶋秋穂