拝啓とはじまる春のせせらぎは
青色のぶらんこ夜と待ち合わす
おはようの練習をする聖土曜
夕立の直立二足歩行かな
サイレンの音や午睡の無重力
恋文はですます調に水の秋
鵙の朝すべてを塞ぐピアス欲し
でもだってどうせカトレアにはなれない
匿名のおやすみなさい毛布抱く
寒卵いのちの輪郭はまるく
(田邊恭子「まるい輪郭」)
今号には第15回鬼貫青春俳句大賞で、対象を受賞された田邊恭子さんの「まるい輪郭」が掲載されている。田邊恭子さんは一九九六年生まれだからまだ二十代だ。まことに「青春俳句大賞」にふさわしい爽やかな句である。
もちろんこういった句への反応は様々だ。別に貶めているわけではないが、物凄い才能を感じさせる作品ではない。少なくとも技術的には素直というか平凡だ。俳句の常識にどっぷり浸かった手慣れはない。しかし作品を読んで青春俳句大賞を受賞したと聞けば、多くの人が「ああなるほど」と納得するだろう。じゃあ青春とは何かということになるわけだが、「まだ未成熟だけど怖いもの知らずで純粋」、といったところが田邊さんの作品に最もしっくりくる青春のイメージだろう。
田邊さんの青春俳句が未成熟だとすれば、これから成熟を深めてゆくことになる。それに対して冷ややかな視線を投げかける立場はアリである。「こんな句じゃ続かないよ」ということだ。それはまったくその通り。一方で句に純粋さを感じるとすれば、それは何かの本質を衝いているということになる。そちらの方がずっと大切で、純粋さは持続しにくいからシニックな視線も生じる。
これは田邊さんに限ったことではないが、十代二十代の俳人のデビュー作には新鮮な感覚が溢れているものが多い。それが何かというと、自己主張、あるいは自我意識の希薄さだと思う。「まるい輪郭」連作にしても、誰かに読ませるための自己主張があまり感じられない。「拝啓とはじまる春のせせらぎは」「おはようの練習をする聖土曜」「匿名のおやすみなさい毛布抱く」と朝と夜の句がけっこうある。文字通り挨拶の句だが、「拝啓」も「おはよう」も作者の口からふと出た言葉である。「匿名のおやすみなさい」も眠る前に習慣で口をついた挨拶だろう。
俳句に限らないが作品を書き続けようとすれば、技術的に成長してゆこうとするのは自然な流れである。俳句がすぐに俳句になってくれる「けりかなや」の切れ字を多用しながら名詞止めや体言止めで変化をつけ、歳時記をひっくり返して季語を探し、先行俳人の名句秀句を読んでそこから発想を得ようとする。独自の表現を得たい者は新興俳句から戦後の前衛俳句をおさらいしてとんがった表現を探し、現代詩や前衛短歌などに学んで少なくともまだ俳句では表現されていない技法や思想を移入したりする。
それをやれば確かに技術的には向上する。もしくは複雑な句になる。よほど難解な前衛的手法に囚われなければ作品の数を稼ぐこともできる。その一方で初発の初々しさが失われ、どこか作品が無理をした薄汚さに覆われてしまうこともある。要は技術的な向上が何を目指しているのかということだ。
創作者である以上、作品で独自の表現を得たいと願うのは自然だ。ただ俳句の場合、独自表現が作家の自己主張とストレートにイコールにならないのが問題だ。自由詩のようにアクロバットな言語表現を試しても、短歌のような強い自我意識を表現しても、俳句ではなかなかオリジナルな表現は得られない。結局のところ、俳句は俳句であるといった、素直で純な表現に戻ってきてしまうところがある。それが俳句〝上達〟にまつわる一番難しいポイントである。
長い長い俳句史で最も前衛的な試みを為したのは高柳重信だろう。多行俳句に代表される、俳句形式そのものの破壊というか改編も試みた。ただ重信文学を読めば明らかなように、重信の前衛俳句は重信自身の俳句の独自性探究をメインにしていない。重信が最初から最後までこだわったのは俳句であり、伝統俳句の白弥撒に対する黒弥撒として前衛俳句を定義した。俳句への強い興味が重信文学の基盤であり、作家の独自表現は従ということである。重信門弟はその後、俳句そのものへの興味を希薄化させて個々の独自表現に赴いていったわけだが、そこに重信系前衛俳句衰退の大きな要因がある。俳句では常に俳句が主体であり、作家の独自性、すなわち強い自我意識に基づくオリジナリティ表現は従なのだ。
けさ春の空を覆へる鳥の声
春がきて日暮が好きになりにけり
春はいつも遠い方からやつてくる
どの木にも水の匂ひがついて春
春の夜を上つてゆきぬ春の月
朧より朧へ通ふ水の音
ほろほろと啼く鳥ばかり春の暮
だんだんに春が濃くなる水の上
暮れかねてゐる老人のまはりかな
さざなみにさざなみ重ね春深まる
後朝とは朧が水にもどるころ
春ももう逝くか頻き鳴く鳥の声
(黛執「春がきて」)
黛執さんは俳句界の長老のお一人で、口語のヘプバーン俳句で知られた黛まどかさんのお父様でもある。執さんの俳句を読むとまどかさんと親子なんだなと思う。師弟であれ親子であれ、俳句には血脈というものが確かにある。
「春がきて」連作は枯淡の境地といったところだ。春を題材にした身辺写生と心象から一歩も離れない。「暮れかねてゐる老人のまはりかな」といった句には作家自身が表現されているが、春の夕暮れと同化してしまいそうな希薄さである。ただスラリと詠めてまったく嫌味がない。老人になれば枯淡の境地になるのかと言えばそんなことはない。人は見かけほど精神は、心は衰えないものである。「春がきて」連作は黛執さんの俳句作家としての姿勢を表す作品である。
では俳句はこういった作品でいいのか。もちろんいいとも悪いとも言えない。ただ若手俳人が初発の創作で示してくれる〝純〟に沿って言えば、有季写生のおとなしい句でもときおりは生臭い述志を交えないと気が済まない老大家よりも、黛執さんの方が俳句の純に近いだろう。
黛執さんという老大家を例にして申し訳ないが、俳句の難しさはここからなのだ。平凡でスラリとして嫌味がない、ここからどうやって作家の独自性を見出してゆくのかということである。これについてはいくつか方法があるが、少なくとも単純な技術的上達や複雑化では本当の意味での作家性は獲得できない。
俳句には確実に原点があり、それは技術的にも意味内容的にも実に単純な表現で示される。それがいわば俳句の〝純〟であり、この原点を見失わないで創作を続けないと、技術の複雑化は独りよがりに終わってしまう。
岡野隆
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