今月号では大特集「教養としての〈文人俳句〉」が組まれている。いろんな定義が可能だろうが、要するにプロの俳人ではない、もしくはプロの俳人と自己規定しなかった自由詩の詩人や歌人、劇作家、小説家などの俳句という括りになる。逆に言えばプロ俳人と自己規定した俳人たちがいるわけだ。
主客を言えば、俳句界の主は一応はプロ俳人なのだから、プロ俳人が、ノンプロでも優れた俳句を詠んだ、あるいはそこそこ優れているだけだが俳句界に寄与する俳句を詠んだ、またはしょーもないけど他ジャンルで有名なので、俳句界を多彩に彩ってくれると期待できる作家たちの作品を文人俳句と呼んでいるわけである。
じゃあ今流行のプレバトは〈芸能人俳句〉になるんでしょうかね。俳優やタレントやお笑いという仕事がメインで、俳句は余技でプロと自称していなければ、そういう呼称が生まれても不思議ではない。渥美清や夏目雅子、成田三樹夫、小津安二郎なども入れてもいい。しかしこれはまあ冗談のような話で、文人俳句という呼び方がそもそも胡散臭いのである。
俳句商業誌では自称プロ詩人たちが従順な生徒たちに、「俳句は簡単に詠めます。五七五に季語の写生中心の俳句を詠めばそれは立派な日本の詩です。俳句は日本が世界に誇れる地球上で一番短い詩であり、句集をまとめなくても俳句を書くあなたは立派なハイク・ポエットです」と言っている。要するに優劣を別にすればバカでも俳句は詠める。俳人たちが実質的にそう言いまくっているように、日本人なら誰でも俳句を詠めて名句秀句を生み出す潜在能力を秘めているのだとすれば、文人俳句という括りは無意味である。
もちろん優れた俳句を詠むからプロ俳人、という規定はもっともな考え方である。しかし俳句最大の問題は簡単には作品の優劣がつけにくいことにある。一般人にアンケートをとれば、俳句の名句は芭蕉以来十句程度だろう。読んで皆がパッと名句だとわかる俳句が生まれるのは奇跡に近いのだ。じゃあ歳時記には秀句が載っているのかというと、これもやや問題がある。少なくとも明治維新から現在までの歳時記を調べて、その総刊行点数の過半数の歳時記に採られている俳句でなければ秀句とは言えない。現世至上主義は俳壇の都合であり、文学の問題ではない。現世はすぐに過去になる。あっさりと歳時記から脱落していく句は多い。
ぶっちゃけた話、有季定型写生〝系〟が俳句であり、原則それ以外の俳句を俳句だとは認めない〝俳壇内ルール〟に従えば、しょーもない俳句でも現世では名句秀句ともてはやされる。大結社の従順な所属員たちが拡声器になって連呼するので現存の内は現存の名句秀句と見なされることになる。しかし時間の波に洗われなければ名句秀句は明らかにならない。
で、今回の特集で取り上げられているのは尾崎紅葉、芥川龍之介、永井荷風、横光利一、三好達治の五人である。四人まで小説家ですな。特集に執筆された俳人たちは一所懸命書いておられるのだが、このラインナップの中途半端さが角川俳句の限界かな。どういう選択基準なのかちっともわからない。紅葉と荷風は自分はプロ俳人ではないという意識はなかった、あるいは薄かったはずである。小説書きで忙しかったから俳句は余技的に詠んだかもしれないが、その詠みぶりは素直で流麗だ。子どもの頃に叩き込まれてそれを手放さなかっただけである。俳句を詠むにふさわしい時に俳句を詠んだ。
芥川と横光は文壇が小説、俳句、短歌、自由詩に縦割りされた以降の作家である。その俳句は頭でっかちで理知的で主観的なものが多い。紅葉や荷風と読み比べれば、たまさか良い句はあっても俳句の骨格を体得している気配がない。達治の俳句は単に下手だ。達治は短詩の創作を積極的に行ったが、それとハレーションを起こしているような感じだ。短詩の方がずっといい。切り分けができていないのだ。自由詩の詩人なら、吉田一穂や鷲巣繁男の方が優れた俳句を残している。
特集に漱石が含まれていないのは、漱石といえば子規となり、そうするとめんどっちいことになりかねないからだろう。しかし漱石こそ最も俳句文学の根幹を捉えた小説家である。金魚屋から鶴山裕司さんが『夏目漱石論―現代文学の創出』を出しているが、その中で『猫』から『虞美人草』に至る漱石小説が子規写生理論を援用していることを完璧に論証している。俳人が俳句文学の素晴らしさと日本文学における重要性を誇りたいなら、子規―漱石の影響関係をまず取り上げた方がいい。
俳人という人たちはよくわからない人たちだ。俳句は誰にでも詠めると言いながら、文人俳句などの形で俳壇〝内〟と俳壇〝外〟で垣根を作りたがる。本当は俳句は自称プロ俳人にしかわからないと暗に訴えかける。しかしどー見てもほとんどの俳人は頭が固くて悪い。切れ者などほんの一握りで、俳句という短い表現を選んだのは持って生まれた能力が低いからだろ、と言いたくなってしまう。また万が一、ブルドーザーのような小説家が本気で俳句界に参入すれば、間違いなく俳壇内先生たちは吹き飛ぶ。たいていの俳人たちは毎日毎日同じお題目を繰り返しているだけで、たいしたことをやっていない。俳壇内ルールは外の世界に対する防御線のようなものだ。小説家などが「余技です」と言うのはおざなりの謙遜である。俳人は傲慢だがそれと同じくらい小説家も傲慢だ。俳句も俳人もそんなに尊敬しちゃいない。都合のいい時だけ真に受けてどうする。論理を一貫させるなら俳句を詠めば誰もが俳人で文人俳句など存在しない。
俳句のプロというならそれなりの作品と評論等々を書かなければならない。プロというのは社会全体から認知を得ることであり、レッスンプロとは違う。俳句レッスンプロはお茶やお花の先生と何が違う。文学に携わってるというのは呑気な幻想だ。文人俳句という括りは俳人たちのいじましさを表しているだけである。小説家こそが社会の日の当たる場所にいるのだという、虚子以来の根深いコンプレックスがある。しかしならばなおのこと、ムダなプライドを捨てて俳壇外に打って出るのが正しい道である。
竹馬やいろはにほへとちりぢりに 久保田万太郎 36歳『草の丈』
申すまでもなく万太郎一代の名句です。イメージの泉をこんこんと湧き立たせることばの魔法をもつ句です。
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短夜のあけゆく水の匂かな 久保田万太郎 56歳『流寓抄』
〈竹馬や〉と並ぶ一代の名句でしょう。この世のいとなみはすべて短夜のこと、という諦念が早くからあったのでしょう。(中略)それは景色ではなく、けはい。ミニマル・アート・ジャパンのけしきなのです。
恩田侑布子「ミニマル・アート・ジャパン」連載 偏愛俳人館 第5回 久保田万太郎
特集に合わせたのか、恩田侑布子さんが「偏愛俳人館」連載で久保田万太郎を取り上げておられる。万太郎も文人俳句に分類されることがあるが、作品の質から言って近現代を代表する俳人の一人である。万太郎代表句に「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」を挙げておられないところに恩田俳句学があるだろう。
慶応大学出身者は慶応が世界で一番素晴らしい大学だと思っている幸せな慶応村の住人だが、万太郎と西脇順三郎は仲が悪かった。西脇は「三文字の名前の人は偉人が多いんですね、朔太郎、順三郎・・・」と言って「万太郎はどうなんですか?」と聞かれ「何事にも例外はある」と即答したのだと言う。
残されたニュースフィルムなどを見ると、万太郎はもう大先生で、傍若無人という感じすら漂わせている。ただそういった大家然とした態度だけでなく、西脇と万太郎は相容れない文学思想を持っていた。
西脇の『旅人かへらず』は耕衣が敏感に反応したように骨格が俳句である。ただしそれは俳句を突き抜けた無情にまで達している。これに対して万太郎はウエットだ。恩田さんが「江戸っ子のいきの構造に生まれるくつろいだいなしとやわらかみが万太郎の身上でしょう」と書いておられる通りである。「西脇は東京とロンドンしか都会を知らない田舎者だ」と言ったのは誰だっけ。万太郎だっけな。江戸っ子俳句というなら万太郎がその正統後継者である。
岡野隆
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