今号の特集は波多野爽波。正直なところ、「爽波、ああそういう俳人いましたね」と思ってしまった。学習院卒で三島由紀夫の友達だったというくらいの認識だ。ちゃんと読んでいないので今号のような特集はありがたい。
波多野爽波の主宰誌「青」は、昭和二十八年創刊、平成三年終刊。その発行期間は、ほぼ戦後昭和史と重なり合っている。(中略)
「年輪」(主宰・橋本鶏二)「菜殻火」(主宰・野見山朱鳥)「山火」(主宰・福田蓼汀)と「青」による四誌連合会を発足させたのは三十二年のこと。(中略)いずれも「ホトトギス」同人として活躍した作家(による結社誌)である。(中略)四十年には解散している。四誌連合会とは別に、三十八年頃からは赤尾兜子・鈴木六林男・堀葦男・林田紀音夫・島津亮ら前衛作家との交流が頻繁になってくる。(中略)爽波は自らの俳句に緊張感を与えてくれる場を絶えず求め続けてゆく。
小川春休「主宰誌「青」の時代」
小川春休さんの論でいわゆる俳句史的な爽波の功績は大方わかるだろう。爽波はあくまで「ホトトギス」系の作家であり、その枠内で彼が考える理想の俳句を探求した。現在に至るまで俳句の主流の礎石のお一人ということである。
子規を実質的主宰として虚子が創刊した「ホトトギス」は、虚子直系の稲畑廣太郎さんを主宰として現在も続いている。「ホトトギス」の会員数はよくわからないというか、確か公表なさっていないと思うが、恐らく現在でも数万人の会員を擁しておられると思う。まあ言っちゃ悪いですがブランド志向ですな。お茶を習う時に、宗偏流よりも裏・表千家の方がカッコよくないかといった感じである(失礼!)。俳句は習い事芸の側面を絶対に無視することができないわけである。文学志向の俳人がいくら口を酸っぱくして「俳句は文学だ」と主張しても、今後も「俳句習い事芸」の流れは決して消え去ることはない。それが俳句の強みでもある。
俳句の世界に限らないが、文学の世界では〝最初に何事かを成し遂げた人〟は別格的に偉大である。子規が近代俳句最初の偉大な作家であるのは言うまでもない。それを引き継いだのが虚子である。碧梧桐との対立を端緒として、一碧楼・井泉水の自由律派は虚子「ホトトギス」を仮想敵として新たな俳句を模索した。
「ホトトギス」内での動きは秋櫻子・誓子の離反が端的なもので、そこから戦前の新興俳句運動が盛り上がってゆく。戦後の「ホトトギス」は、まあいわゆる習い事芸の俳句拠点として盤石になり虚子晩年には文学的影響力を低下させるが、それでも兜太・重信の前衛俳句運動がホトトギス的習い事文芸に対する文学運動を目論んでいたのは確かである。
こういった俳句史の流れを踏まえれば、爽波の「青」「年輪」「菜殻火」「山火」の四誌連合会は、「ホトトギス」系俳句の現代へのアップデートの試みだったと言うことができる。しかし一碧楼や井泉水、秋櫻子、誓子、高屋窓秋らの新興俳句、そして兜太・重信らの前衛俳句俳人たちのように、喉仏に引っかかるような強さが爽波にはない。あくまで「ホトトギス」内での現代アップデート動向だったから当然と言えば当然だが、そこが爽波の魅力でもあるだろう。要するにホトトギス的なるもの、虚子的なるものは強靱なのである。それを無視すれば俳句そのものが成り立たなくなってしまうと言っても過言ではない。
鳥の巣に鳥が入つてゆくところ
氷上に少しく土の崩れ落ち
人々の昼餉ときなり墓詣
金魚玉とり落しなば舗道の花
昏くれば薔薇に雨のそそぐなり
澄む水に莟の百合の折れ浸り
鶏頭や海近くして蟻聡し
天ぷらの海老の尾赤き冬の空
巻尺を伸ばしてゆけば源五郎
裂かれたる穴子のみんな目が澄んで
渦潮を夢にまた見むちんちろりん
映る色みんな氷柱に溶け入りぬ
「岸本尚毅抄出 波多野爽波 百句」より
ときおり「巻尺を伸ばしてゆけば源五郎」といった句が混じるが、基本的にはホトトギス的な素直な句である。爽波は「「写生」の一事をとってみても、これをスポーツの練習をつむがごとく、ものに即して反射的に対応できるような己が「体力づくり」と割り切って実行する若人が出てきてくれないものか」と書き、いわゆる「俳句スポーツ説」を提唱した。これはまったくもって正しい論である。ただ「俳句スポーツ説」は俳句における一つの定番的常識であり、そこからが本当のスタートだとも言える。
たいていの場合、俳人たちは俳壇外では「俳句は文学である」と主張しながら、俳壇内では「俳句は習い事文芸」に終始することになる。基本的には大きな矛盾があるわけだ。矛盾がある場合にはそれを統合する必要がある。その場合、「俳句は文学である」の方向に統合を推し進めれば自らの首を絞めることになる。「俳句は習い事文芸」から文学の方向に抜ける方が俳句文学に即した道行きである。
もちろん多くの俳人が、俳句習い事文芸から文学の方向に抜けようとしているじゃないかと言われればその通り。しかしそれを理論化してスッキリさせた俳人は存在しない。爽波はもちろん、俳句習い事文芸の権化ともいえる虚子のアポリアは未だに絶大なのである。
春を寝る破れかぶれのように河馬
恋情が河馬になるころ桜散る
桜散るあなたも河馬になりなさい
水中の河馬が燃えます牡丹雪
河馬たちが口をあけている秋日和
河馬になる老人が好き秋日和
みんなして春の河馬まで行きましょう
「坪内稔典 自選30句」より
今号の「俳句界 New」に坪内稔典さんが「元気のよう」というエッセイを書いておられる。稔典さん主宰の結社誌「船団」が三十五年の歴史に幕を下ろすという内容である。兜太は死去の前に「海程」終刊を決断したが、坪内さんの場合は「船団」を終刊して新たな航路を模索なさるのだろう。
「坪内稔典 自選30句」はすべて「河馬」が句題である。引用は冒頭の七句。最後までずっと「河馬」の句が続く。よく知られた「三月の甘納豆のうふふふふ」などが含まれていないのが稔典さんらしい。お疲れ様でした。
岡野隆
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