子供向けのブック・レビューを、という依頼で、このコーナーを始めることになった。
読書離れの進んだ今日、本という楽しみを知らずに育つことの貧しさを思うと、そしてそれが貧しいことだとも知らずにいることを思うと、何とかしたい。映像でもゲームでも味わえない、自分一人の想像世界を構築できるようになれば、孤独を怖れないようになる。今、問題のいじめも、他人の顔色ばかり窺うメンタリティから生じていると思われる節が…。無論、ゴマメの歯ぎしりに過ぎないが、ほんのわずかであっても、本の世界への誘いの一助になれば嬉しい。
子供向けのラインナップというものを、最初は漠然と考えていた。わくわくする話、夢のある物語、読んでほしいものはいくらもある。しかしちょっとでも「本の世界への誘い」をと本気で思ったとき、より実効性のあるアプローチは何か、と考えざるを得なかった。
読め読め言ったところで、読まない子は読まない。それは何も今に始まったことではない。本を読む習慣は、本人の資質もさることながら、ごく幼少期の家庭環境で培うしかないのだ。今や親の世代が映像やゲームに夢中なのだから、本を読まない層が拡がったのは時代のせいではある。しかし逆に、時代のせいで読むことになった層もいる。しかも尋常ならざる高いレベル、ほとんど大人向けのものまでを。中学受験組だ。
日本全体の子供の数からすれば、中学受験のための読書を考える層は一部だろう。首都圏で5人に1人、それ以外ではごく一握り。しかし、この子供たちは「読まざるを得ない」。しかも「真剣に」。
それは大いなる実験でもある、と思われる。読書の楽しみを教えることに必ずしも成功しなかった子供たちにも受験をきっかけに、その受験の結果以上に豊かなものを手渡せるのか、という。
幼少期より読書の楽しみを知っている子供が中学を受験する場合、国語という科目は息抜きであり、問題文を読むこと自体が楽しみとなる。それは国語科目で圧倒的に有利となるだけでなく、すべての科目の中で最も複雑化を遂げた社会科、また算数の文章題でつまづくといったことが避けられ、成績は安定する。国語の勉強は身体的なリハビリと同じだ。やっても翌日すぐに効果は出ない。が、やらねば確実に落ちる。思わぬ他の能力も道連れとして。
中学受験は親の受験でもある、と言われる。それはその結果に親の熱意や経済力が影響する、という意味だけではない。与え損なった教育環境を整え直すことで、親が子供の能力を引き出してやれる最後のチャンスだ、ということだ。
ならはそれは文字通り、親御さんも知力を磨く受験でなくてはならない。入試の頻出図書であったとしても、本を選び、それを読む親の見識こそが子供を導く。問題文という断片を取り上げるに過ぎない、塾の解説を聞くのは、その後でいい。
金井純
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■