世界は変わった! 紙に印刷された文字の小説を読む時代から、VRでリアルに小説世界を体験できるようになったのだ。恋愛も冒険も、純文学的苦悩も目の前にリアルな動画として再現され、読者(視聴者)はそれを我がことのように体験できる! しかしいつの世の中でも悪いヤツが、秩序を乱す輩がいるもので・・・。
希代のストーリーテラーであり〝物語思想家〟でもある遠藤徹による、極めてリアルな近未来小説!
by 遠藤徹
七、『伊豆の踊子』:反聖文
単独行動をとったということで、その日の夜俺は担任から厳しくしかられたが、「病気の友人の見舞いに行っていました」というと、担任は黙ってしまった。「治らない病気なんです」そういうと、「そうか」といったきり、俺の背中をぽんと叩いて去ってしまった。
三年後、大学生になった俺が訪れたとき、彼女はもう入院患者のなかに含まれていなかった。
「さすがです、先輩」
病院を後にしながら、俺はつぶやいた。
「とうとう、逃げ切ったんですね。捕まることなしに」
こうして俺は、結城雅美の遺志を継ぐことになった。高校生の頃から、受験勉強の合間にちょくちょくダイブインして、原典をいじることは試していたが、おそるおそるだったし、イタズラの跡を残すなんてことはとてもできなかった。でも、結城雅美がもういないと知ったときから、俺は心を決めた。犯罪かも知れないけど、俺はともかく彼女の唯一の楽しみだったことを継いでいこうと。
俺の最初のイタズラは、ご多分に漏れず太宰治の『走れメロス』だった。メロスをマイク・タイソン、セリヌンティウスを亀田興毅に置き換えてラストの殴り合いのシーンを楽しんだ。
「亀田興毅。」マイク・タイソンは眼に涙を浮かべて言った。
「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君が若し私を殴ってくれんかったら、私は君と抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ。」
亀田興毅は、すべてを察した様子で首肯き、刑場一っぱいに鳴り響くほど音高くマイク・タイソンの右頬にアッパーを食らわした。殴ってから優しく微笑み、
「マイク・タイソン、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生れてはじめて、君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない。」
マイク・タイソンは腕に唸りをつけて亀田興毅の頬にパンチを食らわした。
それから、すぐに名前を元に戻したのだが、去り際に一つだけイタズラを残してみた。暴君の名前ディオニスを、ジョージ・ブッシュに代えておいたのだ。かなり前の大統領だし、九・一一という歴史の教科書に載っている出来事のときに、かなり強硬に対テロ戦争を強行した人物だということくらいしか知らなかったが、なんとなくしっくりするような気がしたのだ。
「さて、結果はいかに」
俺はそうつぶやくと、原典を後にしてリターンした。
イタズラがばれて、大事になっているんじゃないかと気になって、朝起きるとすぐに「走れメロス」に接続してみたが、ちゃんと王様の名前はディオニソスに戻っていた。
「なるほど、虚構パトロールの仕事は迅速なようだ」
俺は感心すると同時に安心した。家に誰もやってこないところをみると、どうやら俺のイタズラだってことはバレていないらしい。けれども、そのことが逆に俺を駆り立てることになってしまった。
「どこまでやったら捕まるのか?」
あるいは、どこまでやっても捕まらないのか? そんな冒険心に俺はくすぐられてしまったのだ。それからの俺は、言ってみればどうかしちゃってた。結城雅美の死が俺を駆り立てていたともいえるけれど、純粋に原典に手を加えるというイタズラに取り憑かれていただけだともいえる。なにしろ、原典にダイブインできる者は、元に戻しさえすればどんな加工だって可能なのだから。
こうして俺は、志賀直哉の『小僧の神様』に潜れば、貴族院議員のAに寿司をおごられた小僧が、彼が残していったでたらめな住所をたどっていった先に見つけるものをお稲荷様ではなく、公衆トイレに置き換えるというイタズラをしてみた。結果、小僧は、自分に寿司をおごってくれたのはトイレの神様だったのだ、と思いこむというわけだ。次には、芥川龍之介の『鼻』をいじくった。五、六寸もあって垂れている鼻を気にしていた内供は、弟子の聞いてきた方法で鼻を短くするわけだが、今度はふつうの長さになった鼻を見て皆が別の笑いを押し殺しているのに気が付く。結局、鼻のコンプレックスから解放されない内供が、ある朝起きたら鼻がもとに戻っていたというのが本来のラストだ。けれども俺はそれを、鼻が逃げ出してしまったというゴーゴリ風の展開に代えてみた。失われた鼻を求めて四苦八苦する内供が、ある日不意に鼻が元に戻っているのに気づくという展開である。二つの『鼻』をつないでみたというわけだ。ひとしきり楽しんだ後、話を元に戻しておいた。
こんな風に、いろいろイタズラを繰り返していたわけだが、ある時俺は大きなミスをやらかした。その日は、ちょっとした下心から三島由紀夫の『潮騒』にダイブインしていた。自分としては、旧陸軍の監視台「観的硝」で裸になって服を乾かしている初江の姿を覗き見る(実際には、それは俺自身の想像力の中の初江の裸であるわけだが)ことが目的だったわけだ。嵐の日に、裸の新治が初枝に向かって「その火を飛び越して来い。その火を飛び越して来たら」というセリフを吐く場面である。どきどきしながら、初枝が、たき火を飛び越えて新治の胸へと飛び込んでいくあやうい場面を眺めていたときに、不意に腕を捕まれた。
「貴様か!」
俺を捕まえたのは、茶色い制服を着た二人組だった。
「まったく、とんでもないことをしやがって」
なんのことだか検討もつかなかった。そのまま、俺は検閲所に連行された。
「どうして、こんなことをした」「どうやって、侵入した」「きさまは、テロリストの一味か」等々矢継ぎ早の尋問を受けた。俺にはなんのことかわからず、「これまでやった悪事を全部吐け」と凄まれて怖くなり、ついつい洗いざらい白状してしまった。
『伊豆の踊り子』の踊り子薫が、船で去っていく主人公の「私」に向かって振る白い布を、ふんどしに置き換えたこと、『蜘蛛の糸』でカンダダがぶら下がった糸を合成繊維に置き換え、地獄から亡者たちを大量に天国へと移住させたことなどである。
「そんな細かい罪ばかりじゃないだろう。おまえのようなテロリストが考えることは、規範的文学の破壊じゃないのか?」
いくら否定してもそんな風に責められていたさなかのことだった。
「チーフ、犯行声明が出ました」
「なんだと」
「犯行時間から推定して、こいつはただその場に運悪くダイブしただけのやつのようです。今回も『反聖文』の連中の仕業と断定して間違いないでしょう」
そのとき俺は初めて『反聖文』という名を耳にした。違法なダイブインを可能にする装置を開発し、聖典化された文学を攪乱することを目的としたテロ集団である。正式な組織名は反聖典文学有識者連合というものであるらしい。合言葉は、オーデタモー。なんでも古代の恋愛詩人の言葉で、正しくはオーディー・エト・アモーらしい。「憎み、かつ愛す」という意味だそうだ。何を憎み、何を愛すかといえば、文学である。それも、学者や知識人たちによって、聖典化された文学、わかりやすくいえば世間で「名作」っていわれてる作品のことだ。
つまり、彼らは文学を愛しているのである。もっと自由に文学は楽しまれるべきだと考えている。だから、文学の聖典化を憎む。なぜなら、「聖典」化は、本来自由平等であるべき文学の世界に「権威」や「権力」を持ち込むものだからである。それは、本来の文学の「楽しみ」を損なうという。そこで、彼らはテロを仕掛ける。聖典化の傾向を示しつつある作品を攪乱することによって、作品を変容させ、別の顔を表させる。そうすることで、「権威」や「権力」によって硬直化させられた作品を解放し、本来の自由、すなわちアルレッキオ性、あるいはトリックスター性を回復させるのだというのが、彼等の主張であった。
驚いたことに彼等は、『潮騒』においていずれは初江と結ばれることになるはずの漁師の息子新治を、途中で死なせてしまったのである。具体的には、網元であり初江の父である照吉が所有している船に、信治と安夫が乗って嵐に遭遇する場面で事件を起こした。神戸から沖縄まで材木を運搬するこの仕事は、そもそも照吉が、信治と安夫のどちらが娘の婿にふさわしいかを見極めるための試練として課したものであった。本来の筋では、沖縄で嵐に遭遇し、船をつなぐワイヤーが一本切れたときに、信治が名乗り出て浮標に命綱をつないで船を守ることになっている。ところが、彼等は安夫を焚きつけて命綱を切らせてしまったのであった。信治は命綱につかまったまま嵐の海へと飲み込まれて消えてしまうという展開となった。さらに手の込んだことに、彼等は大量の鮫の群を動員して、おぼれかけた信治を喰わせるということまでやってのけた。
ほとんど骨だけにまで食い散らかされた信治を救出し、命を回復させ、元の筋に復帰させる作業は困難を極めた。いくら文字の改変であるとはいえ、命が奪われてしまうとなるとダメージは大きく、その回復は容易ではないということのようなのだった。特に、新治のような主要登場人物が途中で退場せしめられてしまうと、物語の筋全体が大きな影響をこうむるため、その修復には非常な困難が伴うということだった。
真犯人が声明を出したことによって俺は釈放されたわけだが、よりにもよっていくつもの微罪を洗いざらい白状してしまっていたため、無罪放免というわけにはいかなかった。親まで呼び出されて、法廷で三年間の物語体感剥奪の刑を言い渡された。そのせいで、大学の三年生まで俺はまったく物語を体感することができなくなった。VRを装着しても、俺のIDが禁止措置対象に指定されているために、いかなる物語にもアクセスできなくなってしまったのだった。
もちろん、むかしながらの紙の本や電子書籍での読書やDVDや映画の鑑賞、テレビ視聴などは禁止されているわけではなかった。だけれども、ひとたびVRの全感覚的な物語への没入を体験した俺たちには、古いメディアで鑑賞する物語は実に味気なくつまらないものにしか感じられないのだった。この程度の刺激しか得られないのであれば、むしろ読んだり見たりしないほうがましだと思われるくらいなのだった。カレンダーにバッテンを記しながら俺はひたすら刑期が開けるのを待ち続けた。
(第07回 了)
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* 『虚構探偵―『三四郎』殺人事件―』は毎月15日に更新されます。
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