来世はあるのか、人は悟ることができるのか。死の瞬間まで何かを求め迷い続ける人間に救済は訪れるのだろうか。そもそも人間は迷い続けている自己を正確に認識できるのだろうか・・・。「津久井やまゆり園」事件を論じた『アブラハムの末裔』で金魚屋新人賞を受賞した作家の肉体思想的評論第三弾。
by 金魚屋編集部
七.亡霊の声
1.
いまはもう見かけることも稀になったが、子どものころに過ごした鎌倉・二階堂の実家には、亡母がいつも用いていた木彫りの三面鏡の鏡台があった。
それは二階の母の寝室に置かれていた。六畳間の和室だった。誰もいないとき、それをこっそり開いて覗き込むのが好きだった。左右の鏡を中央に寄せると、自分の姿が各々の鏡面に映し出される。左右のそれは、入れ子のように果てしなく映される。集合論の知識もない当時の筆者に無限という概念を理解できるはずもなかったが、鏡のずっと奥の方へ見えなくなるまで小さくなって映りゆく自分の姿には、果てがないのだと直観的に理解し、思わず鳥肌が立つのをおぼえた。おぼえながら、それでもなお見ずにはおれない異様な思いに囚われたことを、いまでもよく記憶している。
しかしさらに不思議に思ったのは、そう思いながら自らの表情を見ている自分の表情もまた、間髪を入れず映っているはずだ、という発見だった。するとそれを不思議に思う自らの表情をもいま自分には見えているのだし、それを見ている自分もまた映っている――つまり、もうひとつの無限がそこにはある。あるいは自分自身の中に何やら根源的なずれのようなものがあるのだ。自分は見る者なのか、それとも見られる者なのか。けれど、そう思ったことは正しい理解なのか。いったいそこに映っているのは何者なのだろう。そいつを私自身だというなら、この私は何者なのか――おぼろげにそう考えると、まことに薄気味悪い思いでいっぱいになった。
私とはもうひとりの私、すなわち他者のことだ。そう言ってすませるのはたやすい。だが子どもだった筆者がその時感じたものは、私でも他者でもなく、またどちらでもあるような、もっと不気味で名状しがたいものだった。しいていえば――亡霊だった。
こう思ってみたりもした。いま私が見ているのは自分自身ではないのだ、と。なぜって、この視線そのもの、眼差しそのものは誰にもみえないではないか。この私自身にだって見えないではないか。私は何を見ているのか、どう見ているのかという話を筆者はしているのではない。見えるという当のそのことはけっして見えないし、指すこともできないと言っているのだ。指さそうにも私は、じっさい見えていておそらくは誰にでも同じように見えているのだろうこの眺めか、眼球を指すしかない。客観的に見えているのはそれだけ、そして目の前に映る自分の鏡像だけだ。けれど見ているのはこの眼球でも視神経でも脳でもない。どんな眺めであろうと、それをじっさいに見ているのはカメラでもテレビモニターでもない。それと同様である。
見ている当の〈これ〉は見えない。そもそも観察しうる対象ではない。客観的世界のどこにも存在しないのだから。見る者それ自身を見れる者などいない。存在と認識のいうなれば「手前」にあるこのレベルでは、もはや視点というものが存在しない。視点とは、それ自身を見る眼差しがあってはじめて成り立つのだから。こんなかんたんなことに、なぜこれまで気づかなかったのだろう。
このことは、他の感覚でも同様にあてはまるだろうか。聴こえるという当のそのことはけっして聴こえないし、指し示すこともできないと言ったら何だか変である。嗅ぐでも味わうでも触れるでもやはりおかしい。感覚上のふるまいの中では、見るという行為だけがどこかメタレベルのイメージや思考を誘う構造をしているのだろうか。なまじ見えるから「見る/見える」ということの奇怪さに気づかないのだと言ったら、もっとおかしいだろうか。
メタレベルと言ったが、見る者それ自身を見れる者などいないということは、そこにメタレベルは成立しないことを意味する。というより、そもそも見る「者」などいない、とはいえないだろうか。あるのはただ「見る/見える」そのことであって、それは無人称だからだ。二〇世紀の哲学者、L・ウィトゲンシュタインふうにいえば「見る/見える」そのことが世界の境界であり、世界それ自体――いや、そうと呼ぶこともできないそのものであって、それは「主体」とか「意識」などという色がつく「手前」にある〈これ〉というほかないのだ。
ならば、それ自身(itself)という観点だって、それ(it)が「見る/見える」対象をではなく、「見る/見える」そのことを指すのだったら、それはじつは不可能だと言わなくてはならない。なぜなら、それ(it)と言えるためには、当の世界全体を俯瞰できる外から、その世界を再帰的に指すことができる立場になくてはならない。しかしこのばあい、それは原理的に不可能である。外などというものはありはしない。あるとしたら、それも世界の一部ということになる。外は端的に「ない」のだ。外が「ない」ならば、そんな観点も仮象にすぎず、じつは「ない」ことになる。
私自身(myself)もまた同様である。自身(self)を参照したり省みたりなどとはもともとできない相談、みなできると思い込んでいるだけだ。自身(self)なんてものは、そもそも実在しないのだから。ましてそれを参照する私なんぞ、なおさらだ。それは世界の内側に生じたひずみであり、仮象あるいは影にすぎない。それ以前に、世界に内も外もあったものではない。仏教やチベット密教にいう「無我」とはそういう意味だし、内も外もない世界とは、ヒンドゥー教のいう「ブラフマン」のことである。
亡霊に正体などありはし「ない」。鏡に映った私の姿は、いうまでもなく客観的世界におけるこの身体であって、どういうわけかその鏡像を「私」として同一化している。けれども同一化しうる何がどこにあるというのだろう。客観的世界の側にも、まして亡霊の側にもありはしない。だとしたら「同一化」だって、そうと思いなされた仮象のひとつにすぎないだろう。
それでも私は、そこにけっして見えない亡霊の姿を重ねてもいるのだ。いま私と呼んだ〈これ〉は、もとより実在しない。にもかかわらず、いま・げんに「見る/見える」そのものとして、世界の「手前」にひかえている。
ということは、世界は実在しないものによって立ち上がっているとも言えないだろうか。裏を返せば〈これ〉だけが唯一の「ある」こと、つまり実在であると。それにしても〈これ〉を私と呼ぶことがあやまちなのだったら、〈これ〉だってほんとうは(〈これ〉だと)呼びえないのではないか?
(神を求めて)私は現世を離脱し、神威性(jabarut)の領域に入っていった。私は純粋霊性(malakut)の海底深く潜り、神性の垂れ幕の向う側に進み入った。ところが、私がようやく高御座まで辿りついてみると、どうだろう、驚いたことに高御座は空だったではないか。私はそのままその上に身を投げ下ろして叫んだ、主よ、何処に汝を求めたらよろしいのでしょうか、と。すると、幕が巻き上げられて、私は見たのだ、私が私であることを。そう、私、私だった。
(傍点原文、井筒俊彦『TAT TVAM ASI(汝はそれなり)』より)
引用したスーフィーの聖者・バスターミーにかぎらず、唯一神の教えにしたがう神秘家たちの言説には、お互いにつうじるものがある。傍点の付された二つの私のうち、前者は神を、後者をバスターミーとしての私と解することもできるが、それよりも、神とバスターミーとをつらぬく唯一の形相、すなわち「私性」あるいは「当のこのもの性」をあらわす述語と解したほうがいい――「神は私である」と。その逆ではない。「私は神である」ではない。このちがいは大きい。
ところがかれは、神との合一など望んではいなかった。この点、イスラームの神秘家とウパニシャッドのヴェーダーンタの教えとは似ているようでいて軌一せず、興味深い。
ある時、ズ・ン・ヌーンの門弟がバスターミーに逢いにやって来た。「誰を探しておいでか」とバスターミーが問う。「バスターミーを探しております」と男が答える。バスターミーは言った、「ねえ、君、バスターミーは、これでもう四〇年もバスターミーを探し続けているのだよ」。男は帰ってズ・ン・ヌーンにそのことを報告した。それを聞いてズ・ン・ヌーンは(興奮のあまり)気を失った。
(同)
いったい誰が神と合一するのか。バスターミーという男ではない。そんな者はどこにもいない。かれは、最後にただひとつ残った「私性」からも離脱するのである。バスターミーを探し続けるその男は「私性」の残り滓にすぎない。そのように呼ばれる者などそもそも存在しないのだ。では、あるのは一なる神のみか。いや、ただ「ある」のみだ――ルネ・マルグリットとミシェル・フーコーの共同制作である「これはパイプではない」にならって言えば、これは言語表現ではない。それを観察し、語りうるような場所(point of view)など存在しないのだ。そうだとしたら、このような自己矛盾とおぼしき表現はことばとしてどんな身分にあるのだろう。それは、わたしたちが〈無〉を飼いならそうとして「無」という名を与えたことと、どんなちがいがあるのだろうか。
一なるものはそれでもなお、このように語れてしまう。誰であろうと、いつどこであろうと。それがことばの次元である。ことばとは、まったく次元の異なる眺めを――もとより同じ平面に並べて見ることなどできないはずの複数の眺めを、あたかも一枚の風景画ででもあるかのように同じカンバスにおさめてしまう、キュビズムの絵画のようにほんらいありえない絵である。そもそも並べて見ること、比較することはことばの特権であると言いたい。いま「同じカンバス」と言ったが、じっさいのところこのカンバスには、何も描かれていない。描きようがない。なるほど、それぞれの描き手の眺めはたしかにあるだろう。眺められた景色ならば。とどのつまり一幅の絵には何の変哲もない、誰もがそれとわかる風景が、たとえば花々や富士山や人物たちの姿が描きこまれるだけだ(もちろん抽象画だったり、奇抜な内容であったりしてもいっこうにかまわない)。わたしたちはそれを、そのような一枚の画としか見ないだろう。
だが、わたしたちは忘れている。眺めるというそのことは眺めることができないのを――したがって、けっして描けないということを。眺める眼玉を、そしてそこから開けた眺めを描くことならば誰でもたやすくできるだろう。しかし眺めるというそのことを眺める者は端からいない。だからそのことは亡霊と呼ばれるしかない。亡霊は声を上げて訴え続ける。〝ここだよ、ここにいるよ〟と。しかしその声は誰にも届かない。亡霊それ自身にも聴こえない。その姿は誰にも見えない。触れることもできない。自らの存在を証ししようにも、証しされるのは眼玉と眺めだけだ。なぜならそれは、存在と認識の「手前」にある当のそのものだからだ。それはまったき〈無〉と区別がつかない。区別できるのはただひとつ、当のそのものだけだ。亡霊とはそういう意味である。亡霊の声が誰にも聴こえないのは、それが世界の中のどこにも存在しないからだ。
そして私も――存在しない。
⒉
トラウマという語は、今日広く一般に膾炙している。
よく取り上げられる事例は、戦争や震災といったもろもろの災害、虐待やいじめ、それらにともなう伴侶や肉親の死といった凄惨きわまる体験である。これらの体験から余儀なく負わされた深いこころの傷へ、さらに刃を突き立てるようにそのひとを後々まで襲い続ける反復強迫、フラッシュバック、悪夢などの諸症状を「外傷神経症」と呼ぶ。その正体は何なのか。ふつう、ひとは不快を避け快を求めたがるものだ。それなのに、なぜそのひとたちはわざわざ真逆なものを求めるのか。精神分析学の創始者、ジークムント・フロイトにそれまで築き上げてきた欲動理論の見直しを迫り、『快感原則の彼岸』を書かせた動機は、そんな疑問だった。
そのひとたちはどんなに忘れたくても、いやおうなくそれに憑きまとわれ、責め立てられ続けている。ところが、である。それを忘れたくてさぞ腐心しているだろうと思いきや、そうとばかりもいえないからふしぎである。ふだんは滅多に思い出さず、すっかり忘れ去っているというひとでも、夢の中にいくたびもくり返しあらわれ苦しめられる。フロイトはこれを「抑圧」と呼んだが、ここまでならば、それまでのフロイト理論でいけるはずだった。しかしかれら患者たちをみていると、むしろ忌避すべきものへ自ら進んで近づこうと欲しているのではないか、と疑いたくなるのである。焼かれてもなお光に引き寄せられる蛾のように。かれらは思い出すたびに苦しみあえぐ。「あーやめてくれェ」叫びは声にならない。ところが、激しい痛みに刺しつらぬかれ苛まれ続けているにもかかわらず、自らそれを進んで反復しているとしか思えないのだ。反復することによってとうぜん傷口は拡がり、症状は激化していく。だからこそトラウマは深刻なのである。
嗜虐志向、いわゆるマゾヒズムということだろうか。かれらは苦悶とともにひそかにそれへ快感をおぼえているのではないか。快感だって? ひとが死の瀬戸際やそれに類する危機的状況へ追い込まれると、エンドルフィンといったいわゆる脳内麻薬、快楽物質が脳内に分泌されることは、今日すでに知られている。フロイトの時代には知られていなかったことである。ひとに大きな恐怖を与えるものが、同時に崇高な感情を催させることがある。巨大地震や津波、竜巻などの自然現象がその例である。これにもそのような体内物質のプロセスが、多少なりとも与っているかもしれない。しかしそのような物質のしわざだったとしたら、患者たちには痛苦の代償に快楽と恍惚とが与えられるだろう。そのような報酬系のメカニズムであるなら、かれら自身それを自覚しようとしまいと前向きに語り、証し立てることができてもいいはずだ。「最初は苦しいんだ。でもずっと耐えていると、じきに気持ちがよくなってくるんだよ」「なぜかわからないけど止められないんです。わたし自身はイヤなんですよ。なのに癖になりそう」などと。たとえ本人が抑圧されたせいで証言台に立てなくても、医師なら見抜くことはできるだろう。だが、かれらの苦しみはおそらく本心からであり、それから逃れたいと、切に願っているのだ。
快感ではないとすれば、何がマゾヒストたちを、あるいはその裏返しとしてのサディストたちを衝き動かすのだろう。かれらの抱く自己破壊もしくは他者破壊衝動に、何の見返りもないとしたならば、何とも不可解ではないか。ちなみに、自らをサディズムの対象つまり他者とみなす者を、マゾヒストの裏返しと言っておこう。見返りとは、自らの所有する他者にとって何らかの価値あるものを差し出す代わりに、自らが欲する何らかの価値あるものを相手から得ること、つまり交換することである。交換価値のない商品はありえないように、価値交換のない経済などありえない。ひとのこころの構造にそんなエコノミーを見て取ったのがこころの経済学者フロイトである。かれはとうぜんそのことに止目した。そして快感原則と相反する、いっそう根源的な衝動が存在すると考えた。無機体としての死へと向かう衝動である。フロイトにとって、死とは生命が発生する以前へのいわば原点回帰だった。はじまりの前である。かれはこれを「死の欲動」と呼び、「生の欲動」に対置して、すべての生命につうじる一般理論へと構想の駒を進めた。かれの思想が画期的だったのは、こころと呼ばれるもの、あるいは現象を、複数の相矛盾する力がせめぎ合う闘争と力学の場ととらえる視点を打ち出したことにある。しかし目の前の患者に具体的な処方箋を示すことが医者の役割であるならば、フロイトはこれにじゅうぶんな処方を示しえていない。かれ自身もそれはわかっていた。
反復することは、痛みに耐え、困難な課題やハードルを乗り越えることによって、成長するための試練を自ら創出することだ、という解釈もある。フロイトの孫・エルンストが一歳半のときに観察された、有名な糸巻き遊びの事例がこれにあてはまるだろう。糸巻きを母親になぞらえ、糸巻きが姿を消す(fort:フォールト=いないよー)ことと姿をあらわすこと(da:ダー=いたよー)をくり返す「いないいないばぁ」遊びのばあいである。これは、自分を抑圧する存在でもある母親への「復讐衝動」とも解釈できるが、他方、母親が不在であることの不快をくり返し演じることで、それを乗り越える行為と解することもできる。フロイトが「支配欲動」と呼んだケースである。ようするに困難に打ち克つため自ら免疫をつくるべくなされる反復行為のことで、そのひとが成長するうえで欠かせないプロセス――そう、ハシゴを架けて上ることである。
この考え方はうがってはいるが、これまた件のトラウマにあてはめてみると、精神分析の治療体系に採り入れ、処方箋を示すことはそれほど難しくないはずだ。患者自身、そのように自己治癒へと向かう意思をさいわいにも示しうるならば、そのひとの背中を押してあげるようなリハビリのプログラムを組めばいいだけの話だろう。あとは放っておけば治るはずではないか。ところが事態は治癒どころではなく、むしろ反復されることによってますます増悪(augmentation)しさえするのである。
もはやこれ以上、精神分析の考えに胸を借りたところで解はえられまい。ここから先は筆者の妄想と思って読み流してもらえればいい。戦争やさまざまな災厄によって家族や最愛のひとを奪われ、自らもまた死に垂とした悲惨の極限を経験した者は、そのただ中にあって、〈かなた〉をかいま見たのだ。反復脅迫と呼ばれるそれらの症状は、とうてい癒しがたいトラウマをつうじて、それらの〈かなた〉へとそのひとをいざない続けているにちがいない。そのひとは悲痛な叫びをあげながらいやおうなく記憶の底へ、自身の内なる底の底へ、そのまた底へと降りていった。その末に、そのひとは見たのだ。もうこれ以上掘り進むことができないほど掘り下げていったその先に、ほんの一瞬見えたのだ。惨苦の果てにしか見出すことのできない蒼穹が、いっさいを突き抜けて広がっているのを。それが何であるのか、そのひとにはわからない。けれどそのひとは、たしかに目撃したのだ。光の源は自身の底にひそんでいたのだ。それはこれまでつむがれてきた世の中のあらゆる力学、あらゆる物語を武装解除するような世界なき世界、意味の〈かなた〉、生と死の〈かなた〉だった。そこには徹底して〈無〉意味な、絶対のたまさかがあった。そしてそうであるゆえの、ほんとうの自由があるとみえた。だから、ひとたびそれを目にした者は何としてもその正体へと至りたい。再現したい。そう思ってどんな惨苦の記憶であろうと反復せずにはおれなくなるのだ。それはそのひとの願いでも意志でもない。〈魂〉の意志というしかない。
認識の光は射し込んでいないのにもかかわらず、そのひと自身は気づいていることがある。それは、そのひと自身が光源だからである。この二重性は精神分析のもたらした最大の発見である。しかしこのことは、そのひとという当の場所すなわち〈魂〉の座でなくては経験できない。そのため、ことばになりえない。そこにはそのひと以外に証言者はいないのだから、そのひとがいくら望んで語っても語っても、ただ亡霊の声となるしかないのだ。
これが「死の欲動」の本質ではないのか。もっともこの考えは証しできないから、永久に明かされず、したがって以上語ったことは筆者のたんなる妄想のまま終わるだろう。
萩野篤人
(第05回 了)
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