宋(ソン)美雨(メイユー)は民主派雑誌を刊行する両親に育てられた。祖国の民主化に貢献するため民主派のサラブレッドとして日本に留学するはずだった。しかし母親は美雨を空港ではなく高い壁に囲まれた学校に連れていった。そこには美雨と同じ顔をしたクローン少女たちがいた。両親は当局のスパイだったのか、クローンスクールを運営する当局の目的は何か。人間の個性と自由を問いかける問題作!
by 金魚屋編集部
14
工場の敷地を出ると、87が話しはじめた。まだ頭のなかを整理し切れていないという物言いだった。発端は1―30が1―41と入れ替わったことだ。美雨の不注意がそれを後押していたということになる。いま考えれば、あのときの1―41は確かにいつもと違っていた。こちらの認識を確かめるように問い質し、会話が成立しないこともあった。試されているのだろうと思い、訊かれたことには答えておいた。あれは、事情に通じていない1―30が自身の理解を深めようとしていたのだ。美雨を欺き、密かに協力させる算段だった。結果、彼女は難なく校内に侵入できた。出迎えた張でさえ見抜けなかった。
1―30は胡のスキャンダルを暴いたが、それを利用したのが反体制派の教師たちだ。外組のほとんどはトップ5に入れず、自動的に工場へ送られてしまう。現体制を倒そうという張の呼びかけは正当性を帯びて伝わった。当初は培養組の抵抗にあったようだが、徐々に風向きが変わりはじめた。培養組のなかには、体制側の教師に都合よく使われていた者がいたからだ。彼女たちは1―30に感化され、張に協力するようになった。あとは鉄砲水のようだったという。教化の鉄壁がついに崩れた。外組と培養組の隔てなく、謀反の声が校内に響き渡った。
張は蓄えていた武具を使い、教師たちを捕縛してしまった。校長も職員室に連れてこられ、全生徒のまえで自己批判を強いられているらしい。
職員室に向かう通路には生徒が溢れていた。
「こいつらの悪事はまだある」
87が高らかに叫んだ。
「そんなもんじゃないんだ。証拠を持ってきた」
胡と配下の教師たちは、生徒のまえで白状させられたという。指揮者は張だった。生徒たちは順番に教師のまえに歩み出た。気の済むまで罵ることが許された。小突いても、唾を吐きかけてもいいと言われた。充分な時間が与えられた。
87の番が近づいたとき、彼女は躊躇いを覚えたのではないか。足りないと感じたはずだ。最大のスキャンダルがあることを知っていたからだ。問題は確証がなかったということだ。目にしてきた光景だけを伝えるのは憚られた。その先を伝えることにははもっと抵抗があった。多分に憶測が混じっていた。しかも教師個人のスキャンダルとは違う。学園側が全面的に認めるかどうかは不確定だった。教師全員が完全に事情を把握しているのかどうかもあやふやだ。すべての条件を満足させるには、実体験者の声を聞かせるしかないと考えた。ほかの生徒に出番を譲り、その足で工場へ引き返すことにしたのだ。
87が進むと、人垣が割れた。道ができ、生徒たちの顔に興味が灯った。工場送りにしたはずの美雨を連れていたからだ。
職員室は自己批判用のステージと化していた。生徒たちは壁際に寄せられたデスクや椅子に上がり、仁王立ちの姿勢で見下ろしている。その外れに1―30の姿もあった。美雨と目が合うと口元に笑みをつくったように見えた。おかげさまで。そんな顔だ。
中央付近に体制派の面々が集められた。みな「反革命」と記された三角帽を被せられ、跪かされ、両手を縛られている。顔を上げることさえ許されていなかった。美雨たちが入っても、躾けられた犬のようにじっとしていた。首からぶら下げてある紙片には、彼らが働いた「悪事」の数々が記されてある。なかには「胡に心酔」や「現方針に忠実」というものさえ含まれている。
善悪を測る物差しは、この活動に賛同するか否かという一点にあった。その象徴が胡の目のまえに立っていた。95である。彼らのスキャンダルをまとめた冊子を読み上げているかのように、彼女の口からは止めどなく言葉が溢れ出ていたのだ。彼女はトップ5に入っていた。あのまま体制が維持されれば卒業資格を得られた、胡に牙を剥く必要がなかった生徒のひとりだ。三角帽を被るべき生徒として扱われても不思議ではなかった。だからこそ、ああして誰よりも汚い言葉で罵倒している。この場で私刑を強行すべきだと煽っている。自分は反体制側の賛同者だと身振りを交えて訴えている。少しでも張たちのやり方に疑問があるような気配を見せれば、仁王立ちの生徒によって羽交い絞めにされ、胡の真後ろに繋がられてしまう。
まさか培養組も加担するとは。それが95の偽らざる気持ちだったのではないか。ひとりだけ額に汗を浮かべ、必死の形相で捲し立てる。空々しい熱意を放散し続けている。
「もういい」
肩をたたかれ、95が振り返った。みな美雨たちに気づいていたが、彼女だけは違っていたのだ。87の顔を検めると、その場に座りこんでしまった。いったいどれくらい話していたのか。生気を使い果たしたように項垂れた。
87は労おうともせず、脇に押しのけてしまった。なるほど。彼女が仕向けたのだ。工場へ向けて再出発し、結果を得てもどってくるまではそれなりに時間がかかる。一分でも長く話し、生徒が暴発するのを防げ。ご自慢の頭脳とよく動く口で釘づけにしておけと命じた。足元を見られた95は拒めなかった。
「話してくれ、見てきたことを」87が美雨の背中を押した。
工場は作業場ではなかったと知らされ、みな机や椅子から飛び降りた。私刑がはじまった。悲鳴を漏らせば、生徒たちはさらに狂暴化した。
1―30が胡の体を床から引き剥がした。
「あなたの言葉で上に説明しなさい。もう一度、王先生が校長にもどるべきだと」
しかし。
「……君たちは勘違いしているようだね」
胡は咳きこみながら続けた。
「この学園が創設された本来の目的だよ」
「王先生は天才児を見つけ出すために高い教育を」
「そこさ」胡が顎を突き出した。「驚きだよ。君たち培養組でさえ惑わされるとは」
まだわからないか、と目が訊いている。
「すべては『矯正ありき』なのだ」
生徒を脱落させることが本校の役割であり、そう仕向けるカリキュラムをつくることが教師に課せられた使命だったという。
「教育方針など大して意味を成さない。王の方針も、わたしの方針も、どちらを採用したところで脱落組は確実に工場送りにされるのだからね。王が一年で異動した理由はふたつある。ひとつは体制が替わったから。もうひとつは脱落者を確実に工場送りにできるシステムが仕上がったからさ」
「最初から矯正が目的なら、どうして外組や培養組に分ける必要があったの。十八歳になったら、すぐ工場へ送ればいい話じゃない」
1―30が胡の髪の毛を引っ掴んだ。
「おまえは王先生を貶めたいだけだ。だから、そんな出任せを」
「『矯正ありき』を党が認めると思うか。いずれは世界を納得させなければならない、壮大なプロジェクトだ。高い教育を施し、天才児を見つけるというお題目こそが必要なのだ」
「何もかも、メンツの問題ってこと」
「いまさら何を驚いてる。だだっ広いこの国で使える、たったひとつの共通言語だよ」
1―30が異変を察知した野ウサギのように顔を上げた。「張が、いない」
取り巻くように立っていた反体制派の教師たちも姿を消している。
「当然だろう。あいつらだって工場の実情を知っていた」
胡が赤い痰を吐き出した。
「君たちは都合よく使われたのさ。文革と同じように。それでも報告するかね」
「スキャンダルは事実だろうが」
87が食ってかかった。怒声だけで誰かを失神させそうな音量だった。
「それも草案に組みこまれていたカリキュラムだった。培養組の耐久力を試すために」
半開きの目が1―30に向けられた。
「培養組の弱点は外を知らないことだ。だから騙される。3―19も同じだった。三世代にわたって解決できていない致命的な問題なのだよ」
スキャンダルに手を染めたと思われていた教師たちは、その特質的な問題を解決すべく真摯に取り組んできたのだという。
「教化を改善するには……それなりのデータと検証が要るからね」
「詭弁だ」87が鉄拳を落した。
「クローンの分際で何を言う……。おまえたちの声を中央が聞き入れると……思うか」
命の残量が目に見えて減っていく。
「我々が文革から何を学んだか……少しでも歴史を齧ったことがある者なら知っている。こんなちっぽけな謀反でさえ、徹底的に潰すのが国是……」
痙攣した右目が閉じられた。せいぜい頑張りたまえ。声を失った口がべつの生き物のようにそう動いていた。
中央が、政府が、党が、この事態を知ればどうなるか。胡は明言したのだ。革命を認めるはずがない、潰されるのがオチだと。
どうする。視線が網目のように交わされた。ここに指揮官はいない。積もりに積もった思いをぶつけるためだけに集っていた。87も立ち尽くし、唇を結んだままだ。
「この状況を中央が知っているとは思えない」
1―30が沈黙に切りこみを入れた。
「いずれはバレるでしょうけど、そのまえになんとかしないとね」
「なんとかって何を」美雨はほかの生徒たちにも問う思いで言った。
「決まってるじゃない」
1―30は胡の遺体を爪先で突いた。
「わたしはわたしの目的があって来た。この人に復讐しようと」
「そのせいで1―41は」
「そうね、死んだわ」
「あなたが殺した」
「彼女が外の世界で過ごしてきた毎日は、きっと死ぬほど退屈なものだったのよ。あるいは、ここと同じくらい苦痛だった。そうじゃなきゃ張の依頼を受けていないでしょう」
「だから、死んだほうが幸せだったって言いたいの」
「わたしのことはわたしがカタをつけるってこと。でも革命は違う。あなたたちの問題」
1―30がひとりひとりを指しながら言った。
「胡が言ったでしょう。文革はどうなった?」
「首謀者が死んで、ようやく終わった」
「そのあとは」
「投獄された者たちが解放された。名誉回復のために」
「それだけじゃない。文革の片棒を担いでいた者たちが全面的に責任を負わされた」
首謀者の妻をはじめとした最側近も捕らえられ、裁かれた。
「この謀反は違う。首謀者たちが生きている。彼らを捕まえないと、裁かれるのはあなたたちってこと」
「とっくに逃げてしまったかもよ。外に」
1―30は職員室内にあるブースに向かった。校内に設置されている五つのカメラの映像をすべて確認できる。新東口は閉鎖されているため、外へ出るには西口を使わなければならない。カメラは、校舎と西口を繋ぐ通路付近に一台設置されている。録画された映像をチェックしてみたが、張たちは映っていなかった。
「連中を見つけるまで、西口も閉鎖したほうがいいと思う」
モニターを睨みながら1―30が言った。
「生徒のなかに裏切り者が出ないとも限らないでしょう」
C班も革命に加わっているため、事実上、ハンターの機能は停止したままだ。美雨たちには通信機が埋めこまれていない。いま逃亡すれば、見つかる可能性は極めて低くなる。
「誰の口からこの状態が漏れるかわからない」
中央にどう伝わるか、ではなく、どう伝えるかということが重要だった。口が違えば情報の質も温度も変わる。逃げた者によって伝えられるなら、それは胡に有利な内容にすり替わるはずだ。
「ここには大勢いる。張たちがいっせいに抜け出せば、異状だと気づいたはず」
「確かに」美雨は頷いた。
「つまり、彼らは目配せし合いながら踵を返した。工場の実情に話が及んだころから、ひとりずつ、足音を消して出ていったのよ」
「まだ校内にいるとすれば、落ち合う場所がある」
「全員が揃うのを待ち、折を見ていっきに逃げ出す。そんなところでしょう」
胡の遺体は医務室に運ばれ、ほかの教師は職員室に監禁された。1―30が見張っている。生徒たちは十名一組のグループに分かれ、校内へ散った。捕縛作業はC班の専門分野だが、何しろ相手は複数である。広い校内を捜索するには手が足りない。A・B班の生徒を混ぜた構成にせざるを得なかった。ただ、彼女たちには戦闘経験がない。パニックを起こせば返り討ちにされる。張たちは武装しているのだ。
87が校長室で指揮を執った。監視カメラのモニターは、職員室だけでなく校長室にもある。班分けするための資料を校長みずから集めていたのだろう。
校内に設置されたカメラは五台。各教室に一台ずつ、西口の連絡通路付近と校庭に出られる中央口にそれぞれ一台だ。新東口に設置されていないのは、もともと培養組が学んでいた棟にあるからだろう。彼らは完全教化され、監視する必要がないと思われていたのだ。
いまは西口の小門も閉鎖され、張たちの捜索に集中できた。が、87はその小門にこそ最大の動員を仕掛けた。張たちは閉鎖を知らない。脱出できると信じこませ、誘いこむ。
いまのところは監視カメラに映っていないという。当然だ。わざわざ行動を読まれるような真似はしない。捜索は、二階の体育館周辺と小門に近い一階が重点的におこなわれた。
美雨のグループは二階を担当した。最大の問題は通信手段がないことだ。本部が置かれた校長室への連絡は、A・B班の生徒が口頭で伝えなければならなかった。彼女たちは、決められた時間になると本部へ駆けていく。青い顔をして出発し、さらに血の気を失って帰ってきた。道中、張たちに襲撃されるかもしれないと気が気ではないのだ。
本部では87が待機し、捜索状況の報告を受けた。彼女はその都度、校内アナウンスしている。配給部付近の捜索に話が及んだとき、報告とは違った内容が伝えられた。美雨たちは顔を見合わせたが、すぐ意図に気づいた。張たちも放送を聴いている。敢えて彼らに聴かせることで、不安感を高めようとしたのだ。どのグループが、どこをどれだけ捜索したのか。真っ正直に進捗を伝える必要はなかった。
美雨たちは地階へ向かった。張が謀反を決行したとき、カフェテリアの一角にクッキングセンターや配給部の職員が隔離された。体制側のスタッフ、いう理由で軟禁されたのだ。外部の業者などに連絡できないよう、通信機器は破壊されたようだ。あとは一階で見張っている、と脅しつければ済む。逃げ出す気は失せるだろう。
87は地階にも放送を流している。配給部の職員は張が行方をくらませたことを知ったはずだ。自動的に軟禁は解かれたが、出てきたという報告はなかった。張たちは追われる立場になったものの、まだ校内に潜んでいる。避難する途中で鉢合わせになれば人質にされかねないと思ったのだろう。そうした職員の怯えを利用しない手はない。張たちは地階に潜んでいる可能性が高かった。匿ってもらおうと武器を使って脅したのかもしれない。
どれほど怯えていたのか。駆け下りていったときに思い知らされた。スタッフは座っていた椅子を跳ね飛ばして立ち上がった。彼らの様子を見る限り、張たちが潜んでいるとは思えなかった。
捜索の舞台は再び二階へ移され、美雨たちは体育館に入った。隠れるとしたら用具室だ。倉庫には格闘訓練のための武具も仕舞われている。
『新東口付近で話し声。応援要請。至急』
何度目かのアナウンスで、87が使う言葉の意味を完全に聴き取れるようになった。
新東口近辺は問題なし。ほかの箇所に重心を移す。丁寧に捜索せよ――。
すでに三階へ移動しているグループもある。現段階で一階を捜索するグループはいない。小門を警護している生徒だけだ。彼女たちはA・B班だけで組まれた最弱チームである。張たちが現れれば、格闘せず、一目散に逃げていいと伝えられていた。実質的な守護神は閉鎖された小門そのものである。
体育館を出ると、三階から降りてきたグループがあった。さっき向かったばかりだというのに、早々に捜索を終えてしまったらしい。確かに教室内には潜むスペースがない。監視カメラで漏らさず捉えられる。
階段を下りかけたときだった。
『全グループへ。残すは三階のみ』
再びアナウンスが入った。
『三階のみ』
三階に向かっていたグループは捜索を打ち切り、階下に向かえという意味だろう。しかし、アナウンスを繰り返した。いままでにないケースだ。強調した目的は何か。階下が二階ではなく一階だということではないか。一番上の階へ行けという指示ならば、一番下の階へ急げという意味だと考えていい。
三階組と確認し合い一階へ下りた。特に重点を置いて調べたエリアだ。美雨のグループだけではない。東西の出入り口を担当した者たちも同じ思いだったはずだ。みな中央口付近に集まりはじめ、一様に首を傾げた。
張たちは揮発したように消えてしまった。捜索しはじめた当初は、これほどの難航を予想していなかった。いつ格闘することになるのかとずっと緊張していた。
C班のメンバーが集まった。それぞれが担当したエリアを告げ、重複して調べた箇所を再確認していく。
見落としはないと結論づけられた。考えられるとすれば、すでに脱出してしまった可能性だった。しかし、西口の監視カメラは「否」と断じている。小門も破錠されておらず、時間的な制約を考えても脱出できたとは考えにくい。
堂々巡りだった。これだけ動員しても見つからない。忘れている何かがあるということか。あるいは調べたという確信が正しい判断を妨げている。
『至急、三階を再確認』
アナウンスが入った。
『繰り返す、最上階をもう一度捜索せよ』
変わった。敢えて、最上階と指示している。しかし、一階は埃を舐めるほど調べてきた。
確信が妨げを――。
そうか。
談笑する声が聞こえてきた。美雨の姿を見つけるや、彼らの声は硬くなった。間違いなく取り繕ったものだ。
「彼らはどこですか」
職員たちは一様に首を振り、知らないと繰り返した。
美雨の報告が「不確か」だと感じていた87は、全方位からの報せを受けて最終結論を導き出したのだ。
美雨は伝令を本部に向かわせた。ここから先は87の格闘能力も必要だ。
ほかの生徒たちも下りてきた。確認したはずだろうという顔が美雨に向けられた。
「一緒に逃がしてあげるから、とでも言われましたか」
美雨は配給部の職員に言った。表情が強張りっぱなしだ。
「C班、準備はいい」
美雨の声で、クラスメイトたちが銃を構えた。
87も到着した。中腰の姿勢で最前線に立つ。
「わたしたちは、その、脅されて……」
説得力はなかった。内耳には先程の笑い声がこびりついている。
「残念だけど、逃げるのは無理ですよ」
小門はバリケード閉鎖された。そう告げると、職員たちの顔が泣き笑いに変わった。誰を信用し、頼ればいいのかわからない。彼らこそが本当の被害者に違いなかった。張が謀反を実行したとき、彼らは体制側の一員として扱われ、閉じこめられた。まずは胡たちを締め上げてからだ。そんな類のことを言われたのだろう。凍りついているところにまた張が現れた。徹底的に絞られると思ったが、彼は協力を求めてきた。反逆者に追われている。学校関係者はすべてターゲットにされる。我々に味方すれば、隙を見て外へ逃げ出せる。被害者のフリをしてやり過ごせと。生徒たちが一気に入りこんできたため、彼らは張の言葉を信じてしまったのだ。
職員たちは、恐る恐るという顔でクッキングセンターを見やった。カーテンが引かれていて、奥の様子を確認できない。先頭の87が振り返った。美雨に突入するタイミングを伝えている。
ゴーサインに備え、前傾したときだった。銃声が轟き、センターの内窓が砕け散った。C班の生徒たちは身を屈め、照準を合わせた。
87が叫んだ。負傷者の数を確認している。周囲から、背後から、無事を知らせる声が聞こえてきた。誰も撃たれてはいない。
カーテンが揺れ、ドアが開けられた。しかし、87から掃射の指示はなかった。自重を促している。
張が姿を現した。両手に銃を持っていたが、グリップを握っているわけではなかった。頭上に掲げられ、降参の意思を示している。刹那、奥に広がる惨状が垣間見えた。梁と林の姿があった。ガラスが散らばる床に這いつくばり、浸されたように血塗れだった。
「仕方なかった。彼らは徹底的に応戦すべきだと主張していたからね」
張が銃を置いた。
「彼らは、わたしを担ぐことで『革命』を成し遂げようとした。自分たちの待遇に不満を感じていて、いつでもやれる準備を整えてきた。あとはタイミングだけだった」
「そんなとき、1―30が校長室を占拠した。ってことか」87は狙いを外していない。
「わたしは反対した。成功する見込みは低いと。そうだろう? この学校は中央の監視下にある。彼らは謀反を許さない。認めない。だからこそ、やるならスキャンダルを暴くことに徹すべきだと説得し続けてきた」
「なんで、工場のことを隠した」
「隠したわけじゃない。話したところで誰が信じる」
「オレたちが工場の実情を暴くとは思ってもみなかったってわけか」
「彼らは自分たちの待遇さえ変わればそれで――」
張の頭が仰け反った。
銃声は美雨の斜めうしろから聞こえた。1―30だった。
「なんてことを」
美雨は1―30の肩を揺さぶった。
「梁と林も死んでしまったのよ。張を殺せば、中央に差し出すも何もないじゃない」
反体制派が何をしたのかは、胡たちに自己批判させた映像を確認すればわかる。しかし、反旗を翻された中央としても自分たちのメンツを立てなければならない。そのためには反体制側の誰かを裁く必要があるということだ。法廷の場に引き摺り出し、刑を言い渡し、速やかに遂行することでしか治安を司る側のメンツは保てない。遺体は用をなさない。むしろ、強引な幕引きを図ったという嫌疑をかけられる。体制側が批判されかねない。
「胡の言葉が頭から離れないのよ」
1―30が呟くように言った。
「教師たちは、胡が殺された一部始終を見ていた。監視役がわたしだけだと知るや、必死に命乞いをはじめた。わたしひとりなら説得できると思ったんでしょうね。胡は違った。殺されることがわかっていても自信に満ちていた。中央に伝わることを確信していたのよ」
「胡が連絡するところを見たの?」
1―30は否定した。校長室に侵入してから、彼の動きはすべて確認していたという。
「不測の事態に備えて、胡の代理を決めていたのかも。教師や職員の誰かでしょう」
「職員はここに軟禁されたし、通信できない状態だったわ。彼らには無理よ」
「任命されるとしたら教師ね。生徒をモニターで監視できるのは、胡を除けば彼らだけ」
1―30は「しかも」と声を震わせた。
「ここが矯正事業のために運営されていたのだとしたら、国内にある拠点のなかでもトップクラスだったでしょう。相応の扱いを受けていたはず。クローン計画が公になることを避けるために、学校の存立を守るために、それなりのシステムが完備されていたと考えるのが自然だわ」
誰かに責任を負わせ、誰かを裁く。そうすればメンツが保たれると思っていた。しかし、法廷を使えば、問題が出来したという事実そのものを認めることにもなる。もっと簡単で、完璧にメンツを保てる方法があった。
「クローン計画そのものを葬りにくる」
みな真空を食らったように言葉をなくした。
「脱出すべきよ」
教師たちの車、工場へ運ぶトラック、ハンター用のバン、87が奪ってきたトレーラー、合わせればそれなりの数になる。一台に四、五人は乗れる。充分に収容可能だ。
1―30は教師たちを「処分」すべきだと強弁した。胡が中央に連絡していた様子はなかった。まだ教師の口から漏れていない可能性もある。張たちが謀反を起こし、すぐに体制側の教師は捕らえられ、自己批判させられた。中央に伝えられるタイミングがあったかどうかは五分五分ではないかという。だとしても、このまま放置しておけばいずれ伝わる。間違いなく追われる。少しでも時間を稼ぐには「処分」が正しいように思えてくる。しかし、闇雲に逃げれば相手の思う壺ではないか。すぐ網にかかるのは目に見えている。美雨と87は「処分」に与しなかった。中央に通じる者がいるのなら、情報を訊き出すべきだろう。どのような方法で制圧しに来るのか、相手の行動を予測した上で逃走したほうが効果的だ。逃走経路を確定する決め手にもなる。
「でも誰が訊き出すのよ」外組のひとりが泣き出しそうな声で言った。
「オレがやるしかないだろ」87が手を挙げた。提案者の責務だから、ということか。淡々とした顔でカフェテリアから出ていこうとする。
「骨のあるやつが要るんじゃなかった」
美雨がそう言うと、87は初めて「まあな」と白い歯を見せた。
「――だったら」
1―30も参加の意思を示した。
「わたしは校長室をあたってみるわ」
美雨と87が教師から訊き出せなかったときに備え、校長室内に資料が残されていないか調べてみるという。胡の愛人だったこともあり、校長室のことには知悉しているようだ。
生徒たちは、適当にグループ分けされ、教師の乗用車とハンター専用のバンに乗りこんだ。こちらのほうがスピードを出せる。一方、美雨たちは幌付きのトラックを使うことにした。トレーラーを利用することも考えたが、目立ちすぎるという意見で一致した。作業を終えられるのは日暮れだろう。夜に乗じて逃げる計画だ。
「なあ、培養組よ」
最後のグループが出発する間際、87が4に声をかけた。
「今度こそオレたちを真似る必要がありそうだな」
「どうして」
「外に出れば、おまえたちのほうが目立つんだぜ」
「金髪なんて嫌だわ」
「『地下』に潜りたいなら、これくらい派手なほうがいいんだよ」
なんだっていい。人形みたいな恰好だけはやめておけ。つんとした物言いもダメだ。周りを観察して、溶けこめるような姿に変えろ。怪しまれないために。87は怒鳴るように言った。4は相変わらずぶっきら棒に返すだけだったが。
交わされた会話は短かった。それでも、半年前なら考えられない光景だった。
(第14回 了)
縦書きでもお読みいただけます。左のボタンをクリックしてファイルを表示させてください。
*『クローンスクール』は毎月15日にアップされます。
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■