「世に健康法はあまたあれど、これにまさるものなし!」真田寿福は物語の効用を説く。金にも名誉にも直結しないけれど、人々を健康にし、今と未来を生きる活力を生み出す物語の効用を説く。物語は人間存在にとって一番重要な営為であり、そこからまた無限に新たな物語が生まれてゆく。物語こそ人間存在にとって最も大切な宝物・・・。
希代のストーリーテラーであり〝物語思想家〟でもある遠藤徹による、かつてない物語る物語小説!
by 遠藤徹
5.鉾の会(下編)
「ふうん、なるほどね。やるじゃん、バンディットさん、見直したよ」
「ありゃあ、今日はなんていい日なんだ。また女の子から褒められちゃったよ。もうチャイナシンドローム起こしちゃいそうです、やばいっす」
「ちょっと待って、バンディットさん。わるいけどわたし女の子じゃないから。わたしトランスジェンダーなんで、気持ちは男なんで」
「ああ、そうっすか、それはどうも・・・つまり、あれですよね。見た目と中身が逆ってことっすよね。うわ、免疫なさ過ぎでよくわかっらないっす。混乱するっす」
と、バンディットさんが頭を掻き、皆が笑った時だった。
水が入ったままのコップが飛来し、壁際に座っていたバンディットさんの頭上の壁にぶち当たった。ガラスの破片と水が、バンディットさんと、そのとなりにいた二人の頭上から飛び散った。
「うるせえんだよお前ら、さっきから」
怒号が響いた。
「あ、すみません」
とっさにそう言って顔を上げた司会役のジンの表情が歪んだ。いわゆる凍り付くというやつ。それを見て、表情筋を緩めていた全員が初めて周りを見回した。自分たちの置かれている状況に気がついた。
かつての特高警察を思わせる軍服に身を固めた集団が、いつの間にか自分たちを取り囲んでいた。話に夢中になっていて彼らはそれに気がつかなかった。彼らが放つ異様な雰囲気に、喫茶店の店長や従業員たちは、店の奥に引っ込んでしまった。
「愚民どもが!」
リーダー格の男が叫んだ。
「それは、聞き捨てなりませんね。どういう意味ですか?」
どこにそんな勇気があったのか、司会役を引き受けていたジンが立ち上がった。
「やめなよ、ジン」
隣にいた顔に痣のある少女が、やめさせようとした。
「『鉾の会』だよ。あぶないよ」
その名を聞いて、緊張が走った。最近さまざまな暴力沙汰を起こして話題になっている集団だった。移民・在日外国人排斥運動、障碍者施設への攻撃、ホームレスや老人への暴力などを過激化させていることで知られていた。特に話題を集めたのは、「市ヶ谷事件」だった。市ヶ谷駅前で、ヘイトスピーチを行う『憂国詩人の会』を中心としたデモ隊と、反ヘイトスピーチの団体が衝突した事件のことである。このとき、軍服姿で現れた彼らが反ヘイトスピーチ団体に対して、
「亡国の徒どもを誅す!」
と称して激しい暴力を振るったのである。死者まで出した。反ヘイトスピーチの指導的立場にあった大学教授の内山政重は、引きずり出されて道路の真ん中に正座させられた上、日本刀で首をはねられた。逮捕者を出した鉾の会代表漆山金箔が、記者会見の場で朗々と吟じたのは、海原泰山の『英霊』の一節であった。実際、漆山は『暗唱と賛美の宴』の熱心な参加者のひとりであったことから、海原との関係性が取りざたされた。むろん、海原は「笑止千万」とその質問を切り捨てた。
「小説は開かれたテクスト、つまり多様な解釈に向けて開かれたものなのです。
p6七行目「その解釈のひとつひとつにまで責任を負うことは、不可能でしょう?」
このような事件にもかかわらず、逮捕されたのは実行犯の数名だけで、代表の漆山をはじめとした幹部クラスは無傷だった。
「このような非道を見逃すのか?」
という声も上がったが、「一部の末端の者らの勝手な暴走」と切り捨てられたのでは、手の出しようがないのだった。そんなこんなで、『憂国詩人の会』の暴力的活動は過激さを増していた。
「自分も亡国の徒どもを斬首したいです!」
などという理由で参加する者も多いといわれていた。なにしろそうした行為が、結社のなかでは「英霊への肯(ル、うべな)い」と称されて英雄視されるのだから、逮捕されようが極刑に処せられようが希望者は後を絶たないのだった。
「名も無き庶民として一生を終えるより、我は社会に仇なす亡国の徒を誅せし英霊とならん」
死刑が確定した時、内山政重教授の首を斬った男は晴れやかな顔でそう宣した。驚いたことに、それを英雄視するような風潮が、ネットを中心として盛り上がってもいたのであった。
「大変危険です。この動きは、イスラム教におけるジハードのテロに匹敵する危険をはらんでいます。右傾文学の流行によるかつての英霊という概念の復活、愛国という誤ったイデオロギーのもとでの英雄的な死という恍惚を蘇らせてしまったのです」
テレビの解説者として登場した学者は、現状をそのように分析してみせた。
「寛容さもユーモアも欠いたこの風潮は、まことに息苦しいものだといわざるを得ません」
その日、教授の研究室の扉に斧が打ち込まれた。斧には、「売国の徒よ、震えて死を待て」と書かれた白い布が結ばれてあった。テレビ局にも、「過ったイデオロギーをばらまく放送局には天誅を下す」との脅迫文が送られた。その翌週から、この大学教授がテレビの解説に登場することはなくなった。
「わかっているよ」
いつになく雄々しい姿のジンがそこにあった。細い身体のどこから絞り出しているのかと不思議に思うようなエネルギーで彼等と対峙していた。
「圧倒的に暴力的な風潮が、いまこの国を覆っている。自由にモノが言えない社会、自由に振る舞えない社会が作られつつある。その元凶のひとつが君たちだ。この国の現状をきわめて単純化し、わかりやすい敵を作り、暴力、さらには殺人すらいとわない暴力性で、そのイデオロギーを受け入れさせようとしている。しかも、その行為が英雄的行為として称揚されてしまう。そんな現実が巧みに作り上げられてしまっている。
でも、ぼくたちにはそれが間違っているってことがはっきりと分かる。
ぼくたちは、自分たちで考えること、自分たちで産み出すことを知ったからだ。それは、つまりものの見方、考え方は多様だということを知るということだ。
だから、ぼくは君たちに即興の物語を贈りたいと思う」
ジンは、自分の後ろにあったギターを弾きながら、そのメロディを背景に物語り始めた。
「『ゆめみ美容外科が価格破壊を行ったせいで、美容整形手術が万人のものとなった。これまで、それなりに高額であったために、誰もが手を出せるというものではなかったのだが、ゆめみ美容外科は、ラーメン一杯食べるくらい、飲み屋で軽く一杯やるくらいの値段で美容整形をすることを可能にした。
客が殺到し、ゆめみ美容外科は二号店、三号店と増やしていき、ついに鳥取県にゆめみ美容外科が開業したことで、全国のすべての都道府県にスタバ並に普及した。負けてはならじと、他の美容外科もこぞって価格を下げたため、世は空前の美容整形ブームとなった。老若男女が、我も我もと天から、あるいは親から授かった顔を美形化した。
五年も経った頃には、ゆめみ美容外科の経営は傾き始めていた。大方の国民が美容整形を終えてしまったからだった。さらに、この傾向に拍車をかけたのは、コズメティックDNAの誕生だった。これまで遺伝子治療は、難病の治療のためのものだったのだが、これを容姿をあらかじめオーダーした通りに作り上げるよう改変することが可能になったのだ。醜貌コンプレックスから結婚をためらっていた医師が、全エネルギーを注いで開発した技術だった。彼は医師だったから、美容整形して結婚しても、遺伝子は変わらないことを知っていた。自分の容姿を産まれてくる子供に継がせたくなかったのだ。だから、彼はこの技術を開発した後に美容整形手術を受けて美形となり、さらには自らの遺伝子を改変して結婚した。結婚相手も美容整形手術を受けている可能性は非常に高かったため、結婚相手の遺伝子もコズメティックした。かくして、彼らは明らかに美貌の持ち主とわかる子供を授かった。彼はこの技術を囲い込んで金を儲けようとは思わなかった。むしろ、世のすべての人に自分と同じコンプレックスを持ってほしくないと、無償でコズメティックDNAの技術を提供した。
つまり、これ以後美容整形手術は無用の長物となったわけだ。産まれてくるすべての赤子は美形となった。この技術はオープンソースだったために、世界各国の研究者が改良を加え、美形化はさらに進行した。第一世代の美形よりも、第二世代、第三世代と追うごとに、すべての人類はこぞってより美しくなっていった。そして、第十五世代を迎えたころから、ある問題が明確化した。
差異が無くなったのだ。あまりに標準化、理想化が進んだために、産まれてくるすべての赤子の顔が、ほぼ偏差のない同型の顔となった。そう、実のところ美形の顔とは、あらゆる顔の平均値だったのである。平均からの偏差がどんどん取り除かれていった結果、すべての人間が同じ顔になった。それにともなって、内面の多様性も失われていった。このことによって、他者との外見的な違いが、内面の多様性に貢献していたことがわかってきた。
だが、もはや引き返すことはできなかった。一度美しい顔を手に入れてしまった人間が、どうしてあえてそこから逸脱した顔を欲するだろうか?
テレビをつけても、出てくる人間はみな同じ顔である。ドラマを見ていても、どの登場人物をどの登場人物と入れ替えてもなんの問題もない、どの歌手がどの歌を歌ってもなんの差し支えもない、さらにはどの人が芸能人でどの人が政治家でどの人が一般人なのかという区別すらも曖昧になっていった。
世界は退屈になった。』
どうかな?」
「聞こえねえ。まったく耳に入らねえ」
軍服姿の男の一人がにやにや笑った。
「ああ、聞くべき言葉、暗唱すべき言葉は決まっているからな。その他の戯れ言に心を惑わされる必要はないんだ」
「雑音を立てて心の清浄をかき乱す輩には、天誅が必要だ」
「ああ、必要だな」
「わたしにやらせてください!」
背後で声が上がった。十代の半ばくらい、まだ高校生くらいにしか見えない若者が前に進み出た。
「やれるのか? ほんとうに」
「はい、立派にこなして見せます!」
若者はにっこり笑った。笑顔のままで、手にした斧をジンの頭に向けて振り下ろした。
悲鳴が上がった。
(第16回 了)
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* 『物語健康法(入門編)』は毎月14日に更新されます。
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