女優、そして劇団主宰でもある大畑ゆかり。劇団四季の研究生からスタートした彼女の青春は、とても濃密で尚且つスピーディー。浅利慶太、越路吹雪、夏目雅子らとの交流が人生に輪郭と彩りを与えていく。
やがて舞台からテレビへと活躍の場を移す彼女の七転び、否、八起きを辻原登奨励小説賞受賞作家・寅間心閑が Write Up。今を喘ぐ若者は勿論、昭和→ 平成→ 令和 を生き抜く「元」若者にも捧げる青春譚。
by 文学金魚編集部
挙げればキリがないオフの日の話だが、最後に印象深いエピソードをひとつ。
国際通りを散策していた時のこと、ふと思い付きデパートの化粧品売り場を覗いてみた。別に目当ての商品がある訳ではなく、ただ何となくキョロキョロしていると見覚えのある顔が。あ、と思わず声が出たけど向こうは無反応。それもそのはず、おチビちゃんの視線の先にはカネボウ化粧品のポスター。そこに写っていたのは四季の先輩女優――。嗚呼、これこそ夏目雅子さんとのコマーシャルを幻に終わらせた理由、原因、いや元凶。
実はもう既にこのコマーシャルは放送されていたけれど、連日遅くまで撮影し、帰ってからお風呂にも入れないおチビちゃんには知る由もなかった。でも、それで良かったのかもしれない。この時期に流れていたカネボウ化粧品のコマーシャルは他にもあり、その中にはヘアカラーを宣伝するものもあった。出演者は……夏目雅子さんひとり。そう、おチビちゃんが諦めざるを得なかった例のアレだ。
それがポスターだとはいえ、先輩女優との出会いに心はやはり乱れた。あの時味わった無念さや理不尽さが、確かに蘇った。ただそれはあまり生々しくなかった。東京から遠く離れた場所にいるからなのか、また連日の過酷な撮影の賜物なのか、かつての想いに当時の熱は宿っておらず、帰ってから「実はね……」と、数年前からカネボウ化粧品のコマーシャルに出演している古手川祐子さんに話したりもした。
もちろんあれだけの無念さが跡形もなく消えることはない。実はおチビちゃん、沖縄ロケの前に、夏目雅子さんが所属する「其田事務所」の苑田社長と面会をしていた。在籍したいという気持ちは夏目さんを通して伝わっているはずだったが、正直なところあまり期待はしていなかった。少々唐突なタイミングだったし、「うちはちょっと難しいかもしれない」と夏目さんからも言われていたからだ。そして、結果は予想どおりうまくいかなかった。
物腰柔らかい其田社長から、丁寧に事務所の方針などを説明していただき、おチビちゃんも納得することができた。残念だという気持ちは当然あったが、激しく落ち込むようなことはなく、それよりも実際に行動に移したという経験が、自信となって内側にしっかり蓄えられた。当たり前だが、大事なことだ。
おチビちゃんが完全に四季から飛び立つ瞬間は、すぐそこまで近づいてきている。
撮影中、おチビちゃんは何度か沖縄から東京へ戻らなければならなかった。十一月、つまり少し前から放映が始まったフジテレビの昼ドラ『哀愁美容室』の残りの撮影の為だ。
遠距離移動で映画とテレビ、両方の現場を渡り歩く。そんなこともあまり苦ではなかったが、こうして複数の仕事が重複せず予定に収まっているのは、マネージャーがいるからこそ。それは容易に予想できる。スケジュールだけでなく、ギャラの交渉なども含め、自分で全てを管理するのはかなりの重労働だろう。
都内で撮影を行っていたある日、「早く新しい事務所を探さないとなあ」という気持ちを更に強くする報せが入ってくる。もちろん吉報、新しい仕事のオファーだ。
それは四月からTBSで始まる連続ドラマで、タイトルは『さよなら三角またきて四角』。放送時間は火曜の午後八時。プロデューサーは武敬子さん、そして脚本は高橋玄洋先生と『野々村病院物語』のチームだ。
一度仕事をした方々からこうして求められるのは、素直に嬉しい。しかも今回はメインキャストに古手川祐子さんの名前もある。早速沖縄に戻り、自分も出演することを報告するととても喜んでくれた。
撮影も半分を終えたこの時期になると、現場、特に演者側に大きな変化が現れていた。まず、人が減っていく。映画のストーリーの進行同様、つまり史実同様に人がいなくなる。気付けば高部知子さんの姿も見なくなっていた。その結果、大部屋を割り当てられていた俳優は二人部屋に移動となり、おチビちゃんは福岡由里子さんとペアになった。
個室になったことも嬉しいが、それよりも有難かったのは好きな時間にシャワーが使えるようになったこと。もっと言えば撮影をする時間帯もずいぶんと早まった。労働環境の改善、なんて言うと大袈裟だけど、結果的に様々なところで余裕が生まれたのは間違いない。
たとえば共演者同士の距離。これはぐっと近くなった。年齢的には、おチビちゃんがみんなより少しオネエサン。それくらい若い女の子たちが集まれば、話題には事欠かないし、無論美味しいものには目がない。部屋は広くなったものの、ホテルの朝食は相変わらずだったので、近くで見つけたお気に入りの店で食べる人が多くなった。早めに撮影が終れば、連れ立って夕食を食べに行ったりもするし、各々情報交換には暇がない。
あまり自覚はなかったが、やはりおチビちゃんはオネエサン。撮影の時に、共演者から質問を受けることもある。そこまで大それたことを伝授する訳ではなく、そのシーンにおける「居方」をそれとなく示唆したりする。どうして自分がここに居るのか、だったらどのように居るべきなのか。それを人に伝えているうち、おチビちゃん自身も深く意識するようになっていった。
思い返せば撮影序盤ではカメラ相手に演技をすること、またその為の気持ちの切り替えにかなり苦労したが、撮影も後半になると、一つのカメラで長時間撮り続けるいわゆる「長回し」も多くなってくる。そんな時、やはり重要なのはその人間の「居方」であり、それを肉体にちゃんと反映させることだ。
当然楽しい食事の時に、そんな演技論をぶつけ合うことはないが、楽しい時間を共有していればこそ、いざという時に気兼ねなく意見を出しやすい。コミュニケーションの充実は、撮影にも良い影響を与えていた。
元々の性格なのか、それとも周りより年齢的に少しオネエサンだからなのか、おチビちゃんは特に仲良しグループ的なものを作ることなく、色々な人たちと仲良くし、色々な人の部屋へ出入りしていた。
古手川祐子さんは外見どおりにおしとやかだけど、かと言っておとなしすぎる訳ではなく、次のドラマで一緒になることもあって話すことは多い。元キャンディーズのスーちゃんこと田中好子さんはとても気さくな人柄で、彼女の部屋にはいつも人が集まっていて笑い声が絶えない。それ以外にも、学園ドラマで人気を博した斉藤とも子さんや演出家・蜷川幸雄氏の姪でもある蜷川有紀さん、時代劇で活躍していた遠藤真理子さんなどと一緒に外食をしたり、遅い時間まで話し込むことが多い。
まるで修学旅行みたいね、と誰かが言っていたけど、その通りだなと思う。まだ知り合ってからの日こそ浅いが、同業者同士だから妙な気遣いもいらない。時には本当の修学旅行みたいに、夜中にひっそりと恋愛談義に花を咲かせたりもする。メンバーがメンバーだけに、数十年後に振り返ったらひっくり返る様な、驚きの告白も耳にした。
人数が少なくなったことで、今井正監督とも話す機会が増えてきた。中でも印象的なのは顔の話。
「君は当時の顔だね」唐突に、でもまじまじと顔を見つめて監督が言う。
「え?」
「いや、ひめゆりの子たちにはね、君みたいな顔の子がたくさんいたんだよ」
ありがとうございます、という言葉が合っているのか自信はなかったが、監督はウンウンと満足そうに頷いていた。後日、気になったので書物で当時の写真を調べた結果、何となくではあるがその言葉は理解できた。それ以降も何度か顔のことで話しかけられたので、かなり印象深かったのだと思う。
今井監督は戦前から作品を撮り続けている名匠だが、その評価は国内だけにとどまらない。戦災孤児にスポットを当てた『純愛物語』(昭32)は、ベルリン国際映画祭で日本人初の銀熊賞(監督賞)を受賞。この翌年に黒澤明監督も受賞し、それ以降日本から受賞者は出ていない。
その数年後には、長年に渡る封建社会を描いた『武士道残酷物語』(昭38)で同映画祭の最優秀作品賞、つまりグランプリを受賞している。ちなみに次の日本の受賞は、約四十年後のアニメ映画『千と千尋の神隠し』(平14)まで待たなければならない。
年が明ければ七十歳の誕生日を迎える監督だったが、その姿は情熱的でとても若々しかった。演技に対しての注文は驚くほど繊細で、撮影途中でも自らが身を乗り出し、そのうち駆け寄ってきて、自分の身体を動かしながら指導を始める。人によっては繰り返し注意をされたりもするが、おチビちゃんは滅多にそんなことはなく褒められる方だった。
いわゆる「長回し」の撮影が増えるにつれ実感してきたことは、映画のスクリーンの大きさだ。当たり前だがテレビの画面の大きさの比ではない。だからこそ身体の動き、それこそ一挙手一投足が大事になってくる。
例えば壕の中でのシーンでは、監督自身が動いて指導してくれるのでとても理解しやすかったし、実際に「やっぱり舞台やってたから動きがいいな」と声もかけられた。ありがとうございます、と言いながらおチビちゃんは内心驚いていた。私が四季出身だと知っていたんだ――。
それはとても光栄なことではあったけれど、思わぬハプニングを呼び込むことにもなる。
撮影も後半に入り、演者同士の仲も親密になってきたある日、今井監督の音頭取りで交流会の場が設けられた。と言っても、そんなに堅苦しいものではなく、場所はホテル内の御座敷。みんなぐるりと車座のアットホームな集まりだ。おチビちゃんが座った場所は、監督のほど近い場所。こういう場ではお酒を飲まない分、密かに人間観察もできる。
みんな既に仲良くなっていることもあり、盛況のうちに宴もそろそろたけなわに。さあ、また明日から頑張るぞと、目の前のジュースを口につけた時、監督からお声がかかった。
「ちょっといいかい?」
「はい!」思わず背筋を伸ばすと、笑いながらこう言った。
「じゃあ、ちょっと歌ってもらおうか」
あっけらかんとした口調だったので、勢いで「はい!」と応じてしまった。いやいや、と撤回したいのに、監督が笑顔で拍手をするものだから、周りの人たちも乗せられてしまう。あれよあれよという間に広がっていく拍手。
……これはもう、やるしかない。
では、と立ち上がると共演者のみんなも笑いながら見守っている。大変だねえ、という感じ。パニック気味の頭で選んだ曲は、ミュージカル『コーラスライン』の中から「愛した日々に悔いはない(原題:What I Did for Love )」。
二年前に四季が日本に持ち込んだ名作だが、おチビちゃんは一度も出演したことがない。ただダメ取りをしていたからだろうか、歌詞もちゃんと覚えていた。正に、芸は身を助く。カラオケなどは当然ないので、アカペラで一番を何とか歌い切った。驚くやら恥ずかしいやらだったけれど、監督の満足そうな表情のおかげで「やって良かったかな」と思うことができた。
撮影の終盤、おチビちゃん的ハイライトシーンは二ヶ所。ひとつは演じる安座間京子が伝令として、敵の襲来を告げる為に奔走するシーン。カメラは遠くから自分を映している。道のりは長くて、時間にして数分の距離だ。欲しい情景は夕暮れの畦道。自然は待ってくれないから、チャンスは何度もないだろう。持ち前の集中力で京子の心情をなぞる。いよいよスタート。
もしも私が遅れたら、その分みんなの命が危機に晒されてしまう! そんな使命感に背中を押され、必死に畦道を駆け抜けた……つもりだった。カットがかかる。ゼエゼエと肩で息をしながら、呼吸を整えるおチビちゃんに、監督が優しく声をかける。
「えっと、大丈夫かな?」
はい、と答えて駆け寄ると監督は微笑みながら意外なことを言った。
「君の走り方は何ていうか、漫画チックなんだよなあ」
予想外の指摘に「えっ」と言ったきり立ち尽くすおチビちゃん。「ちょっと見てごらん」と監督は、録ったばかりの映像を確認させてくれた。
結果は一目瞭然。無くて七癖とはこういうことかもしれない。夕暮れの畦道を走る自分のフォームは、両腕がミギヒダリ、ミギヒダリと余計に動いている。仰るとおり「漫画チック」だ。そうか、と理解する。あんなに遠くから撮っているからこそ、全身で伝えなければいけない。四季の舞台で繰り返してきたことだが、この場所はもっと大きい。そこを意識しなければ――。
「分かるかな?」
監督の言葉に深く頷きながら、ミスの原因を整理する。きっと腕を直しただけではまだ足りない。では、ここでの「居方」はどうだろう。急がなきゃ、伝えなきゃ、という気持ちにはなれていたが、焦りの度合いはもうひとつ上の方が良さそうだ。つまり、このままでは自分の命も危ない、敵にやられてしまう、という危機感。さっきはそれが抜けていたかもしれない。
「もう一度、いこうか」
監督の声に「お願いします」と頭を下げて、今来た畦道をひとり引き返す。日は暮れかかっている。時間はないから小走りだ。元の位置に立ってから数秒後に再びスタート。腕に気をつけながら畦道を駆け抜ける。生き延びるために、伝えるために、ひたすら走る、走る、走る!
キーンとする耳にカットの声が届く。しゃがみ込んで呼吸を整えていると、向こう側にいる監督からOKが出た。よし、と拳を軽く握る。どうやらうまくいったようだ。よいしょ、と弾みをつけて立ち上がり頭を下げる。夕陽の逆光を受けた監督が、ウンウンと頷くのが見えた。
(第37回 了)
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