女優、そして劇団主宰でもある大畑ゆかり。劇団四季の研究生からスタートした彼女の青春は、とても濃密で尚且つスピーディー。浅利慶太、越路吹雪、夏目雅子らとの交流が人生に輪郭と彩りを与えていく。
やがて舞台からテレビへと活躍の場を移す彼女の七転び、否、八起きを辻原登奨励小説賞受賞作家・寅間心閑が Write Up。今を喘ぐ若者は勿論、昭和→ 平成→ 令和 を生き抜く「元」若者にも捧げる青春譚。
by 文学金魚編集部
それがいつのことだったのかを、おチビちゃんはうまく思い出せない。浅利先生の部屋、通称「社長室」にいたのだから、きっと研究生時代ではないはず。たしか他に人はいなかったのだから、きっと劇団員になりたてではないはず……。
そんな風にいくら考えてみても、いつの出来事かは曖昧なまま。だけど、あの「社長室」で見た光景のことはとても鮮やかに覚えている。
『ジーザス・クライスト・スーパースター』の写真が飾られた室内で、浅利先生は椅子に腰掛けていた。多分おチビちゃんは立っていた。どんな話をしていたかまでは覚えていない。コンコンとドアをノックする音に「どうぞ」と先生が応えて、たしか邪魔にならないよう身体をよけたと思う。静かに開いたドアの方を振り返ると、痩せた背の高い男性が一礼をしていた。足を踏み出すと同時に、すっと顔を上げる姿。その瞬間、おチビちゃんにはピンと来た。この方はもしかしたら――。
還暦、いや七十歳は超えているように見えるけれど、四十代半ばの浅利先生とどこかしら、いや、かなり似ている。もしかしたら先生のお父さまかもしれない、と予想しながら、おチビちゃんは口をつぐんで微かに俯く。盗み見しているなんて勘違いされませんように。
それから少しの間、実はそっと耳を澄ましていたけれど、二人の会話はほとんど聞こえてこない。ただ、背の高い老紳士が「慶太さん」と呼ぶ声は聞き取れた。あれ、お父様ではないのかな? そんな疑問がもしかしたら表情に残っていたのかもしれない。その人がまた一礼をして部屋を後にしてから少し経った頃、先生の方から「今のが父なんだよ」と教えてくれた。やっぱり、という気持ちがあるせいか、うまく返事が出てこない。
俺のやることを何でも「素晴らしい」って褒めてくれるんだよな、と照れ臭そうに話していたのは、別の日だっただろうか。おチビちゃんは、その瞬間の何とも言えない先生の仕草、普段あまり見せない柔和な表情もちゃんと覚えている。
一八九九年、即ち明治三十二年生まれの浅利鶴雄さんの人生は、芸能の世界との関わりがとても深い。
劇作家の小山内薫や音響演出家の和田精(イラストレーター・和田誠の父)と共に、日本初の新劇の常設劇場である築地小劇場を創立した後、俳優としてサイレント映画に出演。その後は興行会社・松竹へ入社。昭和三年にソ連のモスクワやレニングラードで行われた史上初の歌舞伎海外公演にも、一座を率いていた叔父・二代目市川左團次に語学力を買われて秘書として参加。その後は浅草国際劇場の初代支配人に就任している。
ちなみに彼の名前を確認できる意外な書物がある。近代史の資料としてもその価値を認められている、文豪・永井荷風の日記『断腸亭日乗』だ。最初の登場は一九二三年、即ち大正十二年の七月十三日に「午後浅利鶴雄帝国劇場用事にて来談」とある。彼が二十四歳、荷風が四十五歳の頃だ。その後、一緒に夜遊びをした記載が数日分あり、関東大震災が発生した八日後の九月九日に「浅利生来り、松莚子滝野川の避難先より野方村に移りし由を告ぐ」と記されているのが最後となる。
また驚くべきは、終戦も近くなった頃に、役員の一歩手前で松竹を退社した後の行動だ。なんと四十五歳にして、設立したばかりの劇団・俳優座に演技研究生として参加している。その時、浅利先生はまだ十一歳の少年だった。数年後、高校生になった「慶太少年」はそんな芝居好きの父親に歌舞伎を見に行こうと誘われる。困窮した生活の中だったが、父・鶴雄は松竹の昔の部下に頭を下げて場内へ入れてもらったという――。
「社長室」での一件があった後も、何度か稽古場でお見かけしていたので、先生のお父様が亡くなったと聞いてずいぶん驚いた。享年八十歳。昭和五十五年四月のことで、越路吹雪さんが民藝の舞台へ上がることを決断していた頃と重なる。
おチビちゃんが任されたのはお通夜の受付だった。着慣れない喪服姿で参列する人々に頭を下げながら、考えていたのは浅利先生のことだ。大丈夫かしら、と密かに溜息をつきながら、偉大な人を心配することのどこかちぐはぐな感じが、いつまでも気持ちを落ち着かせてくれなかった。
もちろんそうなってしまうのには、しっかりとした理由がある。大町の山荘へお父様たちを招待して頂いて以降、先生は時折おチビちゃんの実家を訪ねるようになっていたのだ。
大抵、立ち寄るのは近くにあるゴルフ場へ行った帰り。おチビちゃんがいる時ばかりとは限らないから、後から実家に寄ったと聞いて驚く時もある。嬉しいことは嬉しいけれど、不思議だなあ、というのが正直な感想だ。数年前には想像も出来なかったようなことだと思う。
ひとつ確かなのは、おばあちゃんと話している時はとても楽しそうだということ。妙な言い方になってしまうけど、とても気が合っているように見えた。そんな時の先生は、稽古中の厳しさが嘘のように、普段は決して見せないような表情をしている。
歌舞伎が大好きで、おチビちゃんの舞台は毎回欠かさず観に来てくれるおばあちゃんと何を話しているのかといえば、たとえば戦時中の話だったり、たとえば早くに旦那さま、つまりおじいちゃんを亡くしてからの苦労話だったり、たとえば他愛もないお天気の話だったり……。どんな話の時だって、先生の表情はとても柔らかい。そう、お父さまの話をしてくれた時と同じだ。あの柔らかさを知っているからこそ、おチビちゃんはこうしてお通夜の受付をしながらも、浅利先生のことを心配してしまう。
「この度は……」
聞き取りづらい声でお悔やみの言葉を述べ、記帳する年配の女性におチビちゃんは深々と頭を下げた。
それからしばらくは、先生のことが気にかかっていた。正直に言えば心配だった。できればゆっくり休んでほしいとも願っていた。ただ、日々の生活が止まることは無論ない。今日もレッスンはあるし、どこかの地方の劇場やホールでは四季の公演が行われている。前年の昭和五十四年から、劇団の年間上演回数は五百回を超えるようになっていた。そのトップに立つ先生は、どんなに悲しくても休むことができないんだ――。
おチビちゃんは改めてこの世界の厳しさに触れたような気がして、舞台に上がる直前の緊張にも似た、独特の息苦しさを感じるのだった。
もちろん毎日辛いことばかりではない。今日は久しぶりにダビデさんと会えることになった。朝から晩まで一日中、というわけにはいかないけれど、レッスンが終わったら彼の家に行くことになっている。映画を見てから美味しいものでも食べたかったけれど、彼は彼で色々と忙しいらしく、だったらとおチビちゃんが訪ねることにした。
嬉しくて嬉しくてたまらない反面、実は胸の奥の方に不安の種が一粒だけ落ちている。前回会った時に言われた、また海外へ行くかもしれないという彼の言葉。まさかあれ、現実になっちゃうのかしら?
普段だってあまり会えないんだから、海外に行ったってあまり変わらないと言えばそうなんだけど、それでもいざ会おうと思えば会いに行ける距離にいる、ということはすごく大切で……というグルグルした気持ちをなだめながら、彼の家のドアをノックした。一秒、二秒、三秒経ってから足音が聞こえる。よお、とドアを開けてくれた顔は少し痩せたようにも見えて、思わず「大丈夫?」と言ってしまう。
何を? と不思議がられるかと思いきや、彼は「ちょっとダメかもなあ」と顔をしかめ、腰をトントンと叩きながら部屋へと戻っていった。慌ててドアの鍵を閉めてから靴を脱ぎ、おチビちゃんは後を追う。
「ちょっと、どこか悪いの? ねえ、ねえってば」
聞こえているはずのダビデさんは返事もせず、ゆっくりとソファーに横になった。
「大丈夫? 熱でもあるんじゃないの?」
「ん? 熱じゃないよ、腰」
「腰?」
「ああ。最近調べ物ばかりでさ、毎日毎日机に向かってるから、なんていうかな、痺れたみたいな感じで」
「寝そべってると楽なの?」
「いや、立ったり座ったりしてるよりマシって感じ」
そっか、と呟いたおチビちゃんはバッグを床に置き、シャツの袖をまくり上げ、ソファーの脇に正座をした。
「ん、どうした?」
「いいから。痛いのってどこ?」
「え、何だよ」
「いいからいいから、痛いのはどこ?」
渋々といった感じで腰を指差すダビデさん。ここでいいのね、と人差し指で軽く突いて確認した後、おチビちゃんはその部分に素手で触れた。
「あ、くすぐったい。おい、何するんだよ」
「いいから、ちょっとおとなしくしてて」
実際に触れてから数十秒、おチビちゃんの掌はじわりと熱っぽくなってきた。
「おい、何やって……」
「いいから、ちょっと黙ってて」
静かな部屋の中、聞こえるのはおチビちゃんとダビデさんの呼吸だけ。掌が送るものと受けるもののバランスが少しずつ一定してきている。この感じだったら、そんなに長くはかからないんじゃないかな――。
そもそも長くやればいいというものでもない。大切なのは時間ではなく自分の集中力。それを知っているおチビちゃんは掌を当て続けた。そして数分後、彼の呼吸が寝息に変わってもまだ、その体勢を崩しはしなかった。
「あれ? 何かずいぶん楽になったんだけど」
これが三十分後に目を覚ましたダビデさんの第一声。続く「なんだか魔法みたいだな」という言葉は聞こえない振りをした。当然、魔法を使ったわけではない。これは「愉気法」。ざっくり言えば気功みたいなもの。実家にいる頃、母親に誘われたのがきっかけで出会った整体指導者の野口晴哉先生。「整体」という言葉を発明したとも言われている人だ。この「愉気法」は、彼が創始者となる所謂「野口整体」の方法論のひとつ。決して魔法ではないし、元々人間に備わっているはずの治癒力なので、本来は誰にでもできることだと思っている。気が滞ると具合は悪くなるので、その気を整えて流してあげればいい。とてもシンプルで分かりやすい。そういえば、研究所に入りたてのころ、自分が得意な物を他の研究生たちに教える「研究生レッスン」という授業の時も、おチビちゃんは整体と気功を取り上げた。
まだ不思議そうに自分の腰を触っているダビデさんに、おチビちゃんは「ねえねえ、腰、大丈夫なら外で美味しいものでも食べようよ」とせがんだ。なかなか人にせがんだりしないけど、こうやってせがめる人がいるのは嬉しいことだ。
「おお、そうしようか。じゃあ、着替えちゃうからちょっと待ってて」
はーい、と返事をしてソファーに腰掛けて待っていると、「ああ、そういえばさ」と奥の部屋で着替えている彼が話し始めた。ドキッとするのは、また海外に行くという話が始まりそうだから。平静を装って「ん? なーに?」と返す。こういう時だからこそ堂々としてないと。
「フジモトさんって知ってるか?」
「フジモトさん?」
「うん。あれ、知らない? 劇団四季の女優ともあろう御方が知らないはずはないんだけど」
「下の名前は?」
「ヒ、サ、ノ、リ。フジモト・ヒサノリさん。どう、分からない?」
姿は見えないけれど、今、ダビデさんがどんな顔なのかは分かる。きっといたずらっ子みたいになってるんだわ。
「え、本当に知らないの? だってその人、四季の創立メンバーなんだぜ?」
そのヒントだけでは分からなかったが、彼が話してくれた人となりでようやく答えが出た。舞台美術を担当しているトクさんのことだ。名前を漢字で書くと「藤本久徳」。一番最後の「徳」の字から、「トクさん」、もしくは「トクじいさん」と呼ばれている。おチビちゃんは知らなかったが、四季の前身である慶応高校の演劇部時代から美術を担当していたという。そしてその頃から、「おじい」と呼ばれていたという話に思わず笑ってしまった。
「で、なんでトクさんを知ってるの?」
「知ってるも何も、藤本さんは俺の先生なんだよ」
「え!」
思わず大きな声が出た。その瞬間、着替え終わった彼が奥の部屋から顔を出す。遠慮なく驚いた顔を真正面から見られてしまった。
「おいおい、なんて顔してんだよ。俺、前に言わなかったっけ?」
「そんな話、絶対覚えてるってば」
「言ったはずだけどなあ」
世の中には魔法より不思議なことがあるんだな、と思う。そうだったんだあ、と感心するおチビちゃんに、彼はもっと凄いことを言ってみせた。
「俺さ、もしかしたら、四季の仕事、するかもしれないんだ」
(第15回 了)
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