母親の様子がおかしい。これがいわゆる認知症というやつなのか。母親だけじゃない、父親も年老いた。若い頃のキツイ物言いがさらに先鋭化している。崩れそうな積木のような危うさ。それを支えるのは還暦近いオレしかいない・・・。「津久井やまゆり園」事件を論じた『アブラハムの末裔』で金魚屋新人賞を受賞した作家による苦しくも切ない介護小説。
by 金魚屋編集部
二十三.
父親の介護をサポートするため、この家には毎日さまざまなひとが出入りする。
中でもヘルパーと看護師は欠かせない。ヘルパーは毎回一時間の訪問で朝晩二回、下の世話と着替え、食事の介助と口腔ケア、ベッドと車イスとのあいだの移乗が主な役割である。訪問看護は週はじめに一回、問診とバイタルデータのチェックと摘便と口腔ケアを行い、主治医と連携して対応する。ローテーションを組んでいるから毎回担当者は異なるが、顔ぶれはほぼ同じ。主治医の訪問診療とデイサービスは月二回。
これらはあくまでもわが家のケースだ。各家庭の事情によりプランも契約内容もさまざまである。家人に代わって買い物に行ってくれたり、食事を作ってくれるヘルパーもいる。委託業務の内容と料金体系がこと細かく定められ、契約書に記されるのである。当家は月々の積算額が介護保険の適用可能範囲をすでに軽々とオーバーしていた。そのぶんはぼく自身の預貯金から取り崩すしかない。父親の介護認定グレードは要介護「4」だったが、家に戻ってほどなく「5」に昇格(?)した。
すこしは周囲が見渡せるようになってくると、ヘルパーや看護師のなかでも腕の立つ立たない、気がきくきかないといった個人差がわかるようになった。それぞれに個性があって、オムツのはめ方ひとつにしても癖があった。得技を持つひともいた。言うことを聞かせるだけなら大男の店長がピカ一だが、さすがにこんなやり方でいいのかと思う。この店長の配下で、よく来てくれるCさんはもと歯科衛生士だけあって、口腔ケアが抜群に上手い。いつも機嫌の悪い父親の入れ歯をつけ外すのは誰しも手を焼くが、彼女だけは父親が拒絶反応を示す時点ですでに脱着を終えている。とはいえ介護スキルという意味ではみなそうレベルは変わらない。ではなにが実力の差になるかというと、よく言われる「人間力」だとか「ヒューマン・スキル」などということになる。気難しくて言うことを聞かない父親を疎んじるヘルパーが多く、力づくで言うことをきかせようとしたり、口のきき方がなってないので交代してもらったのが早くも二人。粗暴なヤツはオレひとりでじゅうぶんだ。そんな中、どんなにご機嫌斜めでも手なずけて言うことを聞かせてしまうヘルパーもいて感心せずにいられない。「お父様って礼儀正しくて、カワイイお方ですわ」と言いながら悠々と子どもをあやすように誘導してしまうのが、先日ぼくを助けてくれた長谷さんというヘルパーである。
「慣れですよ。息子さんだってきっとできるようになりますわ」
「どうかなあ。それはともかく、オヤジがカワイイってのはどうも」
「お父さんは、もとはサラリーマンで、きっとお偉い方だったのでしょう。お育ちも良いのでしょうね。紳士ですし」
「紳士? あのオヤジが」
「はい。大声で暴れるひとも、言うことをまったくきかないひとも、八十を過ぎてセクハラするひともいらっしゃいますから。ウチのスタッフのIなんて見習いの頃、いきなりお尻を撫でられてよく泣いてました」
「歳をとっても性欲にかわりはない。むしろ老いるにつれて世間体だとかモラルだとかいう箍が外れてきちゃって、そのひとの地で生きるようになるんでしょうね」
「そうなんです。さるお宅の奥様は見るからに鎌倉夫人って風情でとても上品な方だったんですけど、日々お世話をしている娘さんがあるときわーっと泣き出すんです。いつも品の良かったお母様がある日を境に突然豹変してしまって。娘さんどころか人前ではちょっと口にできないようなヒワイなことばを、そのときはじぶんの女性器を指して連呼したんです。そんなひとを見たことのない、しかもお母様でしょ。娘さんはひどくショックを受けられて、わあって泣き崩れてしまってね、その後はもう修羅場でした」
「その奥さん、きっとムリして生きてきたんだねえ」
「これは別の男性なんですけど、ショートステイとデイサービスを代わる代わる利用されている方がいて、やはり認知症なんです。元は会社の重役だった方で、お勤めをされていた頃のお心のままでいるんです。でね、デイサービスのときには本社へ、ショートステイのときには支社へ出張でいらしているおつもりなんです。本社ならもちろん日帰りですけど支社ならたいてい遠地にありますから、お泊まりになられるでしょ。それでそんな気になってらっしゃるんです」
「なるほど」
「家からショートステイへ送り出すときはいつも嫌がって動こうとしないんです。まあ喜んで行くひとはふつういませんけれど。すると困るのはご家族でしょ。そういうときにわたしが『I専務、このたび北海道支社で問題が起きまして。是非ともご視察の上ご指導を仰ぎたく……』なんて言いますとね、その方『ウム。仕方ないな、よろしい』って。ノリノリになって着替えてくれちゃうんです」
「あはは。あなた只者じゃありませんね」
どうやらこの女性、ヘルパーの先生みたいなひとで、新人向けの講師もしているらしい。歳はぼくとそう変わらない。八〇年代は丸ノ内のさるコンツェルン系会社のOLだった由。
「〝ジュリアナの四天王〟なんて言われまして。お恥ずかしいですわ。人生なにが起きるかわかりませんわね」
来し方を仰ぐような眼をちらっと見せた。
「いろんな方がいる中で、お父さんは紳士ですからやりやすいですわよ。認知症のひとって、嘘をつけないんです。あなたが言われたように、そのひとがもともと持っていた本性が表に出てきて裏がなくなってしまうんです。いつもは不機嫌でも口が悪くても、オムツを代えるときは進んで協力して下さるでしょ。たまにお父さんから〝ありがとう〟なんて言われると、本心から仰っているとわかりますから、この方カワイイと思ってしまいます」
そういう見方もできるのか。ぼくは目の覚める思いだった。
まてよ。そうすると父親のもう一方の地の部分を引き継いだのはオレかもな。弱るほどに毒気が抜かれていく父親に反比例して、ゴロツキの本性を露呈しているのはオレの方ではないか。これじゃ父子反転だ。
「それにしても、ヘルパー冥利に尽きるでしょ」
「ええ。ダマしてばかりで心が痛むこともあるけれど、こんな方たちのお世話をしていると飽きませんわ。見ていると何だかもう可笑しくて。在宅介護のご家族はそれは大変でしょう。お宅へお邪魔しますと、たいていの方は悲劇の主人公みたいに憔悴して目にクマをつくっておられます。ムリして愛想笑いされるお顔がひきつってらっしゃって。家族だからマジメに思いつめちゃうんです。私もかつてじぶんの母を看取ったときはそうでした」
「ぼくなんて憔悴を通り越して、いつ倒れて死んでもおかしくないって感じかな」
「息子さんはね、ぜーんぜん大丈夫。ほんとうに悩んでらっしゃるのかしら、心の底では楽しんでらっしゃるんじゃと思うほど顔色もいいですし。追い込まれるほど生き生きするタイプなのかしらね」
「ぼくのこのあたりに〝苦笑〟って吹き出しが見えるでしょ」
「どんな笑いでも笑うことって大事ですわ。不謹慎かもしれませんけれど、わたし、認知症の方のお相手をしているとね、なぜだか笑えてしょうがないんです。バカにしているんじゃありませんわよ。ただもういとおしくておかしくて。ご家族からは感謝されるし、こんなに面白おかしくてやり甲斐のある仕事ってまず他にありません。やめられませんわ」
彼女は愉しそうに言った。
二十四.
ベッドに横たわりながら、天井へ向かって右手を真っ直ぐに挙げている。虚空を見つめながら何やら指先を動かしている。
「どうしたの」
「テレビのチャンネルがうまく変わらない」
このまんま死んだら、このひとどこへ行くのかな。
昨夜もそろっと起き出したかと思うまもなくズボンに手をかけるから、
「テメエ何ズボン下げてんだあー」
ありったけの声を張り上げる。
「下げてない」
そう言いながら手はズボンにしっかりとかかっている。その手を押さえ、
「じゃこれは何だこれは」
起き出す気配は寝ているときの息遣いでハッキリわかるから、コソコソやったところでムダである。眠りについているあいだはグゴォーッというけたたましい鼾と、このまま息絶えるのではないかと思うほどの無呼吸とが交互にくり返される。それがスースーという静かな息に変わると、おっ浅い眠りに入ったなと、こちらも警戒モードに切り替わるのである。それをいくどか反復しているうちに朝を迎える。ぼくは、ほぼ毎晩眠っていなかった。それでも実の父親に面と向かって夜通し悪しざまに怒鳴り続けるエネルギーがなぜ、ぼくのどこから湧いてくるのだろう。感情はエスカレートする一方だった。じぶんの怒鳴り声で耳鳴りを起こすことさえあった。手を上げるのも時間の問題か。眠りと自由を奪われ鬱積した負の感情のはけ口はほかでもない父親かぼく自身にしかない。「介護うつ」「無理心中」「自死」そんなことばが脳裏をちらついた。かたや目の前の男は、しずかに息をしながらドラ息子のふるまいを抜けめなく観察していて、こう語りかけるのだ――壊れとるのはアツヒト、お前の方なんだが、今は言って聞かせてもわかるまい。こっちが退いてやっとるだけだ。天井にスピーカーでも仕込んであるのか。声が何だか前よりハッキリ聴こえてくる――いずれ後悔するぞ。その声は部屋の中を、ぼくの頭の芯をカクテルでも振るようにぐるぐる回した。わーっと叫びそうになる。
考えた末、ケアマネの円地さんに電話した。「介護用のつなぎ服っていうのがあるんですってね」「ありますよ。〇〇さんを行かせましょう」二つ返事だった。〇〇さんは介護用品の卸し兼販売業者である。さっそく翌日、店長が家まで品物を持って来てくれた。介護用のつなぎ服とは、文字通り上下が一枚のつなぎになったパジャマである。ボタン代わりにファスナーが足首から股を経由して襟元まで続いている。ファスナーのつまみは金属製のホックに覆われ、ホックを外さないとつまみに指をかけることができない。「このホックがミソなんですわ」店長、ニコニコしながら説明する。相変わらず愛想がいい。が目は笑っていない。
「外すにはちょいとしたコツがありましてねえ。認知症の進んだお方にはまず外せません」
「どうしてそう言えるんだ」
「外せるくらいならお父さん、こんな不自由な状態に陥ってなんかいないでしょ」
「理窟だな。けど拘束衣とどこがちがうの」
と訊くと店長、
「そりゃ野暮な質問ですな」
窮境を打開するにはこれしかない。さながら囚人服、しかも女性用らしい。着せてみるとパステルカラーのカワイイ花柄がかえって囚人服っぽさを引き立てて気がとがめるが致し方ない。おかげでその夜はやっと眠りにありつけたのだった。
ぼくが父親にたいして抱く感情は、一日のうちでもアフリカのジブチ共和国とシベリアのヤクーツクほど温度差に変化があった。やり場のない怒りと憎しみで煮えたぎっている夜間はジブチ共和国だ。ところが奴さんが熟睡している朝、寝顔を眺めているとそんな感情値はすこしずつ降下していく。冷静さを取り戻し、感情値がさらに冷え込んでくると「ゾンビ」である。奴さんが目を覚ましてぼくの横でゴソゴソしはじめる。ぼくはヤクーツクのように凍りつく。うひゃーゾンビが起き出したァ。
*
今日は何曜日だっけ。
曜日の感覚が失われている。フツーのひとたちはみな働きに出ているんだよな。窓の向こうでは、ぼくの背丈をはるかに越えた一本の芙蓉がピンクと白の大振りの花をゆらめかせていた。その上には、夏の盛りそのものである光と紺碧の空が広がり、巨きな入道雲が浮かんでいた。こんな夏色の空を眺めていると、若いころはいつも疼くような気持ちでいっぱいになったものだ。無感情(アパシー)に陥ったみたいだな。
ふと目覚めたら夜中の三時だった。ついさっきまで真昼の空を見ていたのじゃなかったか。ここはどこだ。
父親とぼくが寝ている部屋と襖を隔てた隣、亡母が寝室に用いていた六畳間からゴソゴソと物音がする。そろそろと襖を開けると、そこは三十数年前まで住んでいた大町の実家の二階の和室だった。目の前に母と祐子がいる。お漏らしをしてしまったのか、それとも幼いころ交通事故に遭い頭部に深い傷を負ってこのかた持病となったてんかんの発作を起こしかけているのか。黙って正座している妹の傍らに母が寄りそって背中をさすってやっている。祐子は俯きながらこちらを向くと、訴えるようなはにかむような何とも形容しがたい表情でぼくを見た。ゆうちゃん、どうしたの。返事はない。金縛りにおそわれたか身動きができないままぐうーっと手を伸ばす。伸ばした手の先からこぼれるように姿が遠ざかっていく……目が覚めた。覚めても手を伸ばしていた。やはり夜の三時を回ったところだった。ぼくはほんとうの光がどんなものか知らない土竜のように、終わりのない夜を這い回っていた。
いまいるのは母が仏壇に向かってナムミョーホーレンゲキョーと毎日お題目を上げていた八畳の和室だ。二、三百万円は下らないだろう黒檀に金の蒔絵と木彫が施された仏壇は部屋の北東角に鎮座し、その対角線上、入口のトイレ側に介護ベッドを設え、父親を寝かせている。帰宅してひと月、サポート体制もようやく安定稼働してきた。ショートステイもはじまった。入浴はステイとデイサービスとで、交互に週一回ずつ入れてもらっている。歯医者にマッサージまでつけた。至れり尽くせりである。だがそもそも何のためのサポートなのか。快癒か、生命維持か、緩慢な死のためか。大半の時を傾眠状態で過ごす本人には何のためもくそもないと思える。
担当してくれている医師は聡明で気配りもできる女性だが、看護師たちになるとやれお湯を持って来い、蒸しタオルをすぐ用意しろ、トイレットペーパーはどこだ、石けんはどこだと手足のように使うばかりか、ぼくの寝ている布団の上に取り外したベッドの柵やらオムツやら汚物をくるんだ新聞紙やらを無造作に投げ出すものだからムカつくと言ったらない。高い金を払っているんだ、じぶんでやれとまで言うつもりはないが、オレは小間使いじゃねェと文句をたれたくなる。おまけに誰もが判で押したようにぼくを息子さん息子さんと呼ぶのが癪にさわる。そりゃ「ハギノさん」じゃ父親と区別がつかないし「アツヒトさん」では呼ぶ方も呼ばれる方も気色悪いから、おのずとこの呼び方に落ち着くのはわからなくはないが、オレは「息子」って名前じゃねえと口をついて出そうになる。
ところがそれはぼくの見方が皮相的なので、彼女らには彼女らなりの思惑があるのだと鈍いぼくにもようやくわかってきた。八月に入って間もないころである。往診に来たこの医師が帰りがけにぼくへかけたひと言がきっかけだった。
「息子さん、最近どうですか。夜は眠れていますか」
「ええおかげさまで。ショートステイもはじまりましたしね」
「良かったですね。この一か月大変だったでしょう」
「いえいえ、ぼくは何もできないし、してもいませんから。ただ一緒にいるってだけで」
「一緒にいてあげるっていう、それだけで大したものですよ。ここまでほんとうによく頑張りましたね。立派ですよ。正直言うと、息子さんがここまでガマンできるとは思ってもいませんでした」
このことばを聞くなり、ああ医師って連中は、介護業界ヒエラルキーの上位にいる輩ってのは、こうして患者や家族のココロをさりげなくコントロールしているのだなと思った。父親のように認知障害をともなう患者につきもののコミュニケーション不全から、介護初心者の家族が陥るストレス、孤立感と不安感はハンパではない。それを「最初はみなそうだから」「あなたは独りじゃないから」「そんなに気負わなくていいから」大丈夫ですよと、メンタルがヤラれないよう注意深く励ましなだめすかしながら、そろそろ最初の山を乗り越えたかなというタイミングで発する「一緒にいてあげるっていう、それだけで大したもの」「ほんとうによく頑張りましたね。立派ですよ」という紋切型の褒めことば。これこそマインド・コントロールの基本的な手法である。ぼくのようなヒネクレ者ならともかく、多くの家族はそう言われたら思わずホロッときてしまい、ココロはすっかり連中のものである。
「正直いうと、ここまでガマンできるとは思ってもいませんでした」とはおそらく本音だろう。だとしたらぼくは、一か月と持たないひ弱なメンタルの持ち主と端から見下されていて、ケアマネとつるんで看護師たちを使い、連中のコントロール下に置かれていた、いやいまもいるということだ。連中からしたら、このていどのリスクマネジメントはとうぜんで、ぼくに何かあれば父親を看る者はいなくなってしまう。そこでさりげなくぼくの様子を監察しているってわけだ。無礼千万な連中である。それに気づいてから、ぼくはやつらのことを誰一人信用するものか、利用はしてもけっして頼りにはしないからなと心に決めた。ただ一人、父親を除いては。「認知症のひとは嘘をつけない」から。
だから踵を返して味方をするつもりはないが、齢八十七、来年は米寿を迎えようというこのジイさん、よくここまで生きたものだ。不慮の事故で不本意な入院生活を四か月も送り、やっとの思いでわが家へ戻ってみれば妻はおらず家族といえば息子ただ一人。まあ仕方あるまい、残る余生楽しく気ままに過ごそうと思ったら、リハビリをサボったせいで身体は思うように動かず、ベッドに寝かされたきり囚人みたいな服を着せられ毎日オムツを替えさせられ、尻の穴を遠慮会釈なく穿られ、頼みだったはずの息子からは連日連夜狂ったように怒鳴り散らされて屈辱と悲憤を舐めながら、それでもこうして日々頑張って生きているんだ。ムリやり生きさせられているだけかもしれないけどね。あんた大したもんだよ。オレにゃできねェよオヤジ。――ナニ、みなお前がしでかしたことじゃないかアツヒト。
(第09回 了)
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*『春の墓標』は23日にアップされます。
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