宋(ソン)美雨(メイユー)は民主派雑誌を刊行する両親に育てられた。祖国の民主化に貢献するため民主派のサラブレッドとして日本に留学するはずだった。しかし母親は美雨を空港ではなく高い壁に囲まれた学校に連れていった。そこには美雨と同じ顔をしたクローン少女たちがいた。両親は当局のスパイだったのか、クローンスクールを運営する当局の目的は何か。人間の個性と自由を問いかける問題作!
by 金魚屋編集部
3
美雨はシャッターの奥に広がる光景を凝視した。ほかの生徒と同じように、自分の顔や髪の毛に触れながら。
鏡を覗いている気がした。向こう側にはもうひとつの棟があり、生徒たちがいた。
教室はふたつ見えるが、生徒は半数ほどだった。美雨たちと同じく藍色を基調とした制服を着ていて、純白のシャツに紅のネクタイを合わせていた。しかし、別人のようでもあった。彼女たちには「個性」がなかった。こちら側の生徒のように外観を競い合っていないのだ。その意味では美雨に近似している。栗毛の長さこそ違うが、みなノーメイクだ。自己主張する意図は感じられず、そうしないことにこそ意味があるのだと誇らしげだった。自分たちが真の原型なのだという矜持かもしれない。
シャッターには近づけず、こちら側があまりに騒々しかった。それにしても、まったく気配を感じ取れなかったとは。美雨は腕を摩っていた。
彼女たちは、こちら側の存在を知らされていたに違いない。シャッターが上がっても、何食わぬ顔で廊下を行き来している。
校内放送がかかった。
東口から外へ出た。これまで体育の授業はなく、校庭に集められたこともなかった。
鏡の国の「原型たち」は、誰に命じられることもなく廊下に集合し、全員が揃った時点で行進を開始した。整然とした足取りで、土埃が上がるリズムさえ均一だ。美雨たちは不思議の国に迷いこんだ住人そのものだった。呟きさえ失ったまま校庭に向かっていた。
教師によるマイクのテストがおこなわれ、校長が現れた。胡という男で、濁りのない白髪がトレードマークだ。号令台に上がるなり、美雨たちが描いている列の乱れに顔を顰め、すぐに直すよう手ぶりで示した。生徒は、どの教師にも忍従することはなかった。いつもなら突っぱねたはずだ。しかし今朝は素直だった。ほかでもない、何が起こっているのかを早く聞きたかったからだ。
「顔を合わせるのは初めてだな。驚いていることだろうと思う」
胡は美雨たちに顔を向けている。やはり原型たちには説明済みなのだ。
「君たち『外組』には理解しがたい光景だからね」
外?
「様々な場所で育てられ、相応の経験を積んできた。外部の環境にさらされてきたという意味では『外組』以外に的を射た表現はなかろう。しかし彼女たちは違う」
胡が原型たちに微笑みかけた。
「生まれてすぐ、育ての親のもとに預けられた君たちとは違うのだよ。彼女たちは然るべき場所に集められ、教育を受け、半年前に送られてきた。いわば『純粋培養組』だ」
学校生活が長い。それも落ち着きの理由か。
「いかに教化プログラムが正しいものか、彼女たちを見ればわかる」
優秀で有能。それだけでは語り尽くせないほどの形容を含んでいた。
「クローンとしての自覚を持ち、自己研鑽に貪欲であり、何より素直だ。立場をわきまえておるのも、存在意義のなんたるかを受け入れているからこそ」
べた褒めだった。ならば外に汚染されていない者だけを集めれば済んだはずだろう。
「クローン計画には膨大な予算と時間が投じられてきた。数々の実験段階を経て、ようやく軌道に乗ったのだ。君たちは第三世代である」
第一世代と第二世代が存在するという。彼らはべつの地域で学んでいるのか。それとも寮を隔てた壁の向こうにまだ学舎が存在するのだろうか。
「教化プログラムの質の高さは疑いようもないが、途上にあることも確かだ」
だからこそ「外組」という種を撒いたのか。
「君たちのなかに『培養組』を負かす逸材がいるかもしれない。事実、第一世代と第二世代には存在した。肩を並べるほどの子たちがね。しかし実例はあまりに少ない」
培養組が重要視されていることに疑いの余地はない。要はプログラムをアップデートできる学術性の高いデータが欲しいのだ。外組はそのために撒かれ、刈られた。
「ただし君たちはクローンだ」
何よりも肝に銘じておかなければならないという口ぶりだった。
「学習期間は一年間。しかも卒業できる者は限定される」
確かに「卒業」と聞こえた。ここから出られるのか。
「卒業すれば外の世界にもどれる。それぞれに使命が与えられるから、存分に力を発揮してもらいたい。内容は成績によって左右されるが、人生を捧げられる輝かしい務めだ」
外組から声が上がった。当然の質問だった。卒業できない者はどうなるのか。
「あいにく留年制度を設けていない。卒業できない者は落第だ。学園指定の工場へ送られ、生涯、そこで働いてもらうことになる」
何をつくる工場なのか。どんな作業なのか。胡は明言を避けた。美雨の周辺からも質問の手は挙がったが、同じ言葉で返すだけだった。
「『不要』という烙印を押された者が送られるのだ。行けばわかる」
強制収容所のようなものか。この国の暗黒史に刻まれた施設だが、非人道的な場所だと国内外からのバッシングを受け、とっくに廃止されたと聞いている。工場の名目で残存してきたのか。
外組の半数は顔を見合わせ、互いの理解度を確認している様子だ。あれは本当か。単なる脅し文句ではないかと。もう半数は正反対だ。教師の態度に慣れ切っていたからだろう。
「教師なら、らしいところを見せてみろよ」
「ここにはアホ教師しかいないからなあ」
叫んだのは尚真の守衛たちだ。
「おまえらに尻尾をふるくらいなら、その工場で働いたほうがマシだ」
「退屈しないで済む」
片方が鼻で笑った。行こうぜ、という合図だった。列から外れたときだ。培養組の動きを倍速にしたような一団が横切った。教師たちだった。二手に分かれるや、投網のように守衛たち飲みこんだ。
「なんだ、おまえら」
「どけコラ」
教師たちは、腰からぶら下げた何かを取り出した。警棒だ。
「やってみろよ」
「素手で充分だっつーの」
ふたりの顔が斜め下に飛んだ。「網」の先端にいた教師たちが打ちこんだのだ。それを合図に止まらなくなった。襲撃は食虫植物の花が閉じていく様に似ていた。尚真さえ言葉を失っている。
ふたりが運ばれた。被ったように血塗れだった。向かった先にはトラックがあった。西口近くに停められている。彼女たちは、農場から届けられる生肉のように乗せられた。運ばれる工場で精密検査と治療を施すらしい。
「人生の選択肢はふたつしかない。挑むか逃げるかだ」
胡が両手を広げた。空に刺さるような声だった。
「何事も一生懸命に取り組んできた者は幸いだ。心にエンジンが備わっている。ここ一番、というときに働いてくれる頼もしい動力がね」
号令台から降り、青ざめた生徒たちの肩に手を置いた。
「育った環境でエンジンの性能には差がある。そこで、班分けをおこなうことにした」
培養組は直立したままだ。思考回路に「異論」という抵抗物質は存在しないようだ。
胡は鋭敏だった。尚真に近づき、正面に立った。反駁の気配を感じ取ったのだ。教師のなかには腰に手をあてがう者もいた。郭という男性教師だ。捲り上げた腕には隆々とした筋が刻まれている。しかし。
「納得できるわけがない」
尚真だった。誰もが息をのんだ。こんな状態で異を唱えるのは無謀以外の何ものでもない。生徒は非力であり、無力でもある。何ひとつ武器を持てないのだ。彼女の喧嘩慣れした力は女子生徒のなかで通用するものだ。警棒の雨が降れば無事でいられるはずもない。
守衛たちが徹底的にやられたときでさえ口を開かなかった。にもかかわらず胡を目のまえにして言い放った。考えられる理由はひとつ。育った環境に触れられたからだろう。
胡が彼女の気持ちを汲み取ったのか、最初からそのつもりだったのかはわからない。それでも制圧せよとは命じなかった。代わりに明言したのだ。出自で差別することはない。これまでもそうだったように、今後も約束すると。
「AからCまで三つの班に分ける。今後は新しいルールに従ってもらうよ」
班を超えた接触は厳禁。授業内容についての情報交換も許されない。破れば工場へ送られる。もう説明しなくてもわかるな、という余韻があった。
「では、何を基準に」美雨は胡の横顔に訊いた。
「エンジンだと話したはずだが」
「どうやって心のエンジンを見分けるのですか」
差別はしない。エンジンの種類による。しかし、自分にさえ見えないエンジンの性能をどう評価できるというのか。
「わからないかね」
胡は首を突き出し、美雨を見詰めた。思い当たる節はないかと尋ねている。
「我々が何も見ていなかったと?」
誰もが記憶している。彼らの授業がいかに怠慢で退屈なものだったかを。内容そのものにも問題があった。どんな田舎の学校で受ける授業より低レベルだった。確かに、この国では地方へ深く入るほど識字率が低くなる。先進国と呼べない酷さだということは多少の教育を受けた者なら見聞きしたことのある話だ。三分の一ほどの生徒が地方出身者だとしても、それを考慮したのだとしても、お粗末すぎる内容だったのだ。教えることへの情熱が感じられなかったことから、内容の検討はもちろん、伝え方の研究もなされていないのは間違いない。そこから確信できるのは生徒への無関心だ。いまにもその言葉が口から飛び出しそうになった。抑えることができたのは、赤い点灯が脳裏に浮かんだからだった。
「……監視カメラ」
「そう。君たちの言動を撮ってきた」
この学園に放りこまれ、何も告げられないまま二週間が過ぎた。誰がどう行動するのか確認するためだったという。すべては班分けのデータを集めるために。
「オリエンテーションは終わりだ。A班から発表する。呼ばれた者はこちらへ」
担任は郭だった。胡にペーパーを手渡している。
「三番、七番、二十一番――」
外組の額にはクエスチョンマークが浮き出ている。
番号?
「ああ、これは失敬」と胡が後頭部を押えた。「今後、君たちはナンバーで呼ばれる」
入校したあの日も校庭に集められた。同じ顔の面々が居並ぶ空間で、クローンとして産み落とされた理由を考えるより先に思ったことがある。これから学園生活を送ることになるとしても、誰かが誰かを騙ればどうなるかということだ。それはつまり、誰かが誰かと入れ替われることでもある。実名が効力を持つのは、その持ち主が誰かを欺かないという前提が成り立っているからだ。ナンバー制に変えたところで同じだろう。こちらの容姿を誰かとシンクロさせれば、都合よく別人になれる。見分ける物差しがないのなら、自分を自分だと認識している事実になんの価値もない。
培養組こそが典型ではないか。彼女たちは識別不能だ。その気になれば誰が誰なのか偽ることなど容易い。にもかかわらず異論は出なかった。疑うなと教化された賜物か。
「確認してほしい」
胡が頭の旋毛を押さえて言った。
「ナンバーが彫りこまれてある」
唯が駆け寄ってきた。吹き出物でも探すかのように美雨の旋毛を掻き分けた。
「あった。『22』って、黒いタトゥーで」
それが美雨のナンバーだった。唯は64。旋毛に彫ってあると言われなければ見落としてしまう大きさだった。そういえば、という記憶があった。幼い頃から美容室に行ったことがない。通いたいと頼んでも母が許さなかった。カットしてあげると譲らなかったのだ。入れ墨の存在を隠すためだったのか。
「尚真は87だってさ」
圓圓は95だと伝わってきた。
待っていたように叱責された。
「互いを呼び合うさいもナンバーを使用すること。君たちはもう外の住民ではない」
美雨たちは新しい列をつくりはじめた。誰に命じられたわけでもなく、若いナンバーから順に並びはじめたのだ。誰が何番なのか。誰の目にもあきらかになっていくと、所々、ナンバーが飛んでいることがわかった。外に撒かれた赤子のなかには、早逝した者や行方不明者がいたのかもしれない。そう考えたが違った。
「A、B、C、それぞれに培養組も加えられることになる」
一から九十九番までいるという。飛んだナンバーを埋めるのは培養組だった。外組と培養組を分ける基準は明確ではなかったのだろう。環境の影響だけに着目するため、敢えてランダムに選別したのだ。美雨が民主派の両親のもとで育てられたのは偶然の産物だった。
「培養組を含めた、各班の上位五名だけに卒業の権利が与えられる。第一世代と第二世代では外組も奮闘した。結果、卒業できた者もいた。頑張りたまえ」
卒業できる者は、僅かに十五名。これからは成績だけが「上下」を決める。
「評価は授業の内容だけにとどまらない。カメラはいつも見ている。生活態度全般が校風に相応しくないものだと判れば、その都度、減点される。君たちからの報告も歓迎する」
喧嘩慣れしているかどうかは無関係。出自にも左右されない。分けられた先々でトップ5に名を連ねる者がエリートとして扱われ、卒業までに八十名以上の生徒が工場へ送られる。半年後に運ばれる者もいれば、いますぐ地獄を見る者もいる。あの守衛たちのように。
「罰則は各班で異なる。担任からの説明を聞き逃さないように」
(第03回 了)
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