女優、そして劇団主宰でもある大畑ゆかり。劇団四季の研究生からスタートした彼女の青春は、とても濃密で尚且つスピーディー。浅利慶太、越路吹雪、夏目雅子らとの交流が人生に輪郭と彩りを与えていく。
やがて舞台からテレビへと活躍の場を移す彼女の七転び、否、八起きを辻原登奨励小説賞受賞作家・寅間心閑が Write Up。今を喘ぐ若者は勿論、昭和→ 平成→ 令和 を生き抜く「元」若者にも捧げる青春譚。
by 文学金魚編集部
家を出る前、いや、昨日の夜辺りからずっとそうだ。不思議な心持ちが続いている。多分、自分の内側にあるのは緊張感と懐かしさで、その二つが混ざり合うのは初めてだと思う。おチビちゃんはもう一度周りの様子を窺った。この感じだと、私は年上の方かもしれない。さっき元キャンディーズのスーちゃん――田中好子さんとすれ違ったが、みんな、きっと何らかのキャリアを持っているのだろう。
ここは東宝撮影所。小田急線の成城学園前駅から十分ほど歩いた。今行われているのは、映画『ひめゆりの塔』のオーディション。やはり思い出すのは、数年前に四季を受けた時のことで、知らない人たちの中にポンと放り込まれたような感覚もどこか懐かしい。そして緊張感……実のところ、ここに来てから幾分薄まってはいるけれど、仕事の現場で感じるものとはまた別種の息苦しさが、まだ完全には消えていない。
与えられた課題は難しいものではなかった。数名ずつでグループになり、その場で与えられた台本を演じていく。日々の鍛錬が味方してくれたことも含め、おチビちゃんの気持ちには段々と余裕が生まれていた。
――多分、大丈夫かな……。
そんな自己採点に狂いはなく、数日後には映画という未知の領域、舞台やテレビとはまた違う新しい世界へ足を踏み入れることが決定した。
沖縄復帰十周年、そして東宝創立五十周年となる翌年、昭和五十七年六月に、全国の劇場で公開予定の映画『ひめゆりの塔』は、名匠・今井正監督が、約三十年前に大ヒットを記録した自身の同名作品をリメイクする形で製作される。物語のメインテーマは、戦争に翻弄され何気ない日常や、かけがえのない青春を奪われていく少女たちの儚い運命だ。
肝心なキャストは、先生役に俳優座出身で数多くの受賞歴を誇る栗原小巻さんと、人気特撮番組『ウルトラマンタロウ』をはじめ、民放のドラマに数多く出演している篠田三郎さん。
主な女生徒役には、清純派の美人女優として人気の高い古手川祐子さんや、キャンディーズ解散後は引退していたが、昨年芸能界に復帰を果たした田中好子さん、そしてトップアイドルから女優に転身した大場久美子さんなど、注目度の高いキャスティングとなった。物語の中心となる女生徒は計三十一名で、おチビちゃんはその中のひとり、安座間京子という少女を演じる。
三十年前には実現できなかった沖縄現地でのロケは、約二ヶ月の合宿タイプとなり、それに先駆けて都内のスタジオでスチール撮影などが行われた。撮影のスケジュールは役柄によってばらつきがあり、おチビちゃんはメインの役者さんたちより少し遅れたタイミングで現地入りすることとなった。
金森マネージャーは同行せず、まるで一人旅のような雰囲気で空港に到着すると「すみません」と後ろから呼び掛ける人がいる。声の主は同じ女生徒役で出演する高部知子さんのマネージャーで、自分は同行しないから一緒に連れて行ってほしいという。
後年、人気バラエティ番組『欽ちゃんのどこまでやるの!』でお茶の間の人気者となる彼女だが、当時はまだ中学生の女の子。好奇心旺盛な視線や、天真爛漫な笑顔がキラキラと眩しかった。もちろん快く引き受け、機内では座席も隣同士。ひょんなきっかけで彼女と二人、十月の沖縄へ降り立つこととなった。
四季の巡業で日本各地を旅してきたおチビちゃんだったが、沖縄は初体験。返還されてまだ十年足らずの彼の地は、たとえば円もドルも両方使用可能だったり、米軍の払い下げ品を扱う店がとても多かったりと、アメリカの存在感がそこかしこに溢れていた。それはつまり、先の戦争の爪痕が生々しく残されているということでもある。
現地入りした出演者たちは、まず映画のタイトルにもなっている慰霊碑「ひめゆりの塔」を訪れることになっていた。元々は沖縄戦の末期に陸軍病院が置かれていた場所で、住所は糸満市。おチビちゃんもスタッフや共演者と四、五名で現地に赴き、これから演じる女生徒・安座間京子が、過酷な日々を過ごした場所、そして空気を直接感じる機会を得た。
戦争によって慰霊碑の近くにあった壕は、生活の場から軍の陣地、また野戦病院へと用途が変わっていく。そして米軍の上陸、砲火を境に、壕内には多くの傷病兵が運び込まれ、看護訓練によってつくられた女子学徒隊、いわゆる「ひめゆり学徒隊」は懸命の看護活動にあたることとなる。動員されてからの約三ヶ月間、戦況が良くなることはなく、手当ての甲斐なく兵士が亡くなったとしても、その亡骸を壕の外へ運び出すこともできなかったという。
その結果、教師、女子学徒隊合わせて二百四十人のうち、百三十六人が死亡、そのうち十人は集団自決――。
想像を絶する史実だが、遠い昔の出来事ではない。たった三十数年前に起きてしまった生々しい悲劇だ。壕の中には、当時の物であろう軍足などが今も残されていた。無論全てを受け止め、理解しきれるものではなかったが、この経験によりそれまでおチビちゃんが持っていたイメージ、戦争や沖縄への想いは深化することになる。だからこそこれから演じる女生徒たち、即ち当時ひめゆり学徒隊だった方々がこの撮影に抗議する姿を見た時、自分の気持ちの所在が分からず混乱してしまった。
――本当の戦争はこんなものじゃない!
そんな彼女たちの訴えに触れたことは、演じるうえでの糧になるのだろうか?
舞台でもテレビでもない新しい現場に、おチビちゃんはオーディションの時より遥かに大きな緊張を感じていた。
期間中、滞在するホテルには、先行して撮影に入っているスタッフや共演者たちがいた。荷物を抱えて早速教えられた部屋へ行ってみると、とても広い。いや、広すぎる。それもそのはず、そこは十名前後が寝泊まりする大部屋だった。あら、と微かに声が漏れたのは、四季で巡業している時にもなかったケースだから。先行組はまだ撮影中らしく部屋には誰もいない。まあこんなもんかな、と今度は口には出さずに呟いた。
当然だがベッドはなくて布団敷き。まあ修学旅行だと思えばね、と荷物を置いて伸びをする。いよいよ明日は朝から撮影だ。慣れない布団と枕でちゃんと寝れるかしら……なんて呑気に考えていた自分が恨めしくなるほど、翌日からの撮影は過酷だった。
毎朝ホテルの廊下には、その日の撮影シーンが貼り出されるので、まずはそれを確認する。自分の名前を確認したら食堂へ向かうのだが、ここで問題がひとつ。とにかく朝食が不味い。いや、分かっている。用意していただいた食べ物に文句をつけることがとてもいけないことくらい、ちゃんとおチビちゃんは理解している。しかも今日これから演じるのは、ひめゆり学徒隊の少女。本当、バチが当たるに違いない。でもパサパサのお米や、味のぼやけたお惣菜に進んで箸を伸ばす気にはなれなかった。
食事が終われば支度をしてバスに乗り込み、ロケ場所まで移動する。東京から来たグループだけでなく、沖縄で選考したエキストラの方々もいるので、バスの数は予想以上に多かった。車内ではモンペ姿に着替えて、メイクをしてもらう。役柄上、綺麗にする為ではないので顔全体、更には耳の奥まで「汚し」をかける。やはり外見が整うと気持ちも作りやすい。気付けばバスの中は、戦時下の女生徒たちで溢れていた。
準備万端でバスを降りるとひどく暑い。十月でも沖縄はこんなに暑いんだ、と感心している暇はなく、撮影場所まで徒歩で移動開始。道中、大きな空から日差しが容赦なく照りつける。周囲を見渡しても、とにかく日陰は見当たらない。そして顔を覆う厚いドウランがじわじわと効いてくる。対抗策は俯くか、手の平をうちわ代わりにパタパタ扇ぐだけ。ようやく到着したら、一休みする間もなくすぐに撮影がスタート。でも結局また歩かされる。他の共演者たちと一緒に、今度は俯くことなく埃だらけの道を何往復も歩く。歩く。歩き続ける。時には役所広司さん演じる傷病兵が乗せられた担架を、女生徒四人で持ちながら歩き続ける。
待ちに待った昼食はロケ弁。ドラマの撮影時にいただいた経験上、これなら味は大丈夫と喜んだが、なかなか物事は好転しない。食べる場所は道端。風に吹かれて砂利や砂埃が舞い、まるでふりかけのようにご飯にかかり、口の中にジャリジャリと嫌な食感が広がる。正直なところ味わうというより、ジャリジャリを避けて呑み込む感じ。自然と口数も少なくなり、楽しいランチタイムとは程遠い雰囲気に。本当は先行組から色々と話を聞きたいのに、今話し始めたらこのジャリジャリや、朝のパサパサの話になってしまいそうで、結局黙々と食べてしまう。
この時点で薄々予想はしていたが、やはりトイレへ行くのも一苦労だった。何名かでグループになり、スタッフが話をつけてくれた民家へ借りに行かなければいけない。
「すみません。お借りします」
「どうもありがとうございます」
そんな風にみんなで頭を下げながら、モンペの紐を緩めつつ長い廊下に列を作って順番を待った。
夕方を過ぎると、撮影がない人はロケバスに乗ってホテルへと戻るので徐々に人の数が少なくなっていく。おチビちゃんはメインを張る役者さんとのシーンが多いので、途中で離脱することはまずない。
暑さが和らぐのはとても有難いけれど、メイクを落とせる訳でも、衣装を着替える訳でもないし、時間帯のせいなのか、撮影場所のせいなのか、日が落ちると見物客が集まってくることが多く、時には大変な騒ぎになってしまうこともある。特に大場久美子さんのファンは熱烈で、マネージャーや映画のスタッフが人除けに苦労していた。
群集心理というのか、そういう状況だと興奮状態になってしまう人も多く、おチビちゃんも被害に遭ったことがある。ロケバスへ戻ろうとしたところを、見物客にもみくちゃにされ、何の恨みがあるのか頭を何発も叩かれたのだ。その痛みと恐怖はなかなか忘れることができなかった。
ようやく夜の撮影が終わり、クタクタの状態でロケバスに乗り、ホテルの大部屋へ帰るのは大抵十一時過ぎ。自分以外の人たちはもう寝ていることも多く、あまり音を立てないように爪先立ちで動いたりもする。朝から暑さに負けずよく頑張った、と自分を労わるが、実は本当に過酷なのはここからだ。
まずシャワーが使えない。今日一日汗をかき続けたにもかかわらず、遅い時間帯は給水タンクの都合で、浴場に行っても水は出ないのだ。試しに蛇口をひねってみたが、泥の混じった汚水が吐き出されるだけ。これでは顔も洗えない。
「ちょっと、どうにかしてよ!」
そう叫びたい気持ちはあるが、それでお湯が出てくるとは到底思えないし、そもそも大きな声を出すほどの元気など残っていなかった。
結局、ホテルを出た時の格好のまま布団に身を横たえ、朝を待つしかない。汗まみれのままの気持ち悪さを堪えて何とか眠りにつこうとするが、身体は疲れているはずなのになかなか眠くならない。どうにかこうにか睡眠にありつき、朝を迎えたおチビちゃんが見た物は、布団の中の砂だった――。
こういう日々を繰り返し経験する中で改めて確認したことは、やはり舞台ともテレビとも違う場所だということ。経験こそないけれど「肉体労働」という言葉が思い浮かぶ。
当然体力の問題だけではなく、いざカメラの前に立った時も、おチビちゃんを悩ませる違いが存在していた。どんな場面からでもその都度気持ちを作りあげる、という点はドラマの現場である程度訓練を積んでいたが、今回はもっと細かく感情を切り分けることが多い。スタジオに組まれたセットではなく、大自然の中での撮影だからこそ難しさを感じていた。中でも誰かに話すような演技をカメラに向かって行う際、視線をどこに持っていくべきかがすぐには分からない。
「はい、じゃあここ見て下さい」
よくそう言いながら、自分の握り拳を「話している相手の顔」に見立てて、カメラの脇に突き出すスタッフさんがいるが、その度に「あの、それって本気ですか?」と確かめたくなる。人間ではない何かを人間だと思って、気持ちを作っていくのは本当に困難だ。だから監督がOKしてくれたとしても、何となく不安を感じることが多い。
オフの日の過ごし方はまちまちだけれど、ホテルに近い国際通りでショッピングをすることが多い。また先生役で出演している四季の先輩、矢崎滋さんと近くのカフェに行き、思う存分お芝居の話をすることもあれば、コザまで米軍払い下げのアーミージャケットを物色しに行くこともある。
珍しいところでは、沖縄在住のおチビちゃんファンのご家族に、車で植物園へ連れて行ってもらい、一緒にお食事をしたこともあった。聞けば特に娘さんが『野々村病院物語』の川原早苗を好きだという。
嬉しかったことはもちろん、四季の公演で訪れたことのない沖縄で、ドラマの演技だけを見てファンになってくれた人がいるという事実におチビちゃんはずいぶん驚いた。
(第36回 了)
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