来世はあるのか、人は悟ることができるのか。死の瞬間まで何かを求め迷い続ける人間に救済は訪れるのだろうか。そもそも人間は迷い続けている自己を正確に認識できるのだろうか・・・。「津久井やまゆり園」事件を論じた『アブラハムの末裔』で金魚屋新人賞を受賞した作家の肉体思想的評論第三弾。
by 金魚屋編集部
四.主題化されないもの
「なぜまったくなにもないのではなくて、なにかがあるのか?」
一七世紀ドイツの哲学者、ゴットフリート・ライプニッツが最初に問題提起したとされるこの有名な問いは、そもそも問いではない。というのも、ふつう問いに答えるためには、その問いが問いとして有効であることが前提になる。「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いならば「人を殺すのはわるいことだ」とか「よいこととわるいこと」という前提があってはじめて問いが有効になる。このばあいなら、問いの前提として「まったくなにもない」と「なにかがある」とを対比し、語りうるような第三の土俵がなくてはならないはずだ。けれどもそんな「ある」でも「ない」でもないような、またはどちらでも「ある」ようなものなどありえないだろう。それでも「ある」と「ない」とは、こうしてことばではいくらでも並べて語れるようにみえる。ではそのさい、なにが語られているというのか。比較するものが何も「ない」というのに。「ある」ものはただ「ある」だけだし、「ない」ものはひたすら「ない」だけではないか。もともと双方は縁もかかわりもないはずだ。しかしそうすると、ライプニッツの問いはじつは問いではなく、問いに似たある種の主張とでも考えるしかなくなる。というのも「ある」が自らをいくら「ある」と主張したところで、その主張は白地に白が浮かび上がるようなもので、けっして主題化されることはないからだ。「すべてはあるがまま」という白無垢な世界がありえないように。
「主題化」という意味で思い起こすのは、哲学者・永井均がかつてその名著『転校生とブラック・ジャック』(二〇〇一年、岩波書店、後に岩波現代文庫から再刊)の最終章で提示した、解釈学・系譜学・考古学という考え方である。永井の用いた卓抜な喩えをふまえて紹介しよう。チルチルとミチルが旅でずっと探し求めてきた幸福の青い鳥、それはなにか。これが論題である。青い鳥は二人が旅に出る前、家にいたときからもともと青かったのだ。そう「気づく」ことが「解釈学」である。これは「自分の人生を成り立たせているといま信じられているものの探求である」(永井前掲書、岩波現代文庫版二二四頁)。二人にとってみれば、それは「彼ら自身を成り立たせている当のものであるその記憶」(同前)であり、二人の生はその記憶と一体となって不可分である。だから、それが誤りであることは万が一にもありえない。解釈学とはこのように「いま・ここ」を起点として、過去を含めたすべての世界がそれから構成され意味づけられるような信念のありかたをいう。「自分探し」がその典型であるように、自らの人生に「イエス」と肯わせたい思想・宗教、啓発本などの言説の多くは、自覚しようとしまいとこの立場に根ざし(そのためにたいてい失敗し)ている(のに気づかない)。「十牛図」ならば、第六図までの牛飼いの小僧、つまりビルドゥングスロマンの主人公がこれにあてはまるだろう。そうせずには生きることが困難だと思っている多くの人びとの欲求、「真実に気づかせてくれ」という物語への欲求が尽きない限り、解釈学への要求も尽きることはない。
けれどそれって、過去の捏造ではないのか。青い鳥は二人にとって、ある時点からもともと青かったことになったのではないか。そこに懐疑のメスを入れ、実在(ほんとうにそうであったこと)と解釈(ほんとうにそうであるとされたこと)とを引きはがして考えることが「系譜学」である。それは「解釈学」の起点である「いま・ここ」という前提自体を疑い、「現在の生を成り立たせていると現在信じられてはいないが、実はそうである過去を明らかにしようとする」(同前)立場である。「いま・ここ」に与えられている信念を形作っているあらゆる前提を、自身をも含めてカッコに入れ、「ほんとうは~ではないのか?」と疑いうる態度は、その思想信条にかかわりなく、この立場にあるといえる。
これに対して「考古学」は、「系譜学」によって暴かれた「真実の」過去をすらよしとしない。過去は、「ほんとう」と「うそ」、あるいは記憶や歴史を介した現在と過去という遠近法的思考や概念のフレームそれ自体の外に、そのものとして存在する/したのではないか。チルチルとミチルにとって鳥は、もともと青かった、ほんとうはある時点で青かったことになった、などという「真実」を元手にした主題化すらされていなかった。鳥は「白色」だったのでもないし、記憶が朧ゆえに「セピア色」なのでもない。そもそも「色」という概念の外にあったのだ。まして「幸福」などという思いもかれらにはなかった。そのようなわたしたちの思考のおよびえない「外」へ、届きえないものへと、向けようのない眼差しをそれでも向けること、それが「考古学」である。「考古学的視線とは、視線を向けることができないものに対する、不可能な視線の別名なのである」(前掲書二二八頁)。
永井の考察にすこしつけ加えておこう。
ひょっとしたら「鳥」もしくは「鳥という概念」すら、存在しなかったのかもしれない。そもそも「チルチルとミチル」と呼ばれる者たちの物語からして、ほかでもない、わたしたち自身がそれを欲し、織り上げた作者であり張本人ではないのか。語り手自身が真犯人だったという推理小説のオチのように。わたしたちの「歴史」がつむいできた、あらゆる物語がそうであるように。わたしたちはなぜ物語をつむぐのか。言うまでもない、それがわたしたちにとってのハシゴだからである。「歴史」がつむぐものはつねに物語であるといってもいい。他方、自らがつむいだ物語をつねに裏切るのが当の「歴史」だともいえる。いずれにしても、そのように主題化されることのないまま、そのものはあったのだ。〈無〉ではないなにかとして。なぜって、わたしたちだってげんにこうしてあるではないか。そのことが唯一の、なによりの証しではないか。
この〈無〉ではない「なにか」には「ほんとう」と「うそ」、「内」と「外」といった区別自体存在しない。それゆえ「考古学」もまたありえない。というより、この「なにか」への透徹した眼差しだけが「考古学的視線」を立ち上げる。そして立ち上がったと思ったら、たちまち溶け去っているのだ。それが「主題化」する前に。
「すべてはあるがまま」は、それを認識のひとつの水準とみなすなら、「解釈学的生」のひとつにすぎないだろう。それは「もともとあったがままの相なんてありはしない」という批判にたやすくさらされるだろう。けれどそれは、ある意味で「解釈学」をいっそう純化させ、突き抜けた形態でありうるかもしれない。というのもそれは、「系譜学」を経由して、ひょっとしたら「考古学」までをも包み込んだその末にたどりついた、究極の肯定表現であるかもしれないからだ。
どういうことか。
「すべてはあるがまま」とは、思うがままにふるまうという意味ではもちろんない。この世はほんとうはかくかくしかじかなのだと気づく。知る。あくまでもその「気づき」が前提である。それは「じつは~である/あった」という構図に収まることで、はじめて立ち上がる。それゆえ、それはやはり認識の事態であり、知の階梯のひとつにはちがいない。じっさいそのようにしてわたしたちはあの「十牛図」の童と同様にまなび、一歩ずつハシゴを上っていく。そして上るにつれ賢くなっていく。じっさい「気づき」の前と後では、世の中の見え姿も、そのひとの人生も、がらりと変わるなんていう物語は、くさるほどある。
となると「すべてはあるがまま」は、循環論法のひとつにすぎないことになる。「じつは~である/あった」と考えることと「すべてはあるがまま」とに先後の順はないことになるのだから。「すべてはあるがまま」という無垢なありかたは、そもそもありえない。そう考えることもまた、啓蒙のひとつではあろう。啓蒙の光をこばむわけではない。けれどこの世界ぜんたいのありようを「じつは~である/あった」という話法によってどう言いあらわそうと、ハシゴを上りきり、「すべてはあるがまま」の次元に到った後で不要になったハシゴを捨て去ろうと、「あるがまま」の次元はわたしたちのどんな認識にもかかわりなく、はじめからとうに剥き出されてあるのではないか。「十牛図」の第九図に「返本還源」といわれる。「もともとあったがまま」とは、そういうことではないか。そうでなければ「この世はほんとうはかくあるのだ」という洞察の本義が、うしなわれてしまうだろう。こう考えることも啓蒙の話法のひとつでしかないにしても。つまり「認識」と「存在」とのあいだには、埋めがたいギャップがあるのだ。
もうひとつ。
「すべてはあるがまま」ならば、このような「気づき」それ自体もまた例外であってはなるまい。「気づき」や「知」という特権的な場も認識もありはしない。あれも「あるがまま」なら、これも「あるがまま」。「ある」ことのさらなる底はなく、その「外」もまたありえ「ない」。お釈迦様の掌とはこのことである。わたしたちのどんな思いもまた例外なく、そしてひとしく「あるがまま」である。では「あるがまま」でないものがそれでもあるとしたら、何だろうか。「あるがまま」でありたくともそうあることができず、ままならぬ星の下にあると思い込んでいるわたしたち自身ではないのか。バイアスをかけているのはむしろわたしたち自身ではないだろうか。「バイアス」とは、「認識」と「存在」のあいだに生じずにはおれないギャップのことだ。
しかしバイアスをかけているというそのことをも含めて、わたしたちはとどのつまり「あるがまま」であるほかない、とも言えるのだ。「あるがまま」とは、何ものかについての、またはその何ものかの置かれた状態についての表現ではない。それは「ある」でないこと、すなわち〈無〉を「ない」なにものかと思いなすような「主題化」だ。言われた当の「ない」は、もちろんどこにもありはし「ない」のだし、何ものも〈無〉という場所へ立つことだけはけっしてできない。場所も何も「ない」のだからとうぜんである。〈無〉は、いっさいの存在と認識と意味の向こう側に、「外」にある。いや「ない」。そうだとすると〈無〉では「ない」ということすなわち「ある」こと、それはただただ「ある」ばかりだという意味になろう。それこそがまた「あるがまま」の意味、いや意味にもなりえないような意味でもあろう。ほんとう/うそ、実在/仮象、意味/無意味、肯定/否定――「ある」は、そんな区別をことごとく失効させる。というより、それらの区別が生じる手前に「ある」。
「すべてはあるがまま」もこの次元では、「ある」になにごとかを付け加えるという点で無用な表現である。そこに足されるものも、引かれるものも何ひとつありはしない。わたしたちのあらゆるいとなみは、最終底としての「ある」の上ではひとしく満月のように欠けるところがない。そうと得心することが「解釈学」の進化形、その最終形態という意味である。しかしこのことを得心したとしても、当の「心」は、どのような身分でもありえない。それは蝶になった蛹のように、蛍火が漆黒の闇へ没するごとくついえ去り、誰の記憶にも残らない。蛍火に宿るその幽かな思いを、徒労とわかっていても、すくい取ろうとして止まないこと。「考古学」とは、そのようないとなみの呼び名かもしれない。主題化されることがないものとは、そういう意味である――と、このように「主題化」して語ることはもちろん可能だ。けれど一方、どんなに語っても語りの中からこぼれ出るものがある。語ることによってその帳を開かれるのは、このように語ることによって語りそれ自身に生じる亀裂であり、「ある」ことそのこととのあいだに生じるへだたり、ギャップである。そして、それこそがことばというものの本質なのである。
さて、そうなると、自らのかがやきを自身はついに知りえないということになる。でもそうだとしたら、あのバカボンパパのつぶやきは「考古学」のさらにその先へ抜けているかもしれない。なぜなら、それはいかにあるかをではなく、「ある」という、ただそのことを寿ぐものだからだ。――「これでいいのだ。」と。
(第03回 了)
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