女子高生のミクはふとしたきっかけで社会人サークルに参加することになった。一足先に大人の世界の仲間入りするつもりで。満たされているはずなのに満たされない、思春期の女の子の心を描く辻原登奨励小説賞佳作の新鮮なビルドゥングスロマン!
by 金魚屋編集部
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Jinesのデニムジャケットに、白のフレアスカートの組み合わせが私のお気に入り。ハンガーにかかっているのを、何度も眺める。ジャケットは三万円で、どうしても欲しかった。バイト代が、右から左に消えた。分不相応という言葉が嫌いだ。分なんて他人に決められたくないし、そんなものがあるなら壊してしまいたい。煩悩に満ちている私のところに、エリアさんから電話がかかってきた。お互いに番号を知らないから、Discord経由だ。というより、Discordで通話できることを、今はじめて知った。スマホの時計では午後二時くらいだった。慌てて通話ボタンを押す。
「あけましておめでとう」
エリアさんの声。
「って言っても、今日はもう七日だよ」
「うんうん。わかってる。だから、松の内に初詣に行こうって誘おうと思ったんだ」
「今日か明日しかないよね」
「うん、だから今日行こう」
会話のテンポが早い。多少強引だと思った。
「いいけど、それだったらもっと早くに言ってよ」
実際にヒマだけど、ヒマ人扱いされるのはひそかに傷ついた。
「新年なのにすることもなくて、なんとなくウナとDiscordで話してたら決まったんだよね。私とウナって、一人暮らし同士じゃん? でも、お互いに(二人で行くのは嫌だね)(うん、絶対やだ)って会話になって、それだったらグルドも誘おうってなった」
仲が良いのか悪いのか。絶妙な人間関係だ。
「どこに集合?」
「えっとねー、高田馬場駅。時間も決めてないから、駅に着いたらまた電話するね。でも、参拝できる時間には間に合うように来てよ」
「だいぶふわっとしてるね」
「グルドが来なかったら、帰るから。さっきも言ったけど、ウナと二人きりなんて嫌だし。それをウナに先に言われたのもナニサマ? ってかんじだし」
「わかったわかった」
「そういうことだから、切るね」
シャワーを浴び、化粧をして出かけた。お気に入りの服を着て出かけられるのは嬉しい。新しい年。街中が初という言葉で埋め尽くされている。駅まで歩いて、電車に乗る。
高田馬場BIG BOXの前に着いた時点で、Discord通話をした。エリアさん曰く、ウナさんはわりと近くの書店にいて、自分はまだ家だから今から準備してすぐに行くと言う。家が近いのか、十分ほどでエリアさんが高田馬場駅に到着した。ウナさんのいる書店で集合する。ウナさんは『Smart』を立ち読みしていた。ファッション雑誌を読みふけっているのが恥ずかしかったらしく、何度もまばたきをしていた。
参拝は、あっさり終わった。おみくじを引いた。私は末吉で、ウナさんは小吉。そしてエリアさんは凶を引いてしまった。持ち帰らず、木に結ぶ。
「気を取りなおして、ベトナム料理でも食べに行こう」
エリアさんが、これからの予定を決めてくる。
「新年早々、ベトナム料理かよ」
と、ウナさん。でも、代案もないので従うことにした。エリアさんは方向感覚がしっかりしているらしく、目的地の方向を指差しながらサクサク進んでいく。もう、だいぶ歩いている。
「ここ、どこ?」
ウナさんがうんざりした声を出す。
「大久保のあたり」
エリアさんが、しれっと言う。
「どんだけ歩かせてんだよ」
「もうすぐだから」
そう言われてから、さらに五分は歩いた。
「ほら、ここ」
こぢんまりとした店に入ると、店内はパクチーの香りが充満していた。
「いらさいませー」
アオザイを着た男性からメニューを手渡される。どれもあまり馴染みがないので、知らないものをオーダーする。
「バインミーとコーヒーをください」
写真が少なく、どれがどれかわからないので響きだけで選んだ。コーヒーを飲んでいると、サンドイッチのようなものが運ばれてきたので安心した。
「なんで私だけが凶なわけ?」
フォー麺をつつきながら、エリアさんが言う。おみくじのことを気にしているのだ。
「普段の行いのせいじゃね? 神様っているんだなー。ってか、これ旨い。安いし。一本食べてみる?」
ウナさんは、目の前の皿に盛られた生春巻きを必死で食べている。
「いらない。納得できないから、もう一軒行こう」
「なんだよ。店の人に失礼だろ」
店員さんにはあまり日本語は通じないらしく、平然としている。
「そうじゃなくて、おみくじを引き直したいの」
「はぁ? 勝手にしろよ、もう」
と言っているけど、ウナさんもついて行く気はありそうだ。
「ウナと話してるとイラポが貯まる」
「はいはい。どんどん貯めていこうね」
「そういう言い方がムカつく」
私はあんまり会話に参加できていなかったけど、そのおかげでいち早くバインミーを完食することができた。
「この麺、食べても食べてもどんどん増えてくよ。永遠に食べ終わらないから、行こう」
せっかちなエリアさんが、立ち上がる。サービス精神が旺盛なのか、たしかに麺の量がかなり多めだった。
「わがままだな」
会計を済ませ、またしても三人で歩く。
周囲を見回すと、ここは異国だった。治外法権な雰囲気が漂っている。対面の通りでは黒い服を着た男性が昼間から客引きをしていた。
後ろから軽く肩を叩かれる。
「なんですか?」
私は怪訝な表情をしていたかもしれない。振り向くと、どこの国かわからないエキゾチックな服装をした女性が立っていた。
「あなたね、慎重なのは長所だけど、信じる相手を間違えるのはダメよ」
どうやら私のことを言っているらしい。カタコトの日本語。唐突な言葉に、リアクションするタイミングを逃してしまった。
「占いですか?」
エリアさんが冷静な表情で言う。女性はエリアさんのほうに向きなおり、言った。
「今は起業のタイミングじゃない。焦ると運が逃げていくよ。一番いいのは三十二歳の春ね。とにかく今は悪い」
エリアさんの口がアルファベットのオーの形になる。あたりまえだけど、驚いている様子だ。ウナさんは、それを胡散臭そうに眺めている。
「三年後、あなたはお父さんになってる」
女性に指を指されたウナさんは、不意を突かれて放心していた。
「鑑定料とかは、いくらですか?」
エリアさんが、バッグから財布を取りだした。平常心を装っているように見える。
「いらない」
女性は、顔の前で手を左右に振った。今度は両手いっぱいに飴を持っている。女性が身に付けている斜めがけのポーチに入っていたらしい。
飴を片手にねじ込まれ、肩をさすられた。飴の包みがクシャっと音をたてた。
「ありがとうございます」
「幸せなれるよ」
女性は、私の飴を持っていない方の手を握りながら言った。
「このあたり、夕方歩くの危ない。早く帰るね。あなたたちまだ子供よ。駅、あっちね」
そう言いながら、一分と離れていない大久保駅の東口を指差す。
三人は女性の言うことを聞かず、新大久保まで歩いてから電車に乗り、渋谷を目指した。
「私たち、不安そうに見えたのかな?」
エリアさんが、電車の手摺りに寄りかかりながら言う。無視したかったわけではないけど、だれも返事ができなかった。あの女性は日本語がよくわからないだけに、私たちの表情をよく見ていたのかもしれない。私たちは、そのままの気分で家に帰ることができなかった。渋谷の街をぶらぶらして、喫茶店に入った。
「人間関係」
と私は呟いた。というのも、今いるのがCafe de Copainという名前のお店で、私はただ単に直訳しただけだった。渋谷の駅近くにあり、ウナさんの話では、喫茶店なのに夜の十一時過ぎまで開店している珍しいお店らしい。いつのまにか時計は夜九時を回っていた。コーヒーはすっかり冷めてしまった。
「私はそろそろ帰ろうかな」
立ち上がろうとすると、エリアさんが止める。
「まだ話の途中だよ」
と言うエリアさんは、どこか遠くを見つめていた。また、さっきと同じようにウナさんと昨日食べたものの話をしている。他愛ない話だし、私がいなくなっても大丈夫なはずだ。
「眠い」
エリアさんは、机に突っ伏した。
「エリアさんも帰ったほうがいいよ」
と帰宅を促す。
とりあえずは店を出ることになった。三人とも、目的もなく街を彷徨っている。だれも、どこに行くのかを聞かなかったし、そもそもだれが方向を決めているのかさえわからなかった。
「あの人、麻薬取り引きの相手を待ってるんだよ、きっと」
暗闇で、街角に一人で立っている人を指差してエリアさんが言う。三人で、どっと笑った。
「じゃあ、あっちの人は身をやつした某国の要人」
「それにしてはチープな服じゃね?」
勝手なことを言っては爆笑する。別に面白くて笑っているわけではなかった。ほかの二人が笑っているから笑った。たぶんお互いにそれだけ。
「さっきの犬、だっせぇな」
ウナさんが、すれ違った人が連れている犬を見て言った。飼い主と同じ柄の服を着ていたのだ。青のギンガムチェック。ダサいという言葉は一方的な死刑宣告だった。エリアさんが、手を打ち鳴らした。乾いた音が響いた。なにを言っても意味がなかった。だからといって、だれも意味のあることを言おうとしていなかった。
私たちは小走りになったり、立ち止まったりを繰り返していた。まるで、そうすれば時間の流れを調節できるかのように。家に帰らなければ、明日が来ないような気がしていた。明日が来なければ明後日も来なくて、だからって死んでしまいたいわけではなかった。
「レモネードスタンドがある」
「こんな季節に?」
レモネードは夏、という印象があったので変な声を出してしまった。ウナさんが財布から小銭を出した。エリアさんと私も続いた。カフェで水分は充分に補給したはずだったけど、冬のレモネードを買った。
「氷入ってるよ。冷える」
言いながら、お腹がすっと冷たくなっていくのを感じた。寒い中で、レモネードの酸味が際立っていた。
「やっぱり、レモネードは夏のもんだな」
シャーロックホームズみたいなコートの襟をかき合わせながら、ウナさんが言った。全員が、同じように思ったようで、同時に頷いた。
「先週、このあたりを歩いてたらさ」
沈黙を破るようにエリアさんが言う。
「ホテルから出てきた男女がお互いに(お疲れ様でした)って言って現地解散してた」
と続ける。ウナさんが、「たしかに」と拾った。
「今日はいないのかな、そのカップル」と私。
なにかすごいこと、日常ではありえないことを見聞きしたかった。思い出にもならないような思い出を作るために。いつか、自分が冬のレモネードになってしまう。そんな考えが頭の中に浮かんだ。私もウナさんもエリアさんも、冬のレモネードになってしまう。
「インスタの写真撮るコーナー、あるじゃん」
壁にレモンの絵とお店のロゴが描かれていて、その前にぶらんこが数台ある。
「でも、その手には乗らない。宣伝に利用されるだけじゃんか」
「レモン、映えるー」
もう、会話には脈絡がなくなっていた。脈絡なんて必要なかったのだ。
「そのジャケット、どこの?」
ウナさんのジャケットを引っ張りながら、エリアさんが言う。
「martinique」
ウナさんが気取った口調になった。高いのだ。
「え? 西友に見えた」
エリアさんが、口元を抑えながら笑う。
「JRのホームまで競争!」
エリアさんが突然叫んだ。みんな、帰る方向が違った。だから、競争にもならなかった。反対側の電車で扉が閉まるとき、エリアさんは手を振るかわりにレモネードを左右に振った。氷がガサガサいう音が聞こえてきそう。こちらにも向けられる、対向車線の非難の眼差しがくすぐったかった。ウナさんはなぜかホームのイスに座って、半分寝ながらこちらを見ていた。電車の発車を待ちながら時計を見ると、夜の十二時だった。ホームのウナさんがスマホを見ながらにやりと笑った。エリアさんは、電車の上部を見つめていた。たぶん、車内の画面で同じく時間を眺めているのだろう。今日が昨日になって、その瞬間を一緒に過ごした。私たちは同時にため息をついたように思う。電車が発車した。平等に日々が削られていて、私たちは五分前にすら戻れない。電車の揺れのせいで、眠気が襲ってきた。昼間とは違う、正統で暴力的な眠気だった。
(第06回 了)
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