「世に健康法はあまたあれど、これにまさるものなし!」真田寿福は物語の効用を説く。金にも名誉にも直結しないけれど、人々を健康にし、今と未来を生きる活力を生み出す物語の効用を説く。物語は人間存在にとって一番重要な営為であり、そこからまた無限に新たな物語が生まれてゆく。物語こそ人間存在にとって最も大切な宝物・・・。
希代のストーリーテラーであり〝物語思想家〟でもある遠藤徹による、かつてない物語る物語小説!
by 遠藤徹
「世に健康法はあまたあれど、これにまさるものなし!」真田寿福は物語の効用を説く。金にも名誉にも直結しないけれど、人々を健康にし、今と未来を生きる活力を生み出す物語の効用を説く。物語は人間存在にとって一番重要な営為であり、そこからまた無限に新たな物語が生まれてゆく。物語こそ人間存在にとって最も大切な宝物・・・。
希代のストーリーテラーであり〝物語思想家〟でもある遠藤徹による、かつてない物語る物語小説!
by 遠藤徹
2.暗唱と賛美の宴
「放った矢は的を外れたようです」
坊主頭の青年が、豪華なソファに腰掛けて葉巻を吹かしている恰幅のよい男に奏上した。
「ふん、それでいい。最初から、あんな鉄砲玉に期待などしておらん。だが、会場に波風を立てることには成功しただろう?」
「それはもちろん。セミナーは中断を余儀なくされました」
「ははは」
心地よさそうに男は野太い声で笑った。
「いい気味だ。真田のやつめ。羊と羊飼いのバランスを崩そうとする愚かな男。あいつはいまや、あまたの政治家や企業から危険な思想の持ち主としてマークされている。今回のことで少しは懲りただろう」
「そういえば、今夜の経団連の方々との会食の予定の件ですが」
「どうかしたか?」
「はい、自明党の大臣数名が参加したいとのことです」
「かまわんよ。うん、好きにすればいい」
「では、そのようにお伝えしておきます」
秘書の辰浪はきっちり四五度に頭を下げて立ち去った。
「まさに、幾何学の申し子だな、あれは」
海原泰山は、秘書の辰浪のことを幾何学男と呼んでいた。
背後の棚に飾られているのは、海原泰山の著書の数々であった。芥山賞受賞作『美しい国』に始まり、文科省芸術祭愛国賞受賞の『護るべきもの』、八裂潤一郎賞受賞作『捧げ、奉る』、川端靖国賞受賞作『英霊軍』など、輝かしい功績の証がずらりと並んでいた。
かつて、海原は、真田寿福と幾度も芥山賞を争ったことがあった。結果的には、海原が先に『美しい国』の完璧な美文で選考委員を嫉妬に狂わせて受賞を果たした。海原の流麗かつ隙のない文体は「美文ジャンキー」と呼ばれる中毒者を出すと同時に、逆にその隙のなさが読んでいて苦しくなるという忌避者も産んだ。「母を忘れよ!」と自らに命じ、人間魚雷回天で非業の死を遂げた若者に材をとったこの作品は、戦争を美化するものであると嫌悪感を示す選考委員もあった。死の瞬間、その若者が見るビジョンが、大東亜共栄圏の盟主となった美しい祖国の姿であるわけだが、その描写があまりに華麗であるがゆえに危険視されもした。
真田は、その翌年に『チラリズム体操』というふざけたタイトルにふさわしいふざけた内容かつふざけた文体の作品で選考委員の大爆笑を誘い、ようやく受賞を果たした。チラリズムを人生至高の楽しみと考える非正規雇用の若者の、貧しいながらも充実した、そして滑稽さに溢れたライフスタイルをコミカルに描いた作品であった。とりわけ若者が、チラリズム王国という、妄想の王国で過ごす数日間の描写は、読んでいるとはらわたがよじれて苦しいほどだと大層な評判を呼んだ。その王国の住民が毎日欠かさないのが、チラリズム体操という滑稽な体操なのだが、それを元に「チラリズム体操、やってみた」という動画の投稿が大流行したほどであった。授賞式に際して一人の選考委員が、「なんとも息苦しかったこの一年、この作品がようやくわたしを救ってくれた」と述べたことが、海原の逆鱗に触れた。実際、笑える芥山賞作品ということで真田の作品はベストセラーとなり、さらに海原を憤らせた。
その作風から、純文学とエンターテインメントの垣根を越えて活躍し、いくつもの作品が次々と映画化され人気作家となっていった真田を、海原は憎悪した。デタラメ口語調と自称する真田の破格の文体、あるいはくずれた文体は、海原のもっとも嫌悪するところだった。「です、ます」調と、「だ、である」調が混在するだけでなく、いきなり口語調になったり、アニメ口調になったり、さらには文にすらなっていなかったりというアナーキーぶりであった。さらに、真田の作品内では、現実と非現実が当たり前のように交錯し、予想もつかない方向へと物語が進展する。タイトルから中身を想像することなどほぼ不可能だったし、主人公が途中で入れ替わったり、また戻ったり、最終的にいなくなったりするといったとんでもない事態も当たり前に起こるのだった。これもまた、「文学とは格式である」「文学とはリアルである」「文学とは思想である」との標語を掲げる海原からすると、堕落でしかなかった。海原は、真田のことを名指しで「純文学へのテロ攻撃」「文壇に落とされた糞尿爆弾」と罵った。
どんなに攻撃されても真田が応戦することはなかった。それが自分とは関係のない別次元での出来事であるかのごとき無反応だった。飄々としたそぶりを変えることもなく、淡々と著書を出し続けた。
やがて、熱烈なファンだと称する某愛国団体からのツテで、海原は政治家とのつながりをもった。
「ともに愛国の城を築きましょう」
「望むところです」
政治家と海原は堅い握手を交わした。
また血盟団事件で散っていった若者を描いた『護るべきもの』が映画化されたのを期に、財界人からも多くの接触を受けた。
「愛国精神の発揚がいまこそ必要ですな、先生」
「まさにその通りです」
財界人たちと海原は、高級料亭で高級な酒を飲み交わした。
こうしたコネクションを背景として、海原は文壇で確固たる地位を築くに至った。年長の作家、高名な作家ですら、海原の背後にある権力を恐れた。その権力には、暴力を生業とする集団とのつながりもあるとされていた。権力、金、暴力。そのすべてが海原の背後にうねっていた。その後の輝かしい受賞歴の背景に何があったのかは推して知るべしであろう。
勝ちえた力を十全に行使して、海原は真田を文壇から追放した。「日本文学の美しい伝統を土足で踏み荒らした唾棄すべき輩」として、真田の名はすべての純文学雑誌から殺処分されて消えた。エンタメ小説界は、ドル箱の真田を手放すことはなかったが、どんなに売れても賞の候補にあがることはなくなった。
それでも、真田は特に気にする風でもなく、淡々と著書を上梓し続けた。それだけなら、もはや自分に太刀打ちできなくなった過去のライバルとして無視することが出来た。
「もはやあいつは三流のエンタメ作家に過ぎない」
海原は、新たに獲得した濃霧文芸賞を手に勝ち誇った。
「日本の文壇は俺が制したぞ」
ところが、真田はとんでもない暴挙に出た。
『物語健康法』なる、どう考えてもトンデモ本でしかないと思われる著書を上梓したのである。これも真田一流のジョークのひとつであると当初は誰もが受け止めた。その本の趣旨は“自らが語り手となって物語を紡ぐことで、誰もが自分の主人となることができる。真に自分の人生を生きることができる。その副次的な作用として心身の健康が増進する”といったものであった。
「あいつめ、とうとうおかしくなったか」
鼻でせせら笑っていた海原であったが、予想に反して、この本は大ブームとなった。なにしろ、海原に配慮して、真田に対しては、メディアでの扱いもどちらかといえば批判的な論調が多かったからである。褒めるとしても、健康法ブームのパロディであり、健康に執着する世の中をからかった真田ならではのフィクションだというかたちをとるのがせいぜいだった。
それなのに、評価は草の根から高まっていった。ちょうど炭水化物を抜くダイエットが流行った時と似たようなかたちで、ネット上で体験談が披露され、それに賛同する声が次々とあがり、それがさらなる読者層を醸成するというかたちだった。文学など読んだことがなかった人、真田寿福の名前すら知らなかった人たちが競うようにこの本を買い求めた。その勢いに押されるようにして、真田は定期的にセミナーを開くようになった。それも、真田側からのオファーではなく、物語健康法実践ネットワークと称する読者側からの要請に応えるというかたちであった。
海原は大時化となった。荒れに荒れた。その時、幾何学男であった秘書の辰浪が進言したのが、暗唱というアイデアであった。
「『誰もが作者だ』などと唱えることはカオスを産み出すだけです。凡庸なる大衆は、むしろ優れた著者の優れた文章を熟読し、味読すべきではないでしょうか。自らの血となり肉となるほどに。そのためには、そう、暗唱こそが最良の方法だと思われますが」
なるほど、と手を打った海原は、即座に『われに委ねよ!』を上梓したというわけであった。世の中というものは面白いもので、すぐに手応えがあった。
「民衆が食いつきました!」
報告を受けて、海原泰山は鷹揚にうなずき、複数の企業から潤沢な資金提供を受け、自治体や政府機関の協賛を得て自らのセミナー『暗唱と賛美の宴』を開催した。会場は中心と周縁に分けられていた。演題を囲む中央に、政財界人、文化人、著名人らが座るVIP席があり、その周囲に一般人向けの席があった。受講料はVIP席が十五万円、一般人席でも三万円と高額であった。高すぎると言う声もあるにはあったが、「それゆえにこそ、ヴィンテージ感があって、そこに参加することが選良意識をくすぐってやまない」という中毒症状を打ち明けるものもあった。
海原は挨拶程度に少し話をするだけだ。たとえば、ある晩のセミナーの冒頭、海原が語ったのはこんなことだった。
「ええ、皆様今宵はようこそお越しくださいました。どうも昨今の世の風潮には当惑させられることしきりです。オリジナル信仰とでもいうべきものがはびこっている。三流、いや五流の自己実現ブームってやつです。ろくに小説を読んだことがないような人間が作家を気取っている。まともな小説を書くこともできなような人間が、それを煽っている。誰も彼もがクリエイター? 創造は悦び? 創造活動が健康の秘訣? 笑止千万ではありませんか? そうして、クリエイター、オリジネイター気取りの鼻持ちならない愚才どもが生み出した塵芥のごとき作品の山。世界はいまでも十分ゴミ問題に苦しんでいるというのに、この上書店の棚まで、あるいはネット空間までをもそうしたゴミであふれかえらせようというのでしょうか?
わたしはここに強く宣言するものであります。屑をひねり出す暇があるなら、一流を読め、一流を暗唱せよ、と。優れたものを認め、それにひれ伏し、それを我が物としていく。その積み重ねの果てにこそ、もしかしたら真の創発は訪れるかも知れないのです。くだらないプライドは捨てよ、くだらない自我は捨てよ。そして、一流を受け入れよ。それこそが心を豊かにする方法、さらにどこぞの馬の骨の戯れ言に乗っかるなら、それこそが健康の秘訣だということになりましょうか。さあ、それではこれより、朗唱師が登場します。彼の朗々たる声に従ってテキストを声に出して読みましょう。そして、その完璧なる構成、無駄のない文体、心地よい音韻、落ち着いたリズムを味わい、そして自らの体に、そして心に刻み込んでください」
時間にしておよそ五分足らず、満場の拍手に送られて海原は退場する。代わって登場するのは、白装束の神主のごとき人物。朗唱師の一人神野原有明であった。
「それでは、皆様本日は尊師『美しい国』より第三章、第三節を皆で朗唱したいと思います。最愛の妹を病で失った主人公鷹峰譲吉が、激しい慟哭と苦悩の果てに、人間魚雷となって敵国を葬り去るヴィジョンに打たれるあのたとえようもなく感動的なエピファニーの場面であります。感涙にまみれ、内なる人間愛、隣人愛、家族愛、そして国家への愛がとめどもなく溢れ出すあの怒濤の瞬間に、皆様はきっと感涙を押さえきれないことと存じます。どうぞ、朗唱しつつ、存分に嗚咽なさってください。共感し、入り込み、同化する。それが、今宵の賛美となるでしょう」
朗々とした声が、海原の流麗な美文を読み上げる。静かながら、抑えられた感情が聞く者の心に染み通る。感情が感染する。共に朗唱しつつ、参会者たちは心打たれ、涙し、そして時に感極まって叫ぶものまで出る。朗読の背後には、ほとんどそれとは意識されない程度の音響が流されている。感情を揺さぶり、共感を呼び覚ますよう計算し尽くされた音の波である。鼻腔をくすぐるほのかな芳香には二種類ある。心をリラックスさせる効果があるものと、高揚感をもたらすものである。朗唱に合わせて明滅する照明もまた、心理的効果を演出するのに一役買っている。一見ただの朗唱と見せながら、完璧に計算し尽くされた演出となっている。椅子の座り心地や肌理まで含めて、五感のすべてが刺激されるように、感覚デザイナーと呼ばれる職人が一役買っているのである。その秘密は、海原の秘書辰浪にあった。彼は、かつて某企業でサブリミナル戦略の企画・立案を担当する工学アドバイザーだったのである。
宴の最後は、選抜された候補者たちによる、朗唱会となる。一切テクストを参照することなく、己が心に刻んだ海原泰山の言葉を、一字一句違うことなく、しかもそこに十分なるエモーションとパッションを籠めて朗唱する。その夜の一席に選ばれた者には、それにふさわしいポイントが付与され、ある点数以上を蓄積した者は、朗唱師の候補者となることができる。
朗唱師が登壇したころ、すでに海原泰山の姿は会場にはない。挨拶を終えると彼はすぐに裏口に待たせておいたリムジンに乗って会場を去るからである。
「ここはわたしの著書の増刷の場だ、そうだろ? 紙じゃなくて、人間に印刷するんだけどね。人間が本になるんだよ。そう、わたしの本にね。でも、そこにわたしが居る必要は無い。だって、出版社の印刷作業に立ち会う作家などどこにもいないだろう?」
真田と違ってすぐに会場を去る理由を問われた海原はそのように応えた。
(第09回 了)
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