今号の巻頭は長谷川櫂さんの「死の種子」。俳壇で今最も力があり、その作品が高く評価されている俳人だから当然である。角川俳句で作品を発表するときは、ほぼ常に巻頭を占める俳人である。
死の種子の一つほぐるる朝寝かな。
わが顔を死の覗きこむ朝寝かな
春昼の死神に顔あらざりき
しんかんとわが身に一つ蟻地獄
蟻地獄淋しき鬼の覗きけり
雲白き夏の歌ふや子守歌
病巣は石榴裂けたるごとくあり
白桃や命はるかと思ひしに
さまざまの月みてきしがけふの月
一粒の夜露の中にゐるごとし
生者死者昔大きな月の中
牡丹も我も最後は一火炎
牡丹には牡丹の花の業火あり
荒鮭のしづかに了らする一生
一塊の真白き雪や鮭の骸
源流や氷らんとして鳴りひびく
鮭の魂白き山河へ帰りけり
(長谷川櫂「特別作品50句」「死の種子」)
病名は書いてないが、長谷川さんは大きな手術をなさって死を強く意識されたようである。心配なことだ。心配ではあるが、そこは俳壇で押しも押されぬ大俳人である。大俳人ということは毀誉褒貶の吹き溜まりということであり、いろんなことを言われるのに慣れておられるだろう。誉め言葉はもちろん批判も右から左に受け流せるから大俳人なわけだ。
正直に言えば「死の種子」連作はどーもしっくり来ない。死を目前にして現代人がこんなに恬淡としていられるものだろうか。長谷川さんは大変美意識の強い俳人であり、作品を読めばすぐにわかるがどれも端正な有季定型である。大病という人生の重大事はむしろ彼の強烈な美意識を壊す作用として働いてもいいのではないかと思う。「牡丹には牡丹の花の業火あり」にはその気配があるが、「鮭の魂白き山河へ帰りけり」と連作は死を達観して終わる。どーも信じられない。
中江兆民の『一年有半』を正岡子規が糞味噌に批判したのはよく知られている。兆民は喉頭ガンで一年ちょっとの余命と診断されて『一年有半』と『続一年有半』を書いたが、自由民権運動を主導した思想家らしく〝死は幻影に過ぎぬ〟といった達観を繰り返した。それを正岡は〝このウソつき、俺みたいに病気で七転八倒する期間が何年も続けば死がどんなものか君にもわかる〟と批判したわけである。ちなみに兆民の『一年有半』と『続一年有半』は明治のベストセラーであり、子規の批判は同じ病人なのに兆民の本が売れたからだとからかい半分に批判された。ただ今『一年有半』と『続一年有半』を読むのはよほど奇特な人である。子規の『病牀六尺』や『仰臥漫録』の方が一般によく読まれている。
もちろん子規だって俳句で死の恐怖を書いたわけではない。子規はマルチジャンル作家であり、死について直截に書いたのは散文ジャンルにおいてだった。長谷川さんは短歌をお詠みになるのだから、死の恐怖については俳句ではなく短歌で表現なさるのかもしれない。ただ俳句である程度はっきり思想が表現されているので、短歌だからといってそれが変わることはないのではないか。
押しも押される大俳人だからあえて書くが、長谷川櫂は俳壇内超有名人だが俳壇外の一般社会ではほぼ無名である。最大の理由は彼の俳句美意識にある。なるほど長谷川さんの俳句は技術的にも内容的にも文句のつけようのない完成度を示している。しかし完成されているということは〝面白くない〟ということでもある。技術の高みに達したら、創作者はそれを壊さなければならない。作家性というのはむしろ、技術的な崩れの中でこそ表現されるものだ。特に日本文学では死を達観していたのでは文学の富を失うことになりかねない。魯山人は「プロの陶芸家の陶磁器とプロの書家の書ほどつまらないものはない」と言ったが一理ある。名人は危うきに遊ぶ。俳句でも素人や初心者の句の方が長年俳句を書いている人より面白いことがままある。
長谷川さんは結社「古志」の前主宰であり、今も大結社「古志」を中心に強い影響力を有している。本を出せば結社員が買うから俳壇で重宝されている面があるのは事実だ。まただから結社員のお手本となるような俳句を書かなければならないわけだが、長谷川櫂的なモダニズム美意識に結社員が染まってしまうのは危険である。俳句は上手くなるかもしれないが上手いを超えられないだろう。さらなる大俳人として大胆に崩れていただきたい。要するに圧倒的に自在さが足りない。
動悸少し花柊を過ぎてより
金星のみづみづしさよ冬景色
にんじんの葉のこまごまと吹かれをり
こんな夜は母をうべなひ霜の声
父亡くて牡蠣剥くときの空の青
踏切や未生の雪を待つこころ
あをぞらを壊さむばかり蜜柑狩
しろがねの鍵をください春隣
(櫂未知子「特別作品21句」「海鳴り」)
女性の方が柔軟な思考を持っているというのは誤りだ。俳壇を見回せばすぐにわかるが、女性の方が従順で男たちが作り上げた杓子定規な有季定型の規則にはまりやすい。誰が詠んでもかまわないような俳句を詠んでいる俳人は意外に女性が多い。
ただたまに櫂未知子さんのように自在な作家が女性の中からポッと現れる。男性ではまずないことだ。「みづみづしさよ」「こまごまと」といった表現は普通の俳人なら避けようとするだろう。こんな表現が力を持つのは櫂さんがみづみづしい自然界の諸相を捉える感性を持っており、こまごまとした事柄を表現したいという強い創作欲求を持っておられるからだ。
わずか21句の中で作家の思想と感性は自然界から家族に及び、「しろがねの鍵をください春隣」と抽象的表現にまで抜ける。自在なのだ。櫂さんだって句を詠むのに苦労しておられるだろうが、上手い下手を超えた表現が魅力を持つことの一つの典型だと思う。櫂さんの俳句を読んで、向日的な希望を感じない人はいないだろう。
農夫の胸曇天の肉をつみ重ね
伏せた柄杓に闇より出て雪つもる
陽に赤き野火もおれも野の一点
湾曲し火傷し爆心地のマラソン
四壁の冬陽遠い地上の完型ザボン
無神の旅あかつき岬をマツチで燃し
白鳥来てホテルの一室の灯を壊す
人体冷えて東北白い花盛り
二十のテレビにスタートダッシュの黒人ばかり
姉いつか鵜の鳥孕む海辺の家
早春展墓おかめひょつとこ人殺し
梅咲いて庭中に青鮫が来ている
峠の闇に雨の神いる雨に濡れて
黒部の沢真っ直ぐに墜ちてゆくこおろぎ
酒止めようかどの本能と遊ぼうか
妻病めば葛たぐるごと過去たぐる
ここまで生きて風呂場で春の蚊を摑む
おおかみに螢が一つ付いていた
長寿の母うんこのようにわれを産みぬ
「大いなる俗物」富士よ霧の奥
(「金子兜太一周忌特別企画 100人が読む!金子兜太の100句」より)
金子兜太は高柳重信と双璧の前衛俳人だった。一方は社会性俳句、一方は多行俳句に代表される芸術至上派として鎬を削った。そして言うまでもないことだが重信一派が総帥重信の死後に見る影もなく衰退していったのに対して、兜太と「海程」の門弟たちは常に俳壇の日の当たる場所を歩んだ。
角川俳句の特集は例によって通り一辺倒で、100人の俳人に兜太の一句を選ばせ二百字ほどの評釈を書かせたものである。要するに評釈は読まなくてもいいから、兜太アンソロジーの句を参考に、下手でも上手くてもいいから学ぶなり剽窃するなりして楽しく俳句を書いてくださいという、例によって例の如くの特集である。
兜太が前衛かどうかは前衛をどう定義するのかによる。ただイスラーム教のアッラーのように有季定型を不可侵の神と崇めるたいていの俳人にとって、定型を破り無季無韻を厭わなかった兜太の俳句はそれだけでも前衛だろう。
兜太俳句を読めばすぐにわかるが、彼の興味の範囲は広い。代名詞である社会への関心から、ライバル重信に倣ったような前衛的作風の俳句もある。身辺雑記も軽々と読む。俳句における禁忌がない。
兜太作品に破調が多いのは、彼が書きたい事柄を山ほど持っていたからである。前衛系の俳人は現代詩から上辺をかっさらってきた言語実験などをしばしば口にするが、本当に言語実験に血道を上げられた詩人はそうしなければならない作家個人の執着を抱えていたことまでは読み解けない。俳句前衛はたいてい頭が悪い。言語実験で作品が書けるなら苦労しない。重信系前衛俳句が衰退した大きな理由の一つである。
兜太は快活だったと思う。自在に書ける俳人だけが俳句の世界で快活だ。俳人は会ってみると老いも若きも苦虫を噛み潰したような顔をしている。不満でいっぱいの心が顔に表れてしまっている。なぜか。自在に書けないからだ。自在に書けるなら俳壇的苦悩など大したことではあるまい。俳人は顔を見れば良い俳人かダメな俳人かだいだいわかる。書けないのは自分が悪いのである。兜太はその自在さを学べる作家の一人である。
岡野隆
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