宋(ソン)美雨(メイユー)は民主派雑誌を刊行する両親に育てられた。祖国の民主化に貢献するため民主派のサラブレッドとして日本に留学するはずだった。しかし母親は美雨を空港ではなく高い壁に囲まれた学校に連れていった。そこには美雨と同じ顔をしたクローン少女たちがいた。両親は当局のスパイだったのか、クローンスクールを運営する当局の目的は何か。人間の個性と自由を問いかける問題作!
by 金魚屋編集部
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美雨はC班に所属することになった。A・Bともに三十八名の配分で、Cだけが二十名と少ない。「君たちが担当する仕事の内容を考えれば」。胡がそう付け加えていた。気になったのは、授業ではなく「仕事」と明言していたことだ。
いまや東側の壁は取り払われ、対称形の校舎と校庭が姿を現した。旧東口は中央口として機能するようになった。培養組がいた校舎の端には西側に対応した連絡通路があり、小門も備わっていたのである。西口と同じく、教師たちと食材の運搬業者以外は利用できなかった。東西の棟が「連結」してからは閉じられてしまい、西口だけが従来の役目を続けている状態だ。教室は、西からA・B・Cの順にあてがわれた。Cの教室だけが東側にあり、控室のような狭さだ。美雨と同じ班になることを切望していた唯もここにいる。
「担任の黄蕗です。副担は張先生と周先生。もう知ってるわね」
培養組と合流するまでに何度か授業を受けた。どちらも史学を受け持ち、つまらなさに大差はなかった。女性教諭は各班にひとりずついて、いずれも警棒で襲いかかったメンバーだ。ファンデーションを塗りたくった顔に鮮血が飛び散ろうと拭いもしなかった。黄は年嵩だ。あまりに顎が尖っているせいか、老いた狐に見える。
「C班は異質なの。もう気づいていると思うけど」
黄の目は、微笑むだけで糸のように細くなる。
「特別な存在として集められた。校長の言葉を借りるなら、特製のエンジンが備わってる」
尚真もC班だ。カメラで監視していたというのも嘘ではないと感じた。美雨の周りで気骨さを見せた者はC班に入れられているのだ。外組は十五名。つまり培養組は五名いる。彼らがトップ5を独占すれば外組に卒業の機会はない。胡は培養組に絶対の自信を持ち、その優秀さを疑っていなかった。ただ外組の可能性にも期待しているという。いかにして培養組の独占を阻止するか。美雨たちの秘められた力を試す配分なのだろう。
「授業内容について説明するつもりだったけど。そろそろだと思うから、立って」
窓から外を見るよう促された。城壁に阻まれ、変化に富んだ景色を見つけることはできない。ときおり乾燥した風が吹き下ろし、土煙が渦を巻くだけだ。しかし。
中央口から生徒が出てきた。全部で八名。渦を避けながら走っているせいか、その動きは舵を失ったボートのようだ。教師たちも現れた。A・B班の担当者である。
デジャヴだ。機動力と武力の差は圧倒的で、生徒たちは簡単に捕縛されてしまった。
「いいわ。席にもどって」
培養組は黒板を見詰めたままだ。制圧される間際の悲鳴が聞こえていたというのに。完璧に躾けられた犬。洗脳された信者。もしくはプログラミングされたマシンだった。
「A・B班では授業内容について説明があったはずです。もちろん任せられる仕事についても。それを聞いて、ああなる生徒が出たというわけ」
尚真の守衛が滅多打ちにされた直後だというのに、半ば反射的に行動してしまったということか。彼らの仕事はそれほど過酷なのか。
「確認してもらったのはほかでもありません。あれがみなさんの仕事になるからです」
逃亡者を捕える。それがC班に与えられた仕事だった。
「これから受けてもらうのは、その仕事を覚えてもらうための授業、ということよ」
A・Bとも街へ出て仕事をする。逃亡者が出たと連絡を受ければ、C班によるハンティングが開始される。誰が担当するかは原則として自薦によるものとし、希望者が多い場合は黄が調整してあたらせる。捕らえれば高得点が加算されるという。
「追跡するといっても、あまりに」
美雨の斜めうしろから声が出た。当然だ。この国の市街地がいかに広いか。その「地下」に広がる経済圏がどれほど深いか。逃げこまれればアウトだろう。
「A・B班の生徒には追跡装置が埋めこまれるの」黄が耳たぶを突いた。
「それなりの技術さえ身につければ、誰でも捕らえることは可能だということですか。だとすれば、どんなに加算されたとしても」
「そう。得点差は生まれない。だからこそ捕縛はタイムレースなの」
制限時間内に捕らえられなければ無得点。
「最初にチャレンジするよ。いいだろ」尚真が手を挙げた。
「みんなに異論がなければ構わない。けど、あなたはまず、言葉遣いをあらためないとね」
黄が手元のファイルを開き、簡単にペンを走らせた。
「失点の累積を甘く考えないほうがいいわ。一点差で泣いても救済措置はないのよ」
尚真は加点されるより早く減点されたということだ。
「自薦は大歓迎。でも、よく考えることね」
「ハイリスク・ハイリターンということですか」尚真の真後ろにいた生徒が訊いた。
「ご名答。規定の時間内で捕縛できない場合は、通常の授業などより大幅に減点される」
ひとたび仕事を与えられれば、逃亡者を追うことに徹すればいい。ターゲットを複数名で奪い合うレースではないのだ。授業内の成績だけでポイントを積み上げるか、一発逆転の博打を打つか。それぞれの判断に差が出るはずだ。
黄が外組のどよめきを制するように「それから」と片手を挙げた。
「外組が仕事に出る場合は、原則として培養組のパートナーが同伴する」
外組の思いは同じ。培養組とは接触したくない。何しろ不気味だ。質疑応答中も淡い反応さえ見せない。教師から指示されない限り、明朝までこうしているのではないか。
「協力して捕縛する、ということですか」
「そのほうが効率もいいでしょう」
「時間内に捕縛できれば、彼女たちにも高いポイントがつくと」
「そうなるわね。単独行動させないのは、捕縛技術の未熟さだけじゃないわ。根本的な理由があってのこと。校長が話していた禁止事項の件よ」
破れば工場送りになる、各班特有のルールがあると言っていた。
「あなたたちはハンター。追跡装置を埋めこむ義務がない。逃走すればどうなるか」
黄が生徒たちの理解を待っているように間を置いた。
「責任は家族に飛び火します」
「殺してくれるっていうなら手間が省けるね」尚真が返した。減点されても止まらない。
「それほど憎んでいるということかしら」
「この手で親父を絞め殺すのが夢だった」
胡が出自に言及したときもそうだ。田舎での生活に触れられると過敏に反応する。
「卒業したら、いくらだって殺せるわ。そのまえにこっちがやってしまうとしたら、あなたの悲願は永遠に叶えられない」
親に課せられる責任の正体は死。あるいは、それ以上のもの。
「どんな親でもそうでしょうね。学園側の都合でこの世から消されるのは、あなたたちにとって本意ではないはず」
美雨は顎を引いた。再会できるなら訊き出したいことがある。学園側の匙加減で無に帰すとしたら、不本意以外の何ものでもない。
二時限目は周だ。黄の性別だけを変えたような男で、日焼けを知らない顔をしている。必要以上に手足が長いせいか、スタイルのよさを通り越し、ナナフシを連想させた。
専門的な内容ではない。C班としての自覚を促す話ばかりだ。少数精鋭と形容されるに相応しい言動とは何か。自戒する習慣を身につけることの必要性が滔々と語られた。
耳を刺激したのは一点だけ。午後一番にC班らしい科目が予定されているという。格闘訓練だと知り、尚真が目を輝かせた。「合法的」に培養組を打ちのめせるという顔だった。
授業の終わりに揃いのスポーツウェアが配られた。このとき美雨は初めて失点した。袋を開けて確認するよう促されたが、縫いつけられていたナンバーが唯のものだったのだ。唯に渡されたウェアが自分のものだろうと思い、つい彼女の名前を口走ってしまった。周が待ち構えていたように笛を吹いた。美雨は教壇の近くまで呼ばれ、問われた。君は心のなかで彼女をなんと呼んでいるのか。64か。唯か。どちらなのかと。
周は強い口調で言った。心では名前を、口ではナンバーを呼ぶ。そんな小手先の使い分けをしているとマイナスポイントの稼ぎ頭になる、と。意識改革が迫られていた。
三時限目は張の授業だ。広い額に汗を浮かべ、寮生活で戒めなければならない項目を捲し立てていた。が、残り十分というところでファイルを置いてしまった。
「――とまあ、色々と話したが、すべて忘れていい」
外組の誰かが「え」と声に出した。
「担任や副担がなんと言おうと、ここでの生活は、君たちが主役だ。加点や減点に心を奪われて、どうして喜びが得られる。少なくとも、わたしの授業ではポイント制を採らない」
外組が目配せし合った。こいつは自分たちを試している。それが一致した見解だった。
「堅苦しい話は抜きにしよう。名前で呼びたければそれでも構わない」
気を弛ませ、根こそぎ減点するつもりだ。
「にわかには信じられない、という顔だな。しかしながら、教育とは、そもそも生徒の自発性と創造性を伸ばすことを前提としなければならない。異論はなかろう。胡校長に変わってからというもの、著しく校風が歪められてきた」
初めてだった。培養組の眉が僅かに反応した。
「これは方針の違いであって、校風を否定するものではない」
張が培養組を見やった。睨んでいると言っていい。
「おまえら、他言無用だ。わかってるよな」
柔和な顔には似合わない声音だった。対する培養組は憮然とした面構えで応戦している。
「ポイント制は採らないと言ったが、少し変更しよう。他言した者だけ減点する。どうだ」
外組から拍手が起こった。唯が――64がその中心にいた。
遠目から見ると国旗が歩いているかのようだ。美雨たちが袖を通したスポーツウェアは目に痛いほどの赤で、胸に刺繍されたナンバーは黄色で統一されてある。思えば、入校してから一度も体育館を使用したことがなかった。併設されている更衣室こそ自由に使っていいと言われていたが、体育館への入室は許されていなかったのだ。
十三時。木目調の引き戸を開けると、ニスで塗り固められたような床が出迎えた。鼻孔が喜んだ。この学園にいるのは九割以上が女性で、ほとんどが新陳代謝の著しい生徒である。授業がはじまると、黄は、すぐに換気扇のスイッチを入れる。同性だからこそ鼻につくにおいを嫌って。ここにはそれがない。
担当は周だ。スーツを着ているときは痩身に見えたが、タンクトップシャツに着替えると別人に変わった。絵画のモデルに選ばれそうな鋭い体だった。
「C班が身につけなければならない技術は少なくない」
逃亡者の制圧術が最初の授業だ。周はあらゆる武道や武術に精通していると豪語した。
「逃亡者も未熟なら、君たちも同じように未熟だ。しかし、相手が決死の覚悟で挑んでくるぶん、君たちのほうが不利だろう。付け焼刃で対応すれば、間違いなくやられるよ」
校庭で滅多打ちにされた生徒は、87の守衛が半殺しにされた現場に居合わせている。仕事の内容を知らされて逃げようとしたが、立ち塞がる城壁をまえに、ほぼ戦意を喪失していだ。教師が難なく捕縛できたのもわかる。一方、C班の仕事は市街地で進められる。忘れかけていた街の様相は、生徒に期待を抱かせるだろう。ここなら逃げられる、と。
体力測定の一覧が渡された。各人のレベルを把握し、あとでメニューを調整するらしい。
基礎的な筋力と持久力を測るテストだった。それでも美雨には充分にキツかった。両親と暮らしていたときでさえ、スポーツといえば余暇を埋める娯楽としか考えていなかった。学校にクラブ活動は存在したが、市内にある専門スクールに比べれば水遊びに近い。事実、エリートスクールに通う生徒と対外試合をすると、校内の優秀者でさえ歯が立たなかった。勝てる見込みがないと思い知らされれば、モチベーションは下がる一方だ。結果、部活動のレベルは上がらず、教師も熱を入れて指導しない。受験戦争とは無縁の生徒たちが、持て余した時間を消化するために設けられている。それが、美雨が通っていた学校の部活動であり、必要以上に体力を増進させるという意欲が湧かなかった。
運動能力に限定するなら「純」都市民のほうがハイレベルだ。彼らは高学力を得られる学校に通いながら、専門スクールでスポーツを学ぶ機会にも恵まれていた。筋力や持久力、球技などのテクニックまでカネさえあれば養える。
そんな彼女たちよりも力を見せつけたのは、87をはじめとした地方出身者である。周が声に出して褒めるほどの数値をたたき出していた。農作業の賜物だろうか。未舗装の山道を走り、水汲みをしてきた成果か。下半身のバネと上半身の筋力は別格だった。
美雨よりも酷い結果が出たのは、64たち農民工二世だ。典型的なインドア派で、ネットゲームに毒された日々を送ってきた。筋力はもちろん、持久力の低さは中年女性に劣ると指摘された。教室内での差別化が、ここでは明確に線引きされた。ヒエラルキー兼カテゴリーだ。測定結果に基づいているのだから64たちも認めざるを得なかった。
格闘訓練に入れると太鼓判を押されたのは、上位の二グループだけ。美雨はいわば二・五位で、農民工二世と同じように基礎体力づくりに専念させられることになった。
基礎体力づくりは一ヶ月間をめどにメニューが組まれた。合格水準の数値をクリアすれば、明日からでも格闘訓練に加われる。が、体育館を五周した時点で膝が笑いはじめるのだから見通しは暗かった。泣きたくなくても涙が伝いはじめた頃、周の演武が終わり、いよいよ組手のレッスンがスタートした。
誰よりも闘志を剥き出しにしているのは87だ。指の骨を鳴らし、足首を回し、目は培養組の一団を射抜いた。彼女たちのなかに基礎体力テストの落ちこぼれはいない。合格水準を上回っただけではなく、農村組と肩を並べる数値を記録している。
87の相手は、周が指名した。4だ。理由は、実力云々ではない。単に培養組のなかで一番若いナンバーだったからだ。それが気に入らなかったのだろう、87の目が徐々に釣り上がった。4が歩み出た。体力テスト直後とは思えない平たい表情だ。目にも炎はない。何も知らない者がここを覗けば、猛獣に食い殺される間際の美少女に見えるだろう。
「もっと骨のあるやつをお願いできますか」87が歯軋りしながら言った。対戦したいと切望しているのは奥に控えている生徒だ。彼女は、体力テストの総合成績では一位だったものの、持久力部門で二位に甘んじた。圧巻の走りを見せつけるつもりが、ラップを刻むごとに記録を伸ばした生徒にペースを乱された。87にとって、彼女こそが因縁の相手だ。
周は取り合おうとしなかった。4が妥当だという顔だ。
「彼女たちは、半年前に入校し、わたしから手解きを受けてきた。たった六ヶ月間だと思っていると痛い目にあうぞ。巷の道場や部活動とは違うのだ」
手を止めていたのは美雨だけではない。基礎体力づくりに専念しているはずのメンバーが、いつしか体育館の中央に向き直っていた。周は咎めなかった。いい機会だからよく見ておけということなのだろう。
「スポーツを教える場ではない。殺すつもりで向かってくる敵を無力化する術を学ぶ」
軍隊並みか、という囁き声も周は聞き逃さなかった。
「軍の訓練には規律や規範を教えこむカリキュラムが組みこまれている。荒くれ者たちを矯正するという意味では無駄にはならないが、ここでは省かれる。君たちは特別だから、必要なことを必要なぶんだけやる。最短最速で習得させるための科学的な方法論に則ってね。半年もあれば見違えるようになる」
周は解放軍上がりなのだろう。軍隊と口にしたときの抑揚に郷愁と侮蔑の響きがあった。
「では、お互いに礼」
総当たり戦で戦闘力を判断するらしい。87は喧嘩拳法だ。型はなく、その場に応じて攻撃する。4はどんな技を見せるのか。矛か盾か。
「はじめ!」
87が床を蹴り、弾丸のように突っこんでいく。刹那、彼女の体が弧を描き、床にたたきつけられた。脳天から落下しなかったのは、卓抜した反射神経に救われたからではない。4が寸前で力を弛めたからだった。
受け身をとる余裕さえなかった。87はしたたかに後頭部を打ちつけ、動けずにいる。何もできなかったという悔しさに表情が歪み、本能的に立ち上がろうとした。気持ちは折れていなかった。しかし、急所を痛打した体はすでに無力化され、音を上げている。気力は役に立たないことを自覚すべき瞬間がやってきた。痛ましかった。何かを叫ぼうとしたが、出てくるのは血反吐だけだ。彼女は、4を見上げたまま気を失った。
*
涼しさよりも寒さを感じる日が増えた。収穫の季節である。
葉物野菜や果樹には大型の機械を使えないため手作業でおこなわなければならない。そうかといって収穫期だけ臨時に雇うということもない。要は職員が駆り出されるのだ。秋風に吹かれながら作業するのは心地よさそうだが、現実は過酷である。水平線の向こうに陽が沈みかけると、みな精根尽き果てた顔で帰ってくる。
管理職は特権的だ。棟から出ることはないため、出来の悪い部下を咎める必要もなかった。あの男が党にコネを持っていても、ここでは「長」がつくか否かがすべてを決める。田畑に出たくないなら、上位に願い出るしかない。が、望みは薄いだろう。政治局や代表部の連中が、農作業を軽減させる措置を発令するはずもない。手を煩わせるなと一喝されるのがオチだ。彼らに認められる階級につくことのほうがより重要である。それができないなら、ドライバーになるしかない。彼らはある意味で特権的なのだ。日に数回しかハンドルを握らないが、給与は「補佐」と変わりない。農作業に出る必要もなく、待機している時間のほうが長い。もちろん恩給もつく。厚待遇が保障されているのは、責務の重大さが伴っているからだ。それを知る者もまた少数だったが。
時間だな。壁時計を見やると、合わせたように扉が開いた。ドライバーが帰ってきた。学舎に届けてきた男だ。棟を見上げ、インターフォンで連絡してくる。
〈変わりありませんでした〉
彼は窓から手を挙げて応え、いつもの言葉で労った。
「つぎも油断するな」
(第04回 了)
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