今号の特集は「完全保存版 さらば平成」で、鴇田智哉さんが「俳句の不謹慎さ、そして主体感」という評論を書いておられる。鴇田さんは一九六九年生まれで五十代になろうとしておられるから、若いという意味での新人とは言えない。俳句の世界では新人の扱いは抜け出たが中堅以前といったところだろう。俳句は気の長いジャンルで、二十代三十代で優れた仕事を残すのはなかなか難しい。新鮮な作風であっても俳句に飲み込まれないで新風を維持できるかどうかを見極めなければならない。五十代くらいになるとようやくそれが見えてくる。
鴇田さんについては第二句集『凧と円柱』の書評を書いたことがある。一読して高い才能を感じ取ることができる句集だった。しかしそれが、鴇田さんのいわゆる実存に根ざしたものなのか、いわば俳句史の延長線上にある新たな現代俳句なのかははっきり見極めがつかなかった。恐らく前者の可能性が強いだろうというのが漠然とした印象である。ただ鴇田さんの作品が俳句から逸脱していない新風なのは確かなことである。
短歌や俳句の世界は結社中心に動いているが、どちらのジャンルでもだいぶ前から結社未所属の作家が増えている。一番の理由はインターネットの普及と文学の衰退である。ネットでは創作ノウハウや業界情報など、様々な情報を簡単に得られる。短歌や俳句の場合、作品発表も簡単だ。そして明らかな不況産業である文学の世界で作家予備軍の人口が激減している現代では、周囲になかなか同好の士がいない。もちろん結社や大学などの文学サークルで仲間を探すこともできるが、ネットで繋がる方法もある。そちらの方が簡単で広く仲間も募れる。息苦しくても我慢しようと思える師が見つからなければ、結社未所属の歌人・俳人が増えるのは自然である。
鴇田さんの世代はネットドンピシャ世代ではないので、比喩的に言えば紙メディアに主眼を置きながらネットを活用している。このスタンスは当然文学にも反映されていて、ネットドンピシャ世代が怖い物知らずの好き勝手な創作活動から徐々に文学には歴史があり先行する優れた作品があることに気づいてゆくのに対して、鴇田さん世代は従来の文学を踏まえながらネットを活用している。ただ紙メディアに主眼を置いているということは、俳句史にも作品史にも一定の理解があるということであり、ちょっと乱暴だが鴇田さん世代の俳人はおおむね〝ポスト前衛俳句〟だと言っていい。
俳句界は保守的であり、河東碧梧桐以来の無季無韻派や重信系前衛俳句派は圧倒的少数で、九五パーセント超が有季定型、もしくはそれを少しだけ拡大解釈した保守派である。つまり俳句の世界では何も考えずに俳句を書き始めれば、まず間違いなく保守的作風になる。言い換えると明らかに前衛系とわかる作風の俳人は、考えた上で意志的にそういった作品を創作しているわけだ。しかし現実面でも文学面でも問題がある。
直近の俳句前衛は高柳重信系ということになるが、重信系前衛俳句が文学面でも俳壇勢力としても役割を終えたのは明らかである。最晩年にその代名詞だった多行俳句から一行俳句に回帰しようとしていた重信が金子兜太くらい長生きだったら状況は変わったかもしれないが、今や俳壇で重信系前衛俳句の痕跡はほとんどない。嫌な言い方だが重信門弟たちは俳壇権力闘争に敗れ去り日の当たる俳壇での居場所を失っている。もちろんそうなったのは重信系前衛俳句の継承方法に問題があったからである。総帥重信その人が一行俳句への回帰の姿勢を見せていたのに門弟らは重信全盛期の多行俳句を〝形式〟として継承した。それでは有季定型派と変わらない。しかも有季定型といった明確な〝型〟すらない。継承すべきは多行という形式ではなく、俳句前衛の思想そのものだった。
若く将来のある俳人が、たとえ俳句界で新風を巻き起こしたいという前衛志向を抱いていたとしても、一昔前の重信系前衛を見切るのは当然である。ただ創作の現場では徒手空拳で新たな作品を生み出すことはできない。なんらかの先行作品を参照して、それをモディファイしながら新し味を探ってゆくほかない。その方法は大別すれば二つある。一つはやはり先行俳句作品から前衛指向を探ることである。もう一つは俳壇外から前衛的試みを俳句に持ち込むことである。
前者は安井浩司の影響が顕著である。俳壇内での評価は別として、安井は重信系前衛俳人の中で、文学者として前衛を貫き生き延びたほぼ唯一の俳人である。しかしその理解と継承は難しい。安井の前衛俳句は重信―加藤郁乎の前衛俳句の理解・継承と、中・後期永田耕衣の方法を弁証法的に統合したものである。安井俳句を表面的になぞっても続かない。安井俳句は超難解なのに作品数は大量だが、その内実を正確に理解しなければかえって作品数が減る、つまり作品を書けなくなる。
もう一つの俳壇外からの前衛の移入だが、おおむね現代詩からが多い。一昔前は〝言葉の関節を外す〟と言われた、言語表現から一義的な意味伝達機能を失わせる方法や、極端な観念や思想、あるいはプライベートな自我意識を前面に押し出す方法である。シュルレアリスム的な〝遠いもの(言葉)の連結〟手法もよく使われる。
どちらの方法でも句集数冊分くらいの新し味を表現することはできる。しかし続かない。現代俳句に新し味をもたらす方法として安井俳句と現代詩的方法をあげたが、どちらを活用してもその根本的思想を理解しなければ続かないのである。ほかの方法を移入しても同じことである。
と、小難しいことを書いたが、現代の前衛俳句を詳細に分析しなくても、作家に本当に思想があるのかどうかは匂いでわかる。簡単に言えば〝俳句に何かを当てはめた〟のか〝俳句内部から生まれた〟のかの匂いの違いである。俳人であればそれは匂いでわかるだろう。表層をなぞっただけの方法で書かれた俳句はゴツゴツしている。つまり無理がある。それに対して俳句内部から生まれた新風はスラリとしている。無理がない。鴇田さんが同世代の前衛系俳人より頭一つも二つも抜きん出ているのは、彼の俳句の新風が、俳句内部から生まれたものだからである。
俳句を読むとき、あらゆる句には、その句特有の「主体」(のようなもの)が感じられる。(中略)よく使われる「作中主体」というものともちょっと違う、俳句の一句一句にその都度オリジナルにたち現れる「おばけ」のようなもののことだ。それは必ずしも人格を伴わず、短歌で多く言われるところの「私性」ともかなり違う。(中略)この、「主体」(のようなもの)をここでは仮に「主体感」と呼んでみる。(中略)古今のあらゆる句には、その句特有の主体感があり、私たちはそれをうすうす感じてきたと思う。ただ、俳句が語られるとき、これは今までの時代、あまり言語化されてこなかったと思う。主体感を感じ取る感性を育て、それを言語化して語ることは、これから俳句を読み、また作るうえでの鍵になるという予感が、私にはある。いつかもう少し詳しく書きたい。
(鴇田智哉「俳句の不謹慎さ、そして主体感」)
俳句は師弟制度があるので顕著だが、小説や自由詩などの個人主義の文学ジャンルでも、真に優れた作家は単に自分の作品の完成とその評価を追い求めるのではなく、ジャンル全体に寄与する仕事をも残すことが多い。鴇田さんは俳句を読む限り、とてもプライベートな感覚を作品化しているように思えるが、「「主体」(のようなもの)」がそれを抜けた俳句界全体に寄与する新たなパラダイムになるかもしれない。ぜひ実作でも理論でもそれをさらに明確にしていただきたい。
いちじくを食べた子供の匂ひとか
ひなたなら鹿の形があてはまる
いきものは凧からのびてくる糸か
砂こすれあふ音のして蝶が増ゆ
さざめきのさなかに針を仕舞ふ春
裏側を人々のゆく枇杷の花
鳥の巣を囲んで人の消えにけり
人うせてすきまの残る夏の昼
蟻たかる人の匂ひのある庭に
さはやかに人のかたちにくり抜かる
かなかなをひらけばひらくほど窓が
(鴇田智哉句集『凧と円柱』より)
岡野隆
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