「世に健康法はあまたあれど、これにまさるものなし!」真田寿福は物語の効用を説く。金にも名誉にも直結しないけれど、人々を健康にし、今と未来を生きる活力を生み出す物語の効用を説く。物語は人間存在にとって一番重要な営為であり、そこからまた無限に新たな物語が生まれてゆく。物語こそ人間存在にとって最も大切な宝物・・・。
希代のストーリーテラーであり〝物語思想家〟でもある遠藤徹による、かつてない物語る物語小説!
by 遠藤徹
「よろしいでしょうか!」
また手を上げた人物があった。初老の、白髪の男性だった。コーデュロイの茶色いブレザーを羽織った、黒めがねの知的な風貌だった。
「はい、どうなさいましたか」
「先生、わたくしにもしばし、語りのお時間をいただけないでしょうか」
会場係から受け取ったマイクを手にした、その男性はとても落ち着いた口調だった。
「ああ、あなたは、政治学者の上条憲吉さんですね」
「はい、そうです」
おおっ、とかテレビで見たことあるぅ、とか言った声が上がった。
「触発されたのですね。やむにやまれぬ衝動が醸されたのですね?」
「はい、そうです。先ほどのお二人のお話を聞くうちに、わたしもわたしの内側にあるものをどうしてもこの場を借りて語らせていただきたくなったのです」
「いかがでしょうか、皆さん?」
「いいぞ!」
「聞きたいわ」
「ぜひ語ってください!」
会場から賛同の声が続々と上がった。
「すばらしい。今宵の参加者の皆様はとてもすてきです。受容こそが創造、蓄積こそがエネルギー、そのことをよく理解なさっておられる。なにかが弾けそうです。今宵会場を満たす気は、なにかを生み出さずにはおかない、そんな気がします。さあ、上条さん、どうぞ存分に語ってください」
「お時間をいただき、ありがとうございます」
マイクを手にした上条憲吉は、まずは丁寧にお辞儀をした。
「いつもなら、こうしてマイクを持つとき、わたしは日本の政治について、あるいは国際社会におけるこの国の立ち位置について分析をしたり、提言をしたりしてきました。でも、今宵は、そんな自分の外にあることではなく、私自身のことを語りたいと思います」
「いいぞ!」
「そっちの方が、ずっと興味あるよおっ!」
そんなかけ声が飛ぶ。
「こんなことを申し上げると変かもしれませんが、実はこうしてわたしがこの場にいること、それ自体がすでに奇跡なのです」
会場がしんとなった。絶妙の語り出しだった。
「どういうことだ? と皆様お思いになったことでしょう。実は、わたしは去年の暮れに末期の胃癌であるとの診断を受けたのです。ステージ四で、転移も始まっており、もはや手の施しようはないとの診断でした」
「それは、・・・さぞかしショックだったでしょうね」
真田寿福が、共感の合いの手を挟んだ。
「ええ、ちょうど学会においても会長職に就き、執筆も順調、講演会も満員という自分の人生の絶頂期だっただけに、衝撃でした。でも、一方では、ああ、これだけのものを得たのだから、もう幕引きだよというお告げなのだなという納得の気持ちもあったのです」
「でも、もちろん、生きたいという気持ちの方が強かった。そうでしょう?」
「ええ、それはそうです。でも、医者にはもう匙を投げられたわけです。他にいったい何にすがることが出来るでしょう? わたしは絶望しつつも、そのことはおくびにも出さずに仕事に専念し続けました。すでに胃の痛みは、耐えがたいものになりつつありましたが、仕事に熱中している間は、不思議とそれを忘れていられたのです」
「そうです。充実、専心、夢中は最良の薬ですからね」
「そんなときでした。ある国際学会のレセプションで、アメリカから招聘した研究者たちと談笑していたときでした。そのうちの一人であったゴードン・バルビーという学者の口から、ナラティブ・セラピーの話を聞かされたのです」
「ああ、ゴードンもまた、わたしの熱心な弟子の一人です。一人息子を事故でなくされたショックから、物語の力で立ち直られた」
「そうなんです、先生。まさにその話を聞かされたんです。そして、彼の著書『パパ、天国にもプールがあるよ』をいただきました。感動しました。ごりごりの政治学者だった彼が、あんな愛に溢れた物語を紡ぐとは想像もできなかったからです。すぐにわたしは、彼から聞いたナラティブ・セラピーの創始者、ジュフク・サナダの情報を探りました。そして、このセミナーのことを知りました」
「でも、すぐには参加されなかった?」
「ええ、そうなんです。わたしはとても疑り深い性格でしたから、自己啓発セミナー的なものに対してとても懐疑的だったのです。そこで、まずは先生のご著書を購入しました。『「物語療法」の原義』でした」
「ああ、ずいぶんと難しいものから手に取られたのですね」
「というより、わたしのような学者タイプにとっては、理論的なこちらの本の方が取っつきやすかったと言うべきでしょうね。先生の理論、とりわけ『人生そのものに意味などはない』というハイデガーばり、サルトルばりの考え方に共感しました。ただ、生を受けてこの世界に投げ出されているだけのわれわれは、自分で自分の人生の意味を作るしかないのだというのはその通りだと思いました。つまり、すべては物語なのだということです。人は人生という物語を自ら作り上げ、それを生きるということ。逆に言えば、いまある人生も、物語によって書き換えることができるということになります」
「そうなんです。さまざまな哲学者によって意志の力とか、選択とか、自己決定とよばれているもの、それはつまり、自ら物語を紡ごうとする意志のことなんですよ」
「わたしは、それを最後の望みの綱とすることにしました。そして、その日から物語を紡ぎ始めたのです」
上条憲吉は、黒い鞄から数冊の大学ノートを取り出した。
「これが、その一部です。いろんな時期に書いたものを抜粋して持ってきました。自宅にはすでに数十冊のノートがあります」
「凄い量ですね」
「ええ、わたしはこれまで論文を読み、統計を読み、さまざまな資料を読んだり見たりして考えるということばかりしてきました。けれども、癌を煩って初めて、死を宣告されて初めて、なにもないところから物語を紡ぐということを始めた。もちろん最初は戸惑いました。右も左もわからない感じだった。ですから、ほんとうに短い掌編から始めました。子供時代の思い出を綴ったり、家族との記憶をたどったりしたのです。そんな訓練をつづけるうちに、徐々に短い物語を紡げるようになっていきました。最初に書いた空想的な物語はこんなものでした。
『
「夢の細胞iVEの完成です」
長年なんの成果も上げられなかった老齢の研究員が笑顔で報告した。一度も脚光を浴びることなく、ずっと他人の研究の下支えをしてきた人物だった。窓際研究員とか、役立たずとかいわれながらも、淡々と勤め上げてきた。このまま静かに退職していくものと皆が思っていた矢先に、そんなことを言い出したものだから誰もが驚いた。
「iVEだと? どっかで聞いたような名前だな。なんだ、どんな用途がある。幹細胞的なものか。どんな組織にでも変化できるとかそういう能力があるのか?」
直属の上司である主任研究員が、もしそうだったら成果を横取りしてやるぞ、とかなり腹黒い気持ちを抱きながら問うた。
「いえ、ありません。そういう細胞ではないのです」
しかし好々爺然とした研究者は首を横に振った。
「じゃあなんだ、癌細胞を見つけだして食らってくれるとかいったマクロファージ的能力でもあるのか?」
「いえいえ、そんなの無理ですって」
「じゃあ、あれか、不老不死をもたらす細胞活性化の力があるとかなのか?」
「ご冗談でしょう?」
「じゃあ、なんだ?いったいどんな能力があるっていうんだ?」
窓際族だった男は、自分の立場をわきまえているかのように控えめに答えた。
「何も」
「何も? どういうことだ」
「だから何もできないんです。名付けるならば、無能細胞。光合成能力もなく、捕食行動もしません。ですから、細胞単体では生きることすらできません。温度管理、栄養液の補充、そして絶えず愛情ある言葉をかけ続けなければ死んでしまうというやっかいな代物です。でも、それさえ怠らなければ、多少増殖して、丸い玉にまで育ちます。そして、ふわふわ浮いてかなり長い間生き続けます」
「長い間とは?」
「愛情をもって世話されている限りです」
iVEとは、一人では生きられないことを示すためのネーミングなのですと、老研究員は説明した。
「生きる(LIVE)ということが一人でできないから一文字かけているのです。『わたしが、わたしが』という自己主張が弱いからIも小文字のiとなって控えめにあるだけなのです」
当然のことながら、上司は憤然と立ち去った。iVEは、無能細胞どころか、無用細胞と切り捨てられてしまった。退官後その研究員はiVEが環境に流出しても、即死するので何の心配もないことを示し、「観賞用生物」としての許可を得た。そんなの飼う人いないよという家族の言葉を無視して、飼育キットとともにささやかに売り出した。
大方の予想に反して、やがて大ブームが湧きおこった。ただ面倒で手間がかかるだけで、育てても何の見返りもなく、しかも育ったところでたいしてかわいくもないただの細胞の固まりだった。それなのに、なぜか誰もが夢中になった。
誰もが小さな水槽をいとしげに覗き込んだ。懸命に温度管理をし、栄養補給に気をつけ、そして朝晩水槽に向かって優しい言葉、愛の言葉を投げかけるようになった。どんな言葉が一番効くかということがネットの話題となり、ネット空間がやさしい言葉であふれかえった。こんな言葉をかけたら、いっそうやさしい丸みを帯びたとか、こんな風に見守っていると、時折うれしげに身体を揺するように見えるとか、いろんな体験談が寄せられた。時に、懸命の努力の甲斐なく誰それの細胞がみまかってしまったという情報が流れると誰もが涙した。
そのブームを見守りながら、給料泥棒と言われ続けた研究員は満ち足りた顔で死期を迎えた。
「やっとわたしみたいな人間の生き方が認められたみたいだね」
そういって、微笑みながら息を引き取った。』」
(第05回 了)
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