女優、そして劇団主宰でもある大畑ゆかり。劇団四季の研究生からスタートした彼女の青春は、とても濃密で尚且つスピーディー。浅利慶太、越路吹雪、夏目雅子らとの交流が人生に輪郭と彩りを与えていく。
やがて舞台からテレビへと活躍の場を移す彼女の七転び、否、八起きを辻原登奨励小説賞受賞作家・寅間心閑が Write Up。今を喘ぐ若者は勿論、昭和→ 平成→ 令和 を生き抜く「元」若者にも捧げる青春譚。
by 文学金魚編集部
三十一回に及ぶ『この生命誰のもの』の池袋サンシャイン劇場公演が無事千秋楽を迎えたのは、あと数日で大晦日という年の瀬だった。街は、いや、世間はすぐそこまで迫っている「七十年代の終わり」と「八〇年の始まり」に浮き足立っていたかもしれない。「ナウい」と呼ばれ始めた若者たちは、ゲームセンターでインベーダーゲームに興じながら、発売されたばかりのウォークマンでニューミュージックを聴いていた。
そして同世代のおチビちゃんはというと、公演を乗り切った疲れを癒す暇もなく、相変わらず忙しい日々を送っていた。年末年始はだいたい大町の山荘にいて、実家に帰れるのはほんの数日のみ。一月の半ばからは『この生命誰のもの』の全国公演が始まるので、その準備に余念がない。
そんなある日、稽古場を出て廊下を歩いていたおチビちゃんは浅利先生に呼び止められた。
「おーい」
「はい。お疲れ様です」
「ああ、うん」
「……」何か頼まれていたっけ、と記憶をフル回転させてみるが何も浮かばない。「私、何か……」
「あの、これ」
はい、と手渡されたのは『この生命誰のもの』の原作本だった。今度の全国公演はもっと頑張れよ、というメッセージに違いない。そう感じたおチビちゃんの表情は一気に引き締まる。ただ先生の反応は少し違った。
「いや、まあ、これな」
そうボソボソと呟きながら、本の表紙を人差し指でトントンと叩く。あれ、と思った時にはもう遅い。先生は背中を向けて、元来た方向へと戻っていった。
その場で立ち尽くしたまま、パラパラと本のページをめくってみる。少し前まで演じていた「ケイ・サドラー」の名前を見つける度、何だか変な気分になった。自分のことが書かれているようでくすぐったい。そして最後のページをめくり終えた時、思わず「あっ」と声が出た。青い見返しには先生の文字が書いてある。
本公演の初舞台で素晴らしい芝居をありがとう
さわやかな魅力は忘れがたいのものです
こんな言葉をかけてもらったのは初めてだ。最後に記された「浅利慶太」という見慣れた文字を眺めながら、おチビちゃんは嬉しさをゆっくり、そして時間をたっぷりとかけながらその場で噛み締めていた。
もちろん全国公演は初めてではない。『ふたりのロッテ』や『モモと時間泥棒』で経験している。だから一月十六日から三月二十日まで続く、約二ヶ月・計三十七回公演の巡業生活に対しての不安はあまりなかった。
問題は初めての大人向けの芝居、そしてストレートプレイであるということ。いくらサンシャイン劇場で三十回以上演じたからといって安心することはできない。会場が違えば、観客が違えば、そして役者の心持ちが違えば、それまでのやり方なんてまるで通用しなくなる。だからおチビちゃんは、気付いたことや直すべき点などを手帳に書き込むようになった。
当然、全国公演に浅利先生が帯同する訳ではない。何度か観に来ることはあるだろうけど、公演の度ごとにダメを出すのは舞台監督になる。この間までのサンシャイン劇場公演のように、毎日同じ場所で芝居をする形とは違い、今回は様々な土地へ移動する慌ただしさが付きまとう。怖いのは、その忙しさにかまけて漫然と舞台に立ってしまうことだ。だからこそ日々の管理は自分でやらねばならない。
今日は○○、明日は△△、と一日の休みもなく、連日違う場所で公演を行う場合は予想以上にせわしない。舞台が始まるのは大抵夕方の六時や六時半頃。九時までには公演が終わり、お客様が会場から出るとして、大変なのはその後だ。
役者たちは近場のホテルに泊まるが、スタッフは一足先にトラックに乗って明日公演を行う土地へ向かうので、そこへ積む荷物を作らなければならない。「ボテ」と呼ばれる大きな箱に、自分の私物などを詰めて太い縄で結ぶのだが、この締め方、通称「ボテ締め」が難しいだけでなく体力を使う。よいしょと箱の上に乗っかり、キツく締め上げて縛らないと、縄が解けて蓋が開いてしまうのだ。苦労して「ボテ」に詰め込んだ後は、男性スタッフに手伝ってもらいトラックに積む。これがかなりの重労働。公演を終えたばかりの身体には堪える。
その後諸々の支度を整えて会場を後にするのが大体十時半。遅い夕食を食べたりしてホテルの部屋に入ると、もう日付が変わっている……ということも珍しくない。
その後も頼まれた何十枚の色紙にサインを書いたり、とやるべき事はあるのだが、なにしろ一人になれるのはこうしてホテルの部屋にいる時だけ。このタイミングでやっと舞台上での反省点などを手帳に書きつけることが出来るのだ。それが済んだら、あとはお風呂に入って眠るだけ……かというとそうでもない。大体このタイミングで部屋の電話が鳴り、影万理江さんからマッサージを頼まれる。一人だけ群を抜いて若手だと、本当に自分の為の時間が持てない。今回初めて気付いたこの事実が、段々とおチビちゃんに重く伸し掛かってくることになる。
ホテルを出る時間は次の目的地によりけりだが、のんびり出来る可能性はとても低く、すぐ電車に乗り込まなければならない。無論、観光なんてしている暇はナシ。先入り組のスタッフが準備を進める会場には遅くとも午後三時に入るが、日によっては公演の前に、その土地の支援者や後援者の方々への挨拶回りが予定されていたりもする。仕方のないことだが、人気のある劇団は本当に忙しい。
もしそういう予定がない日でも、おチビちゃんにはやる事がある。会場に入ったらまず探すのは給湯器。諸先輩方、つまり自分以外の出演者にお茶を出すためだ。ただ全員「お茶」ではない。中にはコーヒーの人もいるし、更には砂糖が必要な人もいらない人もいる。そんな好みを覚えておくのも、これまた仕事の一環。仕方のないことだが、一人だけの若手は本当に忙しい。
こんな具合で、公演が始まるまでの二、三時間は、ほとんど他人の世話やお手伝いで終わってしまう。昨年末のサンシャイン劇場公演とはまるで違うなあ、としみじみ思う。たしかあの時は研究生の子たちがお茶を入れてくれたし、細々としたこともお願いできたので、本番前はたっぷり自分の準備に時間を使つことができた。完璧とまではいかないけれど、少なくとも今よりは集中しやすい環境だった。
まあ、考えたって仕方がない。わずかな時間を何とかやり繰りして、おチビちゃんはコンディションを整えていく。そんな時、心にあるのは浅利先生から贈られた「素晴らしい芝居をありがとう」という、青い見返しに綴られていたあの言葉だ。
さあ、ここでちょっとお行儀が悪いけど、そのおチビちゃんの手帳とやらを覗いてみよう。「若き女優の葛藤」、なんて綺麗な言葉ではまとまりきらない本音が記されているかもしれない。
まずは初日、一月十六日の仙台公演についてのメモ。
「曇り時々雪」
まずは天気から。たしかに会場内の温度、お客様がどう感じるかは大事なポイントだと常日頃思っている。
「大きなホール、かたく粒立ててしゃべらないと、ボアボアしていて後ろまで届かない」
「袖で聞いていると、とてもよく響いているようだが、サンシャインの感じでやると、すぐに落ちる」
「横を向いたり、後ろを向いたりする時に、特に声を張らないとダメ」
声の響き方、届き方に関しては、かなり注意を払っていることがよく分かる。「粒立てて」は、一語一語をはっきりと発声するイメージ。
「メイクをもう少しするようダメが出た」
こういう客観的な指摘も大切なポイント。しっかりと記しておかなければ。
「大袈裟にしてはいけないと思っているが、生理的にはもう少しやってもいいかもしれない」
「『おやすみなさい、シスター先生』のところが、棒読みになっている」
「『マア!』と気付いてから、それを払うようにさっと逃げるプロセスが嘘になっている。もう一工夫」
この辺りは、サンシャイン劇場公演の前に行った、主要メンバーをピックアップしての山荘での稽古、おチビちゃんが何度も流れを止めてしまったあの稽古の成果だろう。
「言葉の中にニュアンスを込めようとすると節になる」
ここでの「節」というのは、民謡の「黒田節」「ソーラン節」のような曲節・旋律のこと。つまり少々わざとらしくなってしまう、という意味合い。
「お茶のこぼし方 もう一工夫」
「『あの人ったら……』は自然だったが、『おバカさんなの』がもう少し前へ出た方が良かったようだ」
こういう細かい部分に反省が及んでいることからも、おチビちゃんの作品と真摯に取り組む姿勢が垣間見える。
もちろんこれ以外にも書き込みは多数ある。初日だということを除いても、非常に丁寧で細かい。相当神経を尖らせていることは明確だ。
そしてこれが翌日、二日目の仙台公演となるとどう変化していくのか。
「昨日のような緊張感はなかった」
「母音の練習だけでなく、子音の入った台詞の練習をしてから舞台に出ないとダメだ」
「少しずつ抜けたところがあって、ちぐはぐしていた」
このように初日のメモと較べて、自分に対するダメの数が増えている。
「昨日のダメを意識したせいか、また、ニュアンスがとんでしまった」
ダメを意識しすぎることが、新しいダメに繋がってしまうこともあるようだ。
「『エマーソンには内緒だよ』で今日も反応がなかった。きっとその前からの積み重ねが弱いからだと思う」
この「反応」はもちろんお客様からの「反応」のこと。自分の所作だけ気を付けていればいいというものではない。
では、この段階を経てからの仙台公演三日目はどうなるのか。
「今日は最初から反応がよかった。いつもこのくらい、お互いがあがっているといいだろう」
色々な改善を試みた結果だろうか、肯定的な言葉が綴られるようになる。ここでの「お互い」は演者と観客のこと。
「かなりUPをしていないと、このような大きな小屋では伝わらない」
UPはウォーミングアップのイメージ。身体にも声にもとにかく必要。
「最後のジョンとのからみがよくなかった。『あの人ったら……』がダメ」
「全体的にお客様に助けられていた」
良い舞台を作り上げるのは、演者だけではなく観客も重要な要因となり得る。
たった三日間の公演の中でも、おチビちゃんの成長と苦悩――多様な視点から舞台を観ようとする姿勢や、改善すべき点を見つけたことが新たなほころびの発生に繋がる難しさが、生々しく伝わってくる。
ただし、これはほんの序の口。二ヶ月続く全国公演の初っ端にすぎない。この先、どんな事柄をメモ帳に書き付けていくのか。多少のお行儀の悪さには目をつぶり、こっそり覗き見ていこう。
(第19回 了)
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