十二月号では岩田奎さんが角川俳句賞受賞第一作「穴」二十一句を掲載しておられる。年長者は新人には思いっきり期待するので、賞を受賞した後の作品についてはとやかく言わない。まーはっきり言えば、「受賞作で力尽きたかぁ」と思うような作品が受賞第一作になっていることもしばしばである。受験と同じように傾向と対策を練り、狙い澄まして受賞を狙うはしっこい新人も中にはいるんですね。それでも「まあこれからだよな」と思うのが普通だ。岩田さんの作品にはそれがない。これは本物かもしれない。
水蜜桃天上に死者増ゆるのみ
頭三つが毒茸と言ひかはし
あとはもう案山子に着するほかなくて
百年を拳銃禁じ鶏頭花
老人は木通の下のこゑを出す
鹿の目の中をあるいて白い服
くもりきりし空へ牛蒡の引かれけり
死にたければ金柑の門くぐりゆく
岩田奎「穴」角川俳句賞受賞第一作 二十一句
「水蜜桃」「毒茸」「案山子」「拳銃」「鶏頭花」など地上の事物を詠み込みながら、表現されているのは現実世界とはズレのある異界である。現実事物が異界を垣間見させ、現実事物に限りなく近い物や人が異界から顔を覗かせる。「鹿の目の中をあるいて白い服」「死にたければ金柑の門くぐりゆく」などは秀句だ。
岩田さんの師系は別として、その作品に一番近い作風は安井浩司だろう。高柳重信の「俳句評論」系の俳人だと思われているが、実際は耕衣-郁乎の系譜の俳人だと思う。根源俳句と「エクトプラスマ」のハイブリッド俳人だと言っていいかと思う。俳句の根源を求めながら、俳句崩壊以降の俳句を模索する前衛俳人である。
安井さんの代表句に「渚に鳴る巻貝有機質は死して」がある。処女句集『青年経』巻頭を飾る句でもある。安井さんの句業はこの一句から派生していると言ってよい。
極端なことを言えば俳句はすでに死んでいる芸術なのだ。五七五という形式=巻貝の中に息を吹き込めばそれは鳴る。いくらでも俳句を生み出すことができる。単純だが複雑でもある俳句形式=巻貝が俳句をほとんど自動生成的に生む。しかし中身は、有機質は死んでいる。空っぽだ。この空っぽの中身をどう取り返すのか、どう表現してゆくのが安井浩司文学の道行きである。
こんなことを書くと多くの俳人は反発するだろう。コロナもオリンピックも失恋や老衰もテーマになるし、様々な自然描写だって中身ではないか、と。しかしそれは形式=巻貝に各時代の風俗や風景事象を詰め込んでいるに過ぎない。これも極論を言えば、ほとんどの俳人が五七五に季語の定型を破るのを蛇蝎のように嫌うのがそれを逆接的に証明している。
何度も書いているが角川俳句で真摯に「俳句とはなにか?」が問われることはほとんどない。「俳句とは五七五に季語の世界で一番短い詩であり、日本が世界に誇るオリジナルの詩である」という外形定義がそのまま俳句本質と認知されるのが常識である。俳句ではそれほどに俳句形式=巻貝が強靱なのだ。だから俳人たちは「俳句とはなにか?」という問いを忘れて、あるいはそんなものは意識することなくとにかく俳句を書こうとする。商業句誌はその俳句創作のためのヒントで埋め尽くされている。先行秀句・名句から俳句創作のためのTipsを学び、手っ取り早く俳句を書くことしか考えていない。
これはある意味芭蕉時代から、芭蕉以降というより、芭蕉が「古池」で俳句文学の本質を言語化した時点から変わっていない。極論を言えば俳句はそれが生まれた時点ですでに中身を失い始めている。芭蕉から三五〇年の歴史があるが、俳壇ではなく他の文学ジャンルから、最も美食家的に俳句の代表作を選べば芭蕉「古池」、蕪村「菜の花」、子規「柿食へば」など数句で俳句文学の本質は語り尽くせるだろう。時代時代の俳句の特性(新風)は俳句本質のほんのわずかな変奏に過ぎないのである。
岩田さんの俳句は安井浩司と同様に、本当は死んでいるとも言える俳句の〝中身〟を生き返らせ蠢かすような力を持っているように思う。若干二十二歳ということに今一度驚いてもいいだろう。もちろん期待外れで終わるかもしれない。ただ期待したい。うんとこの俳人には期待したい。
熊本五校で講師をしていた漱石が「ホトトギス」に書いた「俳句に禅味あり。西詩に耶蘇味あり。故に俳句は淡泊なり。洒脱なり。時に出世間的なり。西詩は濃厚なり何処迄も人情を離れず」(明治31・11・12)は当時の自作にたいする最高の解説です。その禅味、淡泊、洒脱、出世間的俳句の実際をみてみましょう。
永き日や欠伸うつして別れ行く 29歳
累々と徳孤ならずの蜜柑哉 〃
『論語』の「徳は孤ならず必ず隣有り」を典故に、豊作のみかんを有徳の士に喩えて禅味があります。(中略)
有耶無耶の柳近頃緑也 31歳
死して名なき人のみ住んで梅の花 32歳
子規への句稿「梅花百五句」の一句です。桜より梅を好む漱石は至純なものにあこがれています。名誉も地位も財もなにもない出世間の清らかさです。
恩田侑布子 連載偏愛俳人館 第11回 夏目漱石(1)「不可能の恋、その成就」
恩田侑布子さんの連載偏愛俳人館は夏目漱石。恩田さんが書いておられるように、漱石は俳句に禅的な精神性を見た。それが現実世界の自我意識の苦しみを超脱する視点を漱石に与えた。漱石の俳句は淡泊だが、それはギリギリと登場人物たちが対立し批判し合う彼の小説世界の対局にある。
漱石は頭が良かった。明治維新以降のすべての文学者の中で、最も頭が良かったのが漱石だと思う。これはかなり皮肉な言い方に聞こえてしまうだろうが、だから漱石は俳句を自らの表現として選ばなかったのかもしれない。もちろん俳人より小説家の資質の方が勝っていたからではある。しかし形式はあり、中身は薄く、その究極が禅的心性で表現できてしまう俳句は創作者にとっては絶望の文学である。
漱石の認識は近代俳句の祖である子規と共通している。子規は俳句に未来はないんだと、俳句命数論を何度も唱えている。自由詩や小説もやるつもりだから、俳句が表現のすべてではない、皆さんが思っているより自分は俳句に忠ではないと書いている。ほとんどの俳人がそれを反語と受け取っているが、子規の言葉は本音だ。
真摯に俳句に携わる作家は、俳句は絶望の文学だと心の底から考えた方がいいと思う。そこに希望を見てはいけない。絶望し尽くせば、中身がなく、空っぽでカラカラ鳴る俳句本質が、影を帯び、さらに追い詰めれば実に奇妙なその肉体を表してくれるはずである。漱石が傾倒した禅は究極を言えば現世の絶望認識であり、その絶望が乾いた笑いを生む。永田耕衣も禅に傾倒した俳人だった。
岡野隆
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